「死(la mort)」という言葉は不吉な印象を与えるが、「恋人たちの死(La Mort des amants)」において、ボードレールは「死」に肯定的な役割を与えたと考えられる。
では、その肯定的な役割とは何か? そしてどのようにしてその逆転を行ったのだろう?

その疑問の答えを考えていくことで、ボードレールの世界において、恋人たち(les amants)を結び付ける愛(エロス)がどこにつながるのかを知ることができる。
まず最初に「恋人たちの死」は非常に形式が整った定型詩であることを確認しておこう。
2つの四行詩節と2つの三行詩節で構成されるソネ(4/4/3/3)で、一行の詩句は10音節、しかも多くの詩句は5/5の区切りが意味の区切れと対応する。
韻の連なりは、ABAB / ABAB / CCD EDE.
動詞は全て単純未来形で活用され、未来のこと、あるいは今頭の中で考えていることが未来に投影して語られている。そのことは、このソネを理解する上で重要な意味を持っている。
第1詩節の最初の言葉はnous。詩の題名から、「私たち」は恋人であると推測することが求められる。
Nous aurons des lits pleins d’odeurs légères,
Des divans profonds comme des tombeaux,
Et d’étranges fleurs sur des étagères,
Écloses pour nous sous des cieux plus beaux.
私たちのベッドは、軽やかな香りで満たされるだろう。
長椅子は、墓場のように深くなるだろう。
そして、奇妙な花たちは、棚の上で
もっと美しい空の下で、私たちのために、花開くだろう。

ベッド(des lits)や長椅子(des divans)は、恋人たちがいるであろう場所を示し、官能をもたらす身体的な接触を暗示する。
そして、香り(des odeurs)は臭覚を、長椅子が深く沈んだ(profonds)様子は視覚と触覚を刺激する。
そのようにして強い官能に刺戟されて絡み合っている二人の身体が、奇妙な花(d’étranges fleurs)のように感じられる。
ただし、そうした状態はまだ実現されているのではない。nous auronsと動詞が単純未来形で活用されていることで示されるように、未来の状態、あるいは、詩人が頭の中で考えている理想の状態だといえる。
実現されるのは、des cieux plus beaux(より美しい空)の下であり、今ではない。
第2四行詩と第1三行詩では、二人あるいは二つの体の存在が強調される一方で、それらがいつしか一つになっていく過程が描かれる。
Usant à l’envi leurs chaleurs dernières,
Nos deux cœurs seront deux vastes flambeaux,
Qui réfléchiront leurs doubles lumières
Dans nos deux esprits, ces miroirs jumeaux.
Un soir plein de rose et de bleu mystique,
Nous échangerons un éclair unique,
Comme un long sanglot, tout chargé d’adieux ;
競って最後の熱を使い尽くし、
私たちの二つの心は 二つの強大な炎となるだろう。
そして、二重の光を反射するだろう
私たち二つの心の中、この双子の鏡の中に。
バラ色と神秘的な青色の、ある夕べ、
私たちはただ一つの閃光を交換するだろう、
一つの長いすすり泣きのように、それには別れの言葉がつまっているのだが。
熱(chaleurs)、炎(flambeaux)、光(lumières)、閃光(éclair)、すすり泣き(sanglot)などの言葉は、身体的な接触からもたらされる感応性を連想させる。
しかし、それが単に身体の次元に留まらず、神秘的な(mystique)次元へと転換される。
その過程でとりわけ注目したいのは、2から1への移行。
四行詩では、nos deux cœurs, deux vastes flambeaux, nos deux esprisと、2が反復され、二人の恋人がたとえ体を重ねているとしても、まだ別々の存在であることが示されている。
それに対して、三行詩に移行すると、un soir, un éclair unique, un long sanglotと、1という数字が強調される。

では、2から1への移行はどのように行われるのか?
二つの炎(deux flambeaux)が二つではなく二重の光(doubles lumières)になるのは、そこに「反射(réfléchiront)」という作用が加えられるからだ。
その結果、私たちの二つの心(nous deux esprits)も、双子の鏡(ces miroirs jumeaux)になる。
そこには、2でありながら1であり、1でありながら2であるような、不思議な空間が生成する。

青色(bleu)に付けられた神秘的な(mystique)という形容詞は、二つの身体が二つでありながら、しかし最後の熱を燃焼することで合一した状態へと昇華し、物質的な次元から精神的な次元へと変化する不思議さを意味するのだと考えることができる。
ただし、そうしたからといって完全に一つのものになってしまうことはない。一つのすすり泣き(un sanglot)に複数の別れの言葉(adieux)が満ちているように、恋人たちは二人の存在であり続けながら、一つに溶け合うことことを願う。
2つめの3行詩は、そして間もなく(Et bientôt)という言葉で始まる。それは、恋人たちが抱き合ったままエクスタシー(恍惚的忘我)に達し、象徴的な意味での死を迎えた時を出発点として、「それから時を経ずに」ということを意味している。
Et bientôt un Ange entr’ouvrant les portes,
Viendra ranimer, fidèle et joyeux,
Les miroirs ternis et les flammes mortes.
まもなく「一人の天使」が扉をわずかに開き、
こちらにやってきて、再び命を吹き込んでくれるだろう、忠実で楽しげに、
曇った鏡たちと、死んだ炎たちを。


鏡(miroirs)と炎(flammes)が恋人たちを指すことは、第2四行詩にはっきりと記されていた。ここでは、鏡が曇る(ternis)だけではなく、炎に死(mortes)という形容詞が付けられ、恋人たちの死が読者にはっきりと告げられる。
扉をわずかに開けて姿を現す「天使は(un Ange)」は、その死んだ恋人たちに再び命を吹き込む(ranimer)。
としたら、恋人たちが再生するのは、肉体的な次元ではなく、精神的な次元だということになる。
死を経て永遠の愛に到達するというテーマは、現実では結ばれない恋人たちが死によって永遠に一つになる「トリスタンとイゾルデ」にも見られる。

「恋人たちの死」は、そのテーマに基づきながら、現実のエロス的な愛から永遠の精神的な愛への移行を、二つの炎の鏡像というイメージを導入することで表現したのだった。
そのことによって、官能性を強く感じさせる映像でありながら、それがある意味では宗教性を帯びているといっていいほど精神的なものへと昇華される。
ボードレールは「死」をその発火点としたのだった。
ドビュシーが曲をつけたLa Mort des amants。
Léo Ferréの歌うLa Mort des amants
Anne Poskinの歌うLa Mort des amants