ヴィクトル・ユゴー 「魔神たち」 Victor Hugo « Les Djinns » 詩法を駆使した詩句を味わう 2/2

第9詩節(1行8音節)になると、魔神たち(Djinnns)は悪魔(démons)と見なされ、私(je)は予言者(Prophète)に救いを求める。

その予言者とは、「魔神たち」が含まれる『東方詩集(Les Orientales)』の中では、マホメットのことだと考えられている。
また、「私(Je)」は剃髪(chauve)なのだが、それはメッカに向かう巡礼者たちが出発前に髪の毛を剃る習慣を前提にしている。
「魔神たち」の背景にあるのは、『千一夜(アラビアン・ナイト』の世界なのだ。

Prophète ! si ta main me sauve
De ces impurs démons des soirs,
J’irai prosterner mon front chauve
Devant tes sacrés encensoirs!
Fais que sur ces portes fidèles
Meure leur souffle d’étincelles,
Et qu’en vain l’ongle de leurs ailes
Grince et crie à ces vitraux noirs!

予言者よ! お前の手が私を救ってくれるなら、
夕方にやってくる不純な悪魔たちから、
私は剃髪の頭を地面にこすりつけよう、
お前の神聖な香炉の前で!
なんとなかして、この忠実な扉の上で、
消してくれ、奴らの火花散る息吹を。
なんとかして、空しいものにしてくれ、奴らの翼の爪が
ギシギシと音をたてようとも、そして、この暗いステンドグラスの窓で叫び声を上げようとも!

(朗読は2分25秒から)

予言者(Prophète)への祈りは、二つのことを対象にしている。
一つは、この不純な悪魔たち(ces impurs démons)が扉の中に入って来たとしても、すぐに消え去ること。
もう一つは、羽根の爪(l’ongle de leurs ailes)を窓のステンドグラス(vitraux)にこすりつけ鋭い音を立てたとしても、悪の力が無力化する(en vain)こと。

この祈りがきっかけとなり、魔神たちの立てる音は小さなものになり、詩句の音節数も減少していく。


第10詩節(1行7音節)では、魔神たちは森へと飛び去っていく。

Ils sont passés ! – Leur cohorte
S’envole, et fuit, et leurs pieds
Cessent de battre ma porte
De leurs coups multipliés.
L’air est plein d’un bruit de chaînes,
Et dans les forêts prochaines
Frissonnent tous les grands chênes,
Sous leur vol de feu pliés !

奴らが通り過ぎていった! — 一団は
飛び去り、逃げ去る。奴らの足が
家の扉を打つのをやめる、
何度もどんどんと。
空中は鎖の音で満ちている。
近くの森では、
全ての巨大な樫の木が、身を震わせる、
奴らの燃え上がる飛翔の下で、身を屈し!

不純な悪魔たち(les impurs démons)は家の扉を何度も何度も打ち(De leurs coups multipliés)、家の中に入ろうとしてきた。今はそれがやみ、彼らは鎖の音(un bruit de chaînes)を響かせながら飛び去り、近くにある森(les forêts prochaines)へと向かっていく。

そのために、魔神たちが火を吹きながら飛び去っていく(leur vol de feu)中、巨大な樫の木(les grands chênes)は倒れてしまう。


第11音節(1行6音節)、魔神たちはますます遠くに飛び去り、彼らの立てる音はますます小さくなっていく。

De leurs ailes lointaines
Le battement décroît,
Si confus dans les plaines,
Si faible, que l’on croit
Ouïr la sauterelle
Crier d’une voix grêle,
Ou pétiller la grêle
Sur le plomb d’un vieux toit.

彼方でひらめく奴らの羽根の
動きが、小さくなっていく、
その動きは、草原の中でひどくぼんやりととし、
ひどく弱々しいために、聞こえるように思える、
キリギリスが
とてもか細い声で鳴いている声が、
あるいは、霰(あられ)がバチバチと跳ねる音が、
古びた屋根の鉛の上で。

魔神たちがすでにはるか彼方にいることは、彼らの遠くの羽根(leurs ailes lointaines)という言葉で、具体的なイメージとして示される。

そして、恐怖が去ったことが、第11詩節を構成するほとんど全ての単語によって示される。
減少する(décroît)、
ぼんやりした(confus:近くであれば明瞭であるが、遠くにあるためにはっきりとしない)、
弱々しい(faible)、
キリギリス(la sauterelle)、
か細い声(une voix grêle)、
パチパチと小さく跳ねる音( pétiller)、
か弱い(grêle)と同音意義語の霰(あられ)(la grêle)。


第12音節(1行5音節)では、再びなにかしらの音が聞こえてくる。しかし、魔神たちの恐ろしい大音響ではなく、アラビア語のように聞こえる。つまり、音が意味不明な不気味なものではなく、人間化し、親しいものとなる。

D’étranges syllabes
Nous viennent encor ; –
Ainsi, des arabes
Quand sonne le cor,
Un chant sur la grève
Par instants s’élève,
Et l’enfant qui rêve
Fait des rêves d’or.

奇妙な音が
再び私たちに聞こえてくる。—
アラビア語のようだ。
角笛が響く時、
一つの歌が、砂浜の上で、
時に 上がり始める。
夢見る子供が、
黄金の夢を見る。

聞こえてきた奇妙な音(D’étranges syllabes)が、最初はアラビア語(des arabes)のように聞こえる。
次に、それらの音は角笛(le cor)と共に歌われる一つの歌(un chant)となる。

その歌声の主は、子供なのだろうか? 初めて言及されるにもかかわらず定冠詞が付いたその子供(l’enfant)とは、誰なのか?
それはわかない。
しかし、子供の見る夢は黄金の夢( des rêves d’or)であり、その黄金(or)は角笛(cor)と韻を踏む。そのことで、歌が悪夢と対立し、悪夢を消し去る役割を担うことが予想される。


第13音節(1行4音節)になると、意識が再び魔神たちに向けられる。ただし、彼らが再び襲ってくるのではなく、遠ざかり、消え去っていく。

Les Djinns funèbres,
Fils du trépas,
Dans les ténèbres
Pressent leurs pas;
Leur essaim gronde:
Ainsi, profonde,
Murmure une onde
Qu’on ne voit pas.

不吉な魔神たち、
死の息子たち、
彼らは闇の中で
歩みを早めていく。
奴らの群がうなる。
そんな風に、深い
流れが呟くのだが、
それは目に見えない。

不吉な(funèbres)、死(trèpas)、闇(ténèbres)と、魔神たちの悪の側面が取り上げられる。その上、彼らの群(leur essaim)はまだぶつぶつと音を立てる(gronde)。

しかし、その音の流れ(une onde)は深く、目には見えない(qu’on ne voit pas)。


第14音節(1行3音節)では、微かに耳に届く音が何なのか、詩人の自問が行われるように思われる。

Ce bruit vague
Qui s’endort,
C’est la vague
Sur le bord;
C’est la plainte,
Presque éteinte,
D’une sainte
Pour un mort.

このおぼろげな音が
眠りにつく。
それは波、
海岸に打ち寄せる。
それは嘆き、
ほとんど消え入ろうとしている。
一人の聖女の
一人の死者に向けた嘆き。

はっきりとは聞こえずぼんやりとした音(ce bruit vague)は、最初は、海岸に打ち寄せる波(la vaque sur le bord)だとされる。

次に、それは嘆きの声(la plainte)で、すでに消え入りそうだ(presque éteinte)とされる。
その嘆きの主は一人の聖女(une sainte)で、一人の死者(un mort)のために祈っている。

ここでも、第13詩節の子どもと同じで、聖女が誰で、誰の死を嘆いているのかは明らかでない。

しかし、私たち読者に理解できることがある。
一つの音が、最初は魔神たちの襲撃を思わせる。ところが、ある一つのこと、ここでは一つの祈りをきっかけとして、夢見る子供や死者を悼む聖女の声のように聞こえるようになる。
その転換の秘密は、私たちの心の中に潜む目に見えない力に秘められている。
その力の働きによって、魔神が夢見る子供や聖女に姿を変えることもある。
私たちは、14の詩節の変遷を辿りながら、そうした世界観を読み取ることができる。


第15音節(1行2音節)に至り、全ては過ぎ去り、最初に聞こえた音も聞こえなくなる。それは第1詩節の状態と同じなのだが、しかし、何かが違っている。

On doute
La nuit…
J’écoute : –
Tout fuit,
Tout passe ;
L’espace
Efface
Le bruit.

人はためらう
夜・・・
私は耳を傾ける。—
全てが逃げ去る、
全てが通り過ぎる、
空間が
消し去る
あの音を。 

第2詩節で初めて一つの音(un bruit)がする以前、2音節の詩句で構成された第1詩節の港町は、死の隠れ家(asile de mort)とされていた。

同じ2音節の詩句が戻ってきた第15詩節でも、全てが逃げ去り(fuit)、通り過ぎ(passe)、その空間は音を消し去ってしまう(l’espace efface le bruit)。
それは死の空間とさえいえる。しかし、そこに不吉なものはない。むしろ、魔神たち(les Djinns)たちが消え去った後の静けさが感じられる。
つまり、第15詩節で語られる状況は、第1詩節と同じようでありながら、13の詩節を通り過ぎる間にまったく違うものなったのだ。

ヴィクトル・ユゴーは、その変換を、詩の内容だけではなく、詩句の形によっても示そうとした。
そのために、最初は小さく、徐々に増大して最大に達し、その後減少して元に戻ること。その動きが視覚的に一目で把握できる詩句の配置にこだわったのだった。

私たちは、« Les Djinns »をフランス語で読むことで、驚くべき詩法のテクニックに賛嘆しながら、詩句の姿を通して、物理的な世界よりも心の中の世界を本質的だと考えるロマン主義の思想も理解することができる。

« Les Djinns »は、フランス語で詩を読めることの幸せを最も感じさせてくれる一つだと言っても過言ではないだろう。


ガブリエル・フォーレも、セザール・フランクの後で、« Les Djinns »に曲を付けている。

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