
アメリカの作家・詩人エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe : 1809-1849)は、本国では人気がなく、彼の文学的な価値はボードレールによって発見されたといっていい。
1849年、ポーはメリーラウンド州のボルチモアに滞在中、場末の酒場で泥酔状態で発見され、そのまま病院に運ばれて亡くなり、その地の墓地に埋葬された。

その後、1875年に記念碑が建てられ、それを機に記念文集も出版されることになり、ステファン・マラルメにも寄稿の依頼がなされた。
それに応えて作られたのが、「エドガー・ポーの墓(Le Tombeau d’Edgar Poe)」と題されたソネ。(その際の題名は「エドガー・ポーの墓に捧ぐ(Au tombeau d’Edgar Poe)」。)この場合、「墓」という言葉は、亡くなった先人に捧げるオマージュを意味する。
マラルメはこの詩の中で、エドガー・ポーを讃えながら、詩人が社会の中で認められず、孤高の存在であることを強調する。そして、ポーを詩人たちを象徴する存在と見なした。
ちなみに、題名のTombeauのT を受け、詩の最初にも « Tel »とTで始まる言葉が置かれ、Poeの名前の後ろにを T 置けば、Poetになる。
Le Tombeau d’Edgar Poe
Tel qu’en Lui-même enfin l’éternité le change,
Le Poëte suscite avec un glaive nu
Son siècle épouvanté de n’avoir pas connu
Que la mort triomphait dans cette voix étrange !
エドガー・ポーの墓
最後に、永遠が彼を「彼自身」に変えるように、
「詩人」は挑発する、抜き身の剣を持ち、
彼の世紀を。恐れおののくその世紀は知らなかった、
死が勝利したことを、あの奇妙な声の中で。
最後に(enfin)という言葉は、詩人が死を迎える時を指す。その時初めて詩人は永遠(l’éternité)に達する。そして、永遠が詩人を彼自身(lui-même)に変容させる。

そのことは、時間が流れる現実の世界において、詩人は本来の姿でいることができないことを意味する。
現実社会では人々は詩人に無理解であり、詩人を排除する。ヴェルレーヌの言葉を借りれば、詩人は呪われた(maudit)存在。そのことは、ヴェルレーヌの詩人論「呪われた詩人たち(Les Poètes maudits)」のマラルメを紹介する章の中に、「エドガー・ポーの墓」が収録されていることによっても示されている。
彼の世紀(son siècle)は、詩人の生きる現実世界、そしてそこに生きる人々。「詩人(Poëte)=Poe(t)」はその世紀を挑発し(susciter)、恐れさせる(épouvanté)。
その際、ポーの記念文集に贈られた「エドガー・ポーの墓に捧ぐ」では、« avec un hymne nu »(裸の賛歌を持って)となっていた。そして、マラルメ自身が英語の翻訳した版でも« with a naked hymn »とあり、その注として、「言葉は死において絶対的な価値を持つ」のが「裸の賛歌」とされている。
それ以降の版では、その部分が« avec un glaive nu »(生身の剣で)と変更され、戦いのイメージがより鮮明になっている。詩人は同時代の無理解な人々と戦い、彼らを恐れさせる(épouvanté)。

この声(cette voix)とは詩人の声であり、詩人が生み出す詩句の音楽。その音楽は、地上に生きる民衆の耳には奇妙(étrange)にしか聞こえない。
しかし、その声は永遠の響きと共鳴している。死が勝利していた(la mort triomphait)とは、詩人の声(voix)が、死後に向かう永遠(l’éternité)の響きを伝えるものであることを示している。
あるいは、エドガー・ポーの詩「大烏(The Raven)」の中で繰り返されるリフレイン« Never more »を指しているのかもしれない。その表現をマラルメは « jamais plus ! »と訳している。
Eux, comme un vil sursaut d’hydre oyant jadis l’ange
Donner un sens plus pur aux mots de la tribu
Proclamèrent très haut le sortilège bu
Dans le flot sans honneur de quelque noir mélange.
彼らは、怪物ヒュドラーのおぞましい跳躍のように、その怪物はかつて天使が
より純粋な意味を、部族の言葉に与えるのを聞いたのだったが、
呪いの言葉だと、大きな声で宣言したのだった。
黒っぽい混合物の不名誉な流れの中で飲まれた、呪いの言葉だと。

第2四行詩では、一般大衆である彼ら(eux)と天使(l’ange)が対比的に描き出される。
天使(l’ange)である詩人は、一般の人々の使用する部族の言葉(les mots de la tribu)に、より純粋な意味(un sens plus pur)を与える存在。
それに対して、一般の人々はヒュドラー(hydre)、つまり巨大な胴体に複数の首を持つ大蛇とされる。彼らはそうした怪物であり、天使が純粋な意味を彼らの言葉に与えるのを聞き(oyant : ouïr)ながら、詩人の言葉を呪い(le sortilège)だと声高に批難し、それらは不名誉(sans honneur)で、黒色(noir)で象徴される悪から派生したものだと見なす。
英語の翻訳につけたマラルメの注によると、黒い混合物(noir mélange)は酒を連想させる表現であり、ポーが酒に溺れ、酩酊状態で死んだことを暗示している。そして、一般の人々にとって、そんな液体の流れの中で飲まれた(bu dans le flot)呪いの言葉、つまりポーの詩は、不名誉なものでしかない。
Du sol et de la nue hostiles, ô grief !
Si notre idée avec ne sculpte un bas-relief
Dont la tombe de Poe éblouissante s’orne
Calme bloc ici-bas chu d’un désastre obscur
Que ce granit du moins montre à jamais sa borne
Aux noirs vols du Blasphème épars dans le futur.
敵対する地面と雲の、おお、なんという争い!
もし我々の思考が、(その戦いと)ともに、刻まないのなら、浅浮き彫りを、
輝かしいポーの墓が飾られるような浅浮き彫りを、
暗黒の災いからこの地に墜落した静かなる塊よ、
せめてこの花崗岩が、永遠に、その境界を示しますように、
未来に撒き散らされる「冒瀆」の、数々の黒い飛翔に対して。
第1三行詩の最初の詩句は、前の8行の内容を総括するものだといえる。つまり民衆と詩人が地面(le sol)と雲(la nue)という言葉で言い換えられる。その二つは敵対的(hostiles)であり、griefの状態にある。
griefは、不平、不満、古語では悪や被害を意味する。ただしマラルメ自身の英語訳によれば« Struggle »という単語が使われていることから、「戦い」という日本語をあてた。

次の5行の詩句は一つの文章を構成する。
主文は最後から2行目の« Que ce granit montre… »(que + 接続法)。「その花崗岩が(・・・)を示しますように」という意味で、マラルメの祈りや願望を伝える。
その花崗岩(ce granit)とは、エドガー・ポーの墓地に建てられた記念碑を指す。最初の行では、それは「この静かな塊よ(calme bloc)」と呼びかけられたものであり、天空で災い(désastre)が起こり、そのために地上(ici-bas)に墜落してきた(chu)ものだと言われる。つまり、ポーあるいは詩人は、天から地上に落ちて来た隕石なのだ。

その存在に対して、多くの人々は無理解であり、将来にわたり「冒瀆(le Blasphère)」な言葉を投げかけ続けるかもしれない。暗い飛翔(les noirs vols)とは、そうした悪口が勢いよく飛ばされる状態を示す。
マラルメは、ポーに対する理解が十分になされてこなかった状況を前提にして、ポーに捧げられた記念碑(静かな塊、花崗岩)が、民衆たちの攻撃的な言葉に対しての境界の石(borne)となり、永遠に(à jamais)、ポー=詩人を守ってくれるようにと祈願する。
ただし、そうした物質的なプロテクトが必要なのは、私たちの思考(notre pensée)が、浅浮き彫り(un bas-relief)を刻まない(ne sculpte)という条件の下でのこと。逆に言えば、思考の中にポーを讃える彫り物が刻まれるのであれば、その方が好ましい。
そのことは、第1三行詩の2つの詩句にちりばめられた3つの言葉によって明示される。
まず、淺浮き彫り(bas-relief)に含まれる reliefは、地と天の戦いを意味する griefと韻を踏み、へこみ(grief)を浮かび上がらせる(relief)。苦痛(grief)が輝き(relief)に変わる。
次に、その淺浮き彫りが飾られる(s’orne)ことで、ポーの墓(la tombe de Poe)は輝きを放つ(éblouissante)。墓は、物質的な記念碑ではなく、思考によるポーの彫像によって輝く。
少し専門的になるが、マラルメがあるところで、墓に乗せられた石の塊が詩人の魂の飛翔を妨げるといったことを書いたとしても、それは思想による彫像との比較であり、「エドガー・ポーの墓」の中で花崗岩が否定的な役割を負っているわけではない。次善の策ではあるが、あくまでも冒瀆に対して限界を画するものなのだ。

「エドガー・ポーの墓(le Tombeau d’Edgar Poe)」は、Poeという名前にtombeauの最初の文字であるTを付け足し、Poetという言葉を連想させることから始める。ポーは詩人そのものなのだ。
現実社会において、詩人は飲酒に溺れ、人々の批難の対象となり、最後には場末で命を終える。呪われた存在であり、詩人の言葉は一般の人々にとっては不名誉な呪いの言葉にすぎない。
しかし、詩人は天空から地上へと落ちて来た隕石であり、一般の人々の言葉により純粋な意味を与える存在なのだ。
ポーはそうした詩人の象徴であり、マラルメは「墓」という詩の形式を利用して、ポー=詩人にオマージュを捧げたのだった。