
中島敦の「山月記」は、唐の時代の李景亮(りけいりょう)が編纂したとされる「人虎伝」を再話したものであり、「人虎伝」の主人公の詠じる漢詩がそのまま「山月記」の中に書き移されていることは、再話という創作技法を中島があえて明確に示していることの証だといえる。
では、人間が虎に姿を変える変身譚を物語の枠組みとして用いながら、中島は何を目指したのだろうか?
その問いに答えるためにも、まずは「山月記」の全文を読んでみよう。幸いなことに、あおぞら文庫で全文を読むことができるし、youtubeでは朗読(約21分)を聞くこともできる。
漢文の素養を駆使した中島敦の散文は難しいと思われるかもしれないが、朗読を聞きながら文章に目を通すと、リズムが心地よく、日本語の美を感じることができる。
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(1)「人虎伝」から「山月記」へ
A. 性格描写と心理分析 ー 近代小説の中心にあるもの
明治維新以降、とりわけフランス、ロシア、ドイツなど欧米の影響が日本文化の上に圧倒的な力を及ぼし、文学においても、江戸時代以前とは趣きが異なる小説や詩など新しいジャンルが導入された。
そうした中で、小説家たちは、物語の展開以上に、登場人物たちの「性格」の描写、彼らの行動の原因となる「心理」の分析に主眼を置く作品を創作するようになる。
1941(昭和17)年に発表された「山月記」も、そうした流れの中にある。
中島は、「人虎伝」という伝奇譚に従って物語の枠組みを設定し、その中で、「なぜ主人公である李徴(りちょう)が虎に変身したのか?」という問いを中心に置く。そして、その「なぜ?」に答えるために、李陵の性格描写を出発点とし、彼の心理の分析に焦点を当てた。
中島敦の妻タカが、夫の死後に「山月記」を読み、「まるで中島の声が聞こえる様で、悲しく思いました」と記したことがある。それは李陵の中に、夫の性格と心理の反映を見たからだろう。
物語は、李徴が虎に変身する過程を語る導入部と、その虎が旧友の袁傪(えんさん)と出会い、身の上話を語る部分から成り立つ。
導入部においては、語り手が李徴の「人柄(性格)」を描きながら、事件のあらましを語る。それに対して、物語の本体では、語り手ではなく、李徴が袁傪に答えるという形式を取り、李徴の心の内は彼自身によって語られる。その意味では、「告白」あるいは「自己分析」ともいえる。
B. 李陵の性格 ー 自尊心
性格描写に関して、中島敦は「人虎伝」の主人公の性格をほぼそのまま反復する。
「人虎伝」によれば、李徴は才能はあるが、性格が気ままで人と親しまず、自身の才能を自負し、傲慢であり、下級役人の地位に甘んじることができず、結局、仕事を辞めてしまう。そのために生活に困窮し、妻子を養うのにも苦労する。
「山月記」では、こうした李陵の人柄に、もう一つ重要な要素が付け加えられる。それが詩作に対する情熱。
人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。(あおぞら文庫からの引用)
しかし、こうした望みにもかかわらず詩人としての評判は上がらず、数年後、地方に下り、職を得る。その理由は、一つは妻子を養うためだが、それ以上に重要な理由がある。
一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心を如何に傷けたかは、想像に難くない。
「山月記」の語り手は、「自尊心」という言葉を用いることで、李徴の性格の中核にあるものをはっきりと示す。
その傷ついた自尊心が李徴を狂気に陥れ、彼は旅先で宿から走り出し、二度と戻らなくなってしまう。
「人虎伝」にそうした記述はなく、李徴は突然発狂し、夜中に宿屋から走り出す。そのことからも、発狂にいたる過程で、中島敦が李徴の性格の中心に「自尊心」を位置づけていることが明確になる。
ただし、もしそれだけで終われば、「山月記」は単に”自意識過剰なこじらせ系人間”の話で終わってしまうかもしれない。しかし、中島敦は、狂気にかられて行方がわからなくなってしまった李徴のその後の物語を通して、「自尊心」の心理分析を行っていく。
(2)変身の理由
狂気の中で宿屋から消え去った李徴は、虎に変身していた。そして、翌年、旧友の袁傪と再会し、彼の身に起こったことを、問われるがままに語っていく。
そこで会話の中心になるのが、「なぜ虎に姿が変わったのか?」という変身の理由。
「人虎伝」において、変身は因果応報によると推測できる出来事が語られる。
李徴はある未亡人と密会していたのだが、それを彼女の家族に知られ、邪魔されたために、一家全員を焼き殺してしまう。その報いとして虎に姿を変えられてしまったのではないかと、李徴は思い当たる。
それに対して、「山月記」の李徴は、3つの理由を口にする。
A. わからない ー 人生の定め
何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。
人生にはどんなことでも起こりうる。虎に姿が変わった理由がわからず、どんなに理不尽だと思ったとしても、それを受け入れるしかない。
B. 詩で名を成そうと望んだ尊大さと羞恥心 ー 傷ついた自尊心
己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。
自尊心を満足させようとして、逆に傷ついてしまった。そのために、妻や子供を苦しめることになり、人間関係も社会的な地位も失った。そうした状態をもたらすエゴイスティックな欲求が人の目に映るとき、猛獣のように見えるに違いない。虎の姿は、その内面の象徴に他ならない。
C. 妻子よりも自分の欲望を優先させた報い
李徴は旧友の袁傪に次のように語りかける。
お別れする前にもう一つ頼みがある。それは我が妻子のことだ。(中略)彼等の孤弱を憐れんで、今後とも道塗に飢凍することのないように計らって戴けるならば、自分にとって、恩倖、これに過ぎたるは莫い。(中略) 本当は、先ず、この事の方を先にお願いすべきだったのだ、己が人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕すのだ。

自尊心を満足させることを優先するよりも、大切な妻や子供のことをまず第一に考えるべきだった。それなのに自分のエゴを満足させようとしたことの報いとして、虎に姿が変わってしまった。
虎に変身したことに関するこれら3つの理由は李徴の口から語られたものであり、どれか一つが正しいと決める必要はない。彼の中ではそれぞれが真実に違いない。その時々で様々な理由を考えるのが人間の常なのだ。
その一方で、最も気にかかることがあることも確かである。李徴の場合であれば、妻子のこと以上に、詩への思いが強い。自尊心は、妻子を養えないことではなく、詩との関係で膨らんだり傷ついたりする。
(3)自尊心の心理分析
変身の二つ目の理由として、李徴は、「己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了った」と言う。この言葉の前提となるのは、「外形」と「内心」の分離。心の中は外から見えないし、自分自身でもはっきりとはわからないことが多い。だからこそ、心理の分析が必要になる。
A. 尊大さと臆病さ、自尊心と羞恥心
中島敦の李徴は、なぜ自分が虎になったのかの理由を説明しようとし、心の内を分析する。その際、強い自尊心を持つという性格から出発するのは自然なことである。
その自尊心は他の人の目にも映るほどだった。「人間であった時、己は努めて人との交を避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった」という自覚がある。
しかし、心の状態が身体にそのまま表現されることはない。「外形」と「内心」は分離している。そこで李徴は、人にも見える尊大さの裏に隠れる内心について、矛盾する二つの要素を組み合わせる撞着語法(オクシモロン)を使い、「臆病な自尊心」と表現する。
人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。
李徴の尊大さと自尊心は目に見えるほどだったかもしれないが、臆病さと羞恥心は内に隠されている。だからこそ、李徴の羞恥心を「人々は知らなかった」。さらに、彼の自尊心が見えていたとしても、それが臆病であることを知る者はなかった。
B. 矛盾する心の分析
では、なぜ自尊心が高いはずの李徴の心の内に、臆病さや羞恥心が宿るのだろう? その矛盾する心が次のように彼の口から語られる。
己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。
ここでは、「臆病な自尊心」に加えて、「尊大な羞恥心」という撞着語法が用いられ、さらに矛盾した心理状態の焦点が当たる。その心のあり方こそが変身後の姿である「虎」なのだ。李徴のこの分析によれば、虎の姿は彼の内心を象徴したものに他ならない。
では、その矛盾した心理の原因は何か? なぜ、詩によって名前を成したいと熱望しながら、師に学び、友と語り合うことをしなかったのか? 認められないことに憤り、恥ずかしや怒りを感じ、孤独の中にこもったのか?
その理由として、二つの原因が示される。
一つ目は、「己の珠に非ざることを惧れる」ため。
自分の「珠」=能力が優れていないのではないかと恐れ、その結果、努力して自分の「珠」を磨こうとしなかった。
二つ目は、「己の珠なるべきを半ば信ずる」ため。
それほどの確信はないままに自分の能力が優れていると信じ、「亙」程度の平凡な人間たちと同等だと思うのを拒否した。
そのどちらにしても、「尊大な自尊心」の裏に「臆病な羞恥心」が忍び込むことになったというのが、李徴の自己分析だった。
その結果として、「才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだった」という自己認識が行われる。
つまり、自分を本当の意味で信じられず、努力して失敗するのではないかという恐れを無意識に心の中に抱いていたために、苦労して思いを遂げようとすることができなかった。そして、結果が出ないために自尊心が傷つき、そんな自分を密かに恥ずかしいと思っていたのだった。
このように考えると、「卑怯な危惧」と「怠惰」が「自尊心」を傷つけ、李徴の心の中に猛獣を産みだしたことがよく理解できる。虎の外形は、その猛獣が猛獣使いを呑み込んだ姿なのだ。
C. 李徴が見落としている心の矛盾
李徴の心理の要点は「己の珠」であり、自尊心に相応しい自分であることに確信が持てないところから、人々に尊大な態度を取りながら、内心では自分に対する自信が持てない。その自己分析は的を得ていると思われるが、ある一つの要素が見落とされている。それは、なぜ李徴は「己の珠」を信頼出来ないのか、という問題。
彼は「人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った」が、「文名は容易に揚ら」ない。それにもかかわらず、虎になった後からも詩への執着は続く。そのために、袁傪に次のような頼みをする。
今も尚記誦せるものが数十ある。これを我が為に伝録して戴きたいのだ。何も、これに仍って一人前の詩人面をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。
その願いは、さらに別の言葉でも旧友に伝えられる。
己の詩集が長安風流人士の机の上に置かれている様を夢に見ることがあるのだ。
こうした李徴の願いはごく自然なことのように思われる。しかし、この願いの中にある矛盾に気付いていない。
その矛盾とは何か?
彼は人との交わりを断ち、虎になってからも姿を見られないようにしている。それにもかかわらず、望むのは、自分の詩が「長安風流人士」や「後代」の人々に知られること、つまり、自ら交わりを断った人々を常に意識していることなのだ。
しかも、「作の巧拙は知らず」と、詩それ自体の質的価値を、文名の下に置いている。
李徴自信が見落としているこの矛盾こそが、彼を最も苦しめ、狂気に至らせた原因に他ならない。
(3)共感
しかし、もし李徴が虎になってさえ後世に名を残ることだけを考える人間であったとしたら、袁傪が旧友の身の上話に心を動かされ、共感の涙を流すことはなかっただろう。
実際、袁傪は、李徴が暗誦した旧作の詩に関して、「このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか」と考え、李徴に対して一定の距離を保っている。
では、袁傪は何に共感し、草の中から慟哭する虎の声を聞き、なぜ涙を浮かべるのだろう?
虎となった李徴は、自尊心の裏に自分の弱さが潜んでいることを自覚し、孤独の中で苦しみに耐えている。その苦しみは、かつて綴った詩ではなく、「今の懐を即席の詩」にすることによって表現される
中島敦はその即興の詩として、李景亮の「人虎伝」に記された漢詩をそのまま転写しているのだが、それは、最後の2行が「山月記」の源泉となっているからではないかと考えられる。
此夕渓山対明月 (この夕べ 山中の渓谷で 明るく輝く月と向き合う)
不成長嘯但成嘷 (長く嘯(うそぶ)く声にはならず ただ咆哮の声となるばかり)
時に、残月、光冷やかに、白露は地に滋く、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人人は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖を嘆じた。
「山対明月」、つまり、山中で輝く月と向き合う。「山月記」は、その光景の記録に他ならない。
そして、そこで発する声は、長嘯(ちょうしょう)、つまり、俗世間を離れて隠棲した者が長く声を出して詠う詩歌とはいえず、ただ「嘷(こう)」、つまり、野獣の吠える声にしかならない。
その叫びは、決して名を成すために発せられる詩を目指したものではなく、孤独な悲しみをただ声に出したものにすぎない。
そうした内容の詩句に続け、「山月記」の語り手は、心の叫びが発せされた背景にある美しい自然の情景を漢詩調の文でつづり、さらに、人々は出来事の「奇異」ではなく、李徴の「薄倖」に心を動かしたのだと告げる。
「奇異」から「薄倖」への移行は、「人虎伝」を「山月記」へと書き換えた中島敦が、こっそりと読者に彼の意図を告げる告白だといってもいいだろう。
その中島の密かな思いは、山の頂上で空に向かって吠える虎の告白によって明確に表現されることになる。
そういう時、己は、向うの山の頂の巖に上り、空谷に向って吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処で月に向って咆えた。誰かにこの苦しみが分って貰えないかと。しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮っているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。

「尊大な羞恥心」と「臆病な自尊心」は、孤独の中の「この胸を灼く悲しみ」へと変わるしかなかった。そうなった時、どんなに叫び声を上げても、「傷つき易い内心」を誰も理解してくれはしない。
しかし、実は、虎の外見の下に傷つきやすい心が潜んでいることを認め、その痛切な悲しみをさらけ出すことが、共感を呼び起こすことになる。
実際、名を成すことを求めて書いた詩ではなく、偽りのない心の苦しみや悲しみの告白が、旧友である袁傪の心を動かし、涙を誘った。
そして、て袁傪を超え、「山月記」の読者の中にも李徴への深い共感を呼び起こすことになる。
その共感は、「詩集が長安風流人士の机の上に置かれている様を夢に見る」李徴に対してではない。そうではなくて、自分の能力(珠)を信じたいと思いながらも信じ切れず、努力しても目標に到達できないことを恐れて十分な努力もできず、鬱々としている李徴、自尊心を持ちながらも、自分に自信が持てず、夢を実現するために前に進めない李徴に対してだ。
その李徴が悲しみ、苦しみ、山の上で月に向かって吠える時、その虎の咆哮が「山月記」の読者の胸を打つ。
虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。
一瞬だけ姿を現した虎が再び姿を消す。しかし、その声を通して届けられた李徴の心の葛藤は、読者の胸に留まり続ける。
「山月記」が、古代中国の「人虎伝」の再話であることは確かだが、しかし中島敦は伝奇譚を現代風に語り直すことを目的にしたのではない。彼は、変身を心理と結び付け、読者が李徴の孤独な悲しみに共感を抱きうる、近代小説としたのだった。
李景亮「人虎伝」