ロンサール ガティーヌの森の樵に反対して Pierre de Ronsard Contre les bûcherons de la forêt de Gastine 2/3

「哀歌(Élégie)」第24番の第19 – 26行の詩句では、樵(bûcheron)に向かい、木を切るのは殺人と同じことだと、激しい言葉を投げかける。

それらの詩句を読むにあたり、16世紀と現代でつづり字が違うことがあるので注意しよう。
es+子音 → é  : escoute – écoute ; arreste – arrête ; escorce – écorce ; destresse – détresse ; meschant – méchant
e → é : degoute – dégoute ; Deesse – Déesse ;
oy → ai : vivoyent – vivaient
d – t : meurdrier – meurtrier

 Escoute, Bucheron, arreste un peu le bras.
Ce ne sont pas des bois que tu jettes à bas,
Ne vois-tu pas le sang lequel degoute à force
Des Nymphes qui vivoyent dessous la dure escorce ?
Sacrilège meurdrier, si on pend un voleur
Pour piller un butin de bien peu de valeur,
Combien de feux, de fers, de morts, et de destresses
Merites-tu, meschant, pour tuer nos Deesses ? (v. 19 – 26)

 よく聞け、樵よ、少しの間、腕を止めろ。
お前が倒しているのは、木ではない。
見えないのか? 血がドクドクと滴っているのが、
堅い木の皮の下に生きていたニンフたちの血だ。
殺人という冒瀆。ほとんど価値のない獲物でも、それを盗んだという理由で、
泥棒を絞首刑にするとしたら、
どれほどの火、鉄剣、死、悲惨に
お前は値するだろうか、悪意ある人間よ、私たちの女神たちを殺したのだから?

切り倒される木から血が流れ出るイメージは、オウィディウスの『変身物語』 に出てくるエリュシクトンの物語から来ている。
そこでは、エリュシクトンが斧で打ち倒そうとした木からうめき声が聞こえ、傷からは血が流れ出す。

ロンサールはそのイメージを下敷きにして、木の堅い皮の下(sous la dure escorce = écorce )にいるニンフ(Nymphes)を浮かび上がらせ、血(le sang)がドクドクと(à force)滴る(degoute = dégoute)と、具体的にその様子を描き出す。
その血なまぐさい映像が、殺人という冒瀆(sacrilège meurdrier = meurtrier)という言葉に現実感を与え、樵の行為がいかに罪深いものなのか、実感させることに繋がる。
それは、女神たち(Deesses = Déesses)を殺す(tuer)ことに匹敵するのだ。

妖精などの存在が木々に宿るという思想は、人間や動物だけではなく、全ての存在に霊魂(アニマ)が宿ると考えるアニミズム的な思考から来ている。
『変身物語』では、神話の登場人物たちが動物や植物や星座などに変身してゆく。それは、動植物などの起源を語る神話だと考えられるが、視点を変えると、自然の事物は神や妖精がこの世に現れる時の姿と見なすこともできる。

こうした考え方は、自然を大切にするという意味では、現代のエコロジーと似ていると思われるかもしれない。しかし、アニミズム的思考において、自然は「聖なるもの」であり、エコロジーとは本質的な違いがある。
ロンサールは、ルネサンスの時代にアニミズム的な思考を復活させることで、森を伐採することが冒瀆であると、同時代の読者に訴えかけたのだった。


次に、もし本当に伐採されてしまったらどうなるか、森に向かい語り掛ける。

 Forest, haute maison des oiseaux bocagers,
Plus le Cerf solitaire et les Chevreuls legers
Ne paistront sous ton ombre, et ta verte crinière
Plus du Soleil d’esté ne rompra la lumière. ( v. 27-30)

 森よ、森に住む鳥たちの背の高い屋敷よ、
もはや 孤独な鹿も、身軽なノロジカたちも、
お前の影の下で草を食むことはなくなるだろう。そして、お前の緑のたてがみが、
もはや 夏の太陽の光を遮ることもなくなるだろう。

ここでは、森に住む鳥( oiseaux bocagers)、鹿(Cerf )、ノロジカ(Chevreul = chevreuils)といった生物、そして、夏の(d’esté = d’été)太陽が喚起され、現実の森の様子が思い起こされる。

ただし、森が伐採されてしまえば、鹿たちはもう木陰で草を食べることもなくなり(ne paistront = paîtront)、緑の葉の茂みが太陽の光(la lumière)を断ち切ることもなくなる(ne rompra)。そうした未来に対する警告が綴られる。


森への語りかけはさらに続くのだが、今度は、古代から続く「田園詩」が下敷きにされる。つまり、山羊や羊を飼う牧人が恋人と交わす牧歌の伝統を踏まえた詩句が綴られる。

31-40行の詩句にも、現代のフランス語と多少つづり字の違う言葉があるので、予め確認しておこう。mastin – mâtin(犬)、hatelans – haletants (喘ぎながら)、ny – ni、toy – toi。

Plus l’amoureux Pasteur sur un tronc adossé,
Enflant son flageolet à quatre trous persé,
Son mastin à ses pieds, à son flanc la houlette,
Ne dira plus l’ardeur de sa belle Janette :
Tout deviendra muet, Echo sera sans voix :
Tu deviendras campagne, et en lieu de tes bois,
Dont l’ombrage incertain lentement se remue,
Tu sentiras le soc, le coutre et la charrue :
Tu perdras ton silence, et haletans d’effroy
Ni Satyres ny Pans ne viendront plus chez toy.  ( v. 31-40)

 もはや、恋する牧人が、木の幹に背をもたせかけ、
4つの穴のあいた木製のフルートに息を吹き込み、
足元には大きな犬を置き、脇腹には杖を持ち、
語ることはないだろう、美しいジャネットの情熱を。
全ては口をつむぐだろう、エコーも声をなくすだろう。
お前は平原になるだろう、そして、木々の生い茂る場、
今はうっそうとした葉陰がゆっくりと動いているその場で、
お前は感じることになるだろう、鋤を、斧を、犂を。
お前は静けさを失うだろう、そして、恐れで喘ぐ
サチュロスたちもパンたちも、もはやお前のところにやってこないだろう。

恋する牧人(l’amoureux pasteur)、美しいジャネット(la belle Janette)と呼ばれる恋人、エコー(Echo)、サチュロス(Satyres)、パン(Pans)は、「田園詩」の登場人物たち。
森が切られてしまえば、彼らが姿を現す自然の光景もなくなり、、さらには彼らを詩の中で歌うこともできなくなってしまう。

その警告が、単純未来形で活用された動詞がスピード感を持って連続することで、読者に勢いよく伝えられる。ne dira plus, tu sentiras, tu perdra, (ils) ne viendront pasなど。
その中でも、« Tout deviendra muet, Echo sera sans voix :Tu deviendras campagne »と連続する詩句では、3度反復するraの音が切迫感を持って迫ってくる。

そうなってしまう怖ろしさは、森に対して、「鋤(le soc)を、斧(le coutre)を、犂(la charrue)を」と列挙する際の、勢いの激しさによって表現される。
その後、伐採の音が沈黙(ton silence)を破ると、サチュロスやパンといった森の神々でさえ恐れおののく(d’effroy)と続けられることで、恐怖感が言葉によってはっきりと表現される。

もしもガティーヌの森の木々が切られたしまったら、取り返しがつかないことになる! だからこそ、「よく聞け、樵よ、少しの間、手を止めろ(Escoute, Bucheron, arreste un peu le bras)」。そうした命令が、説得力を持つものになる。


その語、ロンサールは、「さらば(Adieur)」という言葉を連続して使い、未来に対する恐れをさらに実感させる詩句を連ねていく。(続く)

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