
漢字に関するサイトを見ていると、「書き順が変わった!」とか、「正しい書き順は存在しないという衝撃的事実!」とか、興味を掻き立てる情報に数多く出会う。そして、さっと読み、素直にうなずいてしまうことがある。
とりわけ、「小学校に通う子供が自分とは違う書き順を学校で習ってきて驚いた」といった体験談が語られると、書き順が変わったという情報を確信してしまう。そして、驚きを共有すればするほど、その情報の真偽を確かめようとはしない。
では、真偽を確認するためには、どのようにしたらいいのだろか?
最初に考えることは、「書き順の変更」とか「正しい書き順」という言葉の前提には、「書き順の基準」があるはずであり、その基準はどこにあるのかという疑問を持つこと。
情報をそのまま信じるのではなく、根拠を問うことが大切になる。
(1)書き順の基準
漢字の書き順に基準があるとしたら、公に認定されたもののはず。私的な書き順をいくら力説しても、一般に受け入れられるものにならないし、まして学校で子どもたちに教える規則にはならないはずだ。
そのように考えると、教育を管轄する文部省の何らかの文書があるに違いないと推測できる。
文部省(現在の文部科学省)関係の資料を探してみると、1958(昭和33)年に発行された「筆順指導の手びき」が見つかる。
この「筆順指導の手びき」に記載されているのは、当時の「小学校配当漢字」881字。
その後、改訂は一度も行われておらず、国からの指示としては、これだけが漢字の書き順=筆順を定めたものになっている。
「まえがき」には、昭和30年前後、学校教育において漢字の書き順が決められた理由が書かれている。
漢字の筆順については、書家の間に種々行われているものや、通俗的に行われているものなどがあって、同一文字についてもいくつかの筆順が行われている 。 このことが、そのまま学校教育にも行われ てているのが現状である。(中略)
これに加えて、昭和23 年4月に当用漢字字体表が告示されるにおよび、 新字体に基く筆順等もあって、小 ・中学校の 現場におけるこの面の指導は、 同一学校、同一学年においても必ずしも統一されているとは言えない。
このような指導上の不統一は、児童 ・生徒に対し筆順を軽視せしめる結果 となるのみならず、教師の漢字指導の効果や能率にも影響するところが大きいと思われる。
(「筆順指導の手びき」「まえがき」)
1958(昭和33)まで、漢字の書き順には明確な決まりがなく、それぞれの集団で慣例的な規則が用いられていた。つまり、「正しい書き順」は存在しなかった。
そのことが教育現場で好ましくないと考えられたために、「小学校配当漢字」の881字について、書き順を統一する決定がなされたのだった。
「本書のねらい」には、書き順の統一は「学校教育における漢字指導の能率を高め、児童生徒が混乱なく漢字を習得する」ことを目的としたものであり、「手びき」に記されていない書き順だとしても間違いではないと、明確に記されている。
漢字の筆順の現状についてみると、書家の間に行われているものについても、通俗的に一般社会に行われているものについても、同一文字に2種あるいは3種の筆順が行われている。特に楷書体の筆順について問題が多い。
このような現状から見て、学校教育における漢字指導の能率を高め、児童生徒が混乱なく漢字を習得するために便ならしめるために、教育漢字についての筆順を、できるだけ統一する目的を以て本書を作成した。 本書においてはとりあえず楷書体の筆順のみを掲げたが、 書体の筆順がわかれば、行書体 についても、おのずとそれが応用され得ると思われる。
もちろん、 本書に示される筆順は、学習指導上に混乱を来たさないようにとの配慮から定められたものであって、そのことは、 ここに取りあげなかっ た筆順についても、これを誤りとするものでもなく、また否定しようとするものでもない。
(「筆順指導の手びき」「本書のねらい」)
私たちは小学校で漢字の書き順を教えられるために、決まった書き順があるものだと思い、それを疑うことはない。しかし、上の一節を読むと、それが単なる思い込みであったことがわかる。
また、次の点を確認することができる。
(1)日本において、漢字の書き順に公式に決まった規則はない。従って、唯一の正しい書き順はないと言っても間違いではない。
(2)学校教育の場で混乱を招くのを避けるために、1958年、小学校で教える漢字881文字については、書き順の規則が定められた。
もし「正しい書き順」というものを想定するのであれば、「筆順指導の手びき」に記されたものがそれに該当する。
しかし、絶対的なものではなく、他の書き順も許容される。
(3)881の漢字以外については、公の規則はない。従って、複数の書き順が存在してもおかしくはない。
(2)書き順の変更はあるのか?
1958(昭和33)に公布された「筆順指導の手びき」以来、漢字の書き順に関する更新がないとするならば、「小学校に通う子供が自分とは違う書き順を学校で習ってきて驚いた」という声について、どのように考えればいいのだろうか?
「上」は書き順が変わった漢字の例としてよく取り上げられる。
例えば、年齢が上の世代では1画目は横線だが、若い世代は縦線から始めるといわれる。

「筆順指導の手びき」を見ると、指定されている書き順は縦線からになっている。

面白いことに、若い世代が、60年以上も前に出された指導書に従って、「上」という漢字を書いていることになる。
その理由は、「手びき」が教育現場に浸透し始めたのは平成に入ってからだということらしい。逆に言えば、それ以前の世代は、「手びき」とは違う慣用的な書き順を教えられていたことになる。
この教え方の変化を捉えて、「書き順が変わった」と言うことができるのかもしれない。
しかし、「通俗的に一般社会に行われているものについても、同一文字に2種あるいは3種の筆順が行われている」という状態があり、以前の小学校では、「手びき」に記された書き順とは違う書き順が教えられていただけともいえる。
2017(平成 29)年に文部科学省から出された「小学校学習指導要領解説:国語編」でも、書き順に関して、以下のような大まかな原則しか記されていない。
筆順とは,文字を書き進める際の合理的な順序が習慣化したもののことである。学校教育で指導する筆順は,「上から下へ」,「左から右へ」,「横から縦へ」 といった原則として一般に通用している常識的なものである。
(小学校学習指導要領解説:国語編」p. 59.)
「文字を書き進める際の合理的な順序が習慣化したもの」という定義は、日本の国語教育において書き順が絶対的な規則ではなく、慣習によっていることを明確に示している。慣習が変化することがあれば、教育現場でもその変化に対応する可能性を排除することはない。
「上」の場合、近年になってからの教育現場で、書き順を、1958年に発行された「筆順指導の手びき」に合わせる方向性が打ち出された、ということになる。
そのように考えると、「書き順が変化した」というよりも、過去の規則を再確認して現状を修正したという方が現実に即している。
(3)脱線する思考
中途半端な知識のために、かえって的外れの方向に走ることもある。「左」と「右」という漢字を例に、その一例を見ていこう。
日本の書き順では、「左」では横線から書き始め、「右」は払いが最初になるとされている。

それに対して、現代の中国では「簡体字」が使われ、、「右」も「左」も横棒から書き始める。台湾でも中国と同じ書き順とされる。
では、どちらが正しく、どちらかが間違っていると言えるだろうか?
語源的に見ると、日本の方が歴史的な書き順を守っている。
甲骨文字の権威である白川静博士によると、「左」の元になったのは「ナ」。その際、横線が最初に書かれた。
「右」の原型となったのは、右手の形を示す「又」。この場合、最初に書かれるのは払い。
ちなみに、「左」の「工」は神に仕える人が持つまじないの道具。「右」の「口」の元になった文字は、神への祈りの詞を入れる器を象っていた。

中国や台湾では、漢字の画数を少なくし、覚えやすい形にした「簡体字」が使われるようになり、書き順もなるべく例外がないようにした。その結果、「右」も「左」も、横線から始められる規則が作られた。

もしも日本の小学校で、最近になって、「右」を横線から書かせる指導がなされているとしたら、中国式の書き順の方が子どもたちにとって覚えやすいということを考慮した結果かもしれない。
いずれにしても、書き順の違いは、それぞれの国の言語政策によって決定されるものであり、どちらが正しいとか間違っているという問題ではない。
しかし、時に、「”同じ字形 ” は同じ筆順」を原則とする中国や台湾の書き順の方が合理性があるとか、極端な場合になると、「右」と「左」の書き順が逆になるのは日本の文部科学省によるローカル・ルールに過ぎず、日本の書き順通りに書かないといけないというのは大嘘だ、といった発言さえ見られる。
確かに、合理性という意味では中国式の方が簡潔でわかりやすい。ただし、その主張の中に一つ誤りが含まれている。それは、「同じ字形」という認識。
1958年の「筆順指導の手びき」において、「右」と「左」の書き順を決めた基準は、語源的なレベルではなく、字形の違いだった。
「手びき」には、「横画が長く、左払いが短い字では、左払いをさきに書く。/ 横画が短く、左払いが長い字では、横画をさきに書く。」という原則が記されている。

この字形を見ると、「右」と「左」は明らかに違っている。「右」では払いが短く、「左」では払いが長く、二つの漢字の字形は同じではない。
当時の文部省が語源説を採用せず、文字の形を基準にしたのには理由がある。
2年間続いた審議会には、大学教授、小中学校の教師、国語研究者、書道家たちが集められ、激しい議論が交わされたらしい。子どもたちに教える書き順なのだから、正しい順番を定めようと各自が考えたことは当然のことだ。「私の流派の書き順を認めないのなら切腹する」といった発言をする書道家も現れ、審議は紛糾を極めたという。
そうした中で、文部省の職員だった江守賢治から、一定の原則から出発するという提案がなされ、以下の原則が決められた。
「1. 上から下へ 2. 左から右へ 3. 横画が後(横画と縦画とが交差した時は、「田」と「田」の発展した文字に限って、横画を後に書く) 4. 横画が先(横画と縦画とが交差した時は、ほとんどの場合、横画を先に書く) 5. 中が先 6. 外側が先 7. 左払いが先 8. 貫く縦画は最後 9. 貫く横画は最後 10. 横画と左払い(横画が長く、左払いが短い字では、左払いを先に書く/横画が短く、左払いが長い字では、横画を先に書く)」
この原則は、すべて形に関するものであり、語源的な考慮は入っていない。
こうした現実を振り返ってみると、語源説の一つだけを正しいとしたり、中国の書き順の方が合理的だとして、右と左の文字の形の違いを見ないといったことは、知識に基づきながら横道にずれていく議論だということが見えてくる。
日本において、公に決まっているのは、「筆順指導の手びき」で取り上げられた881の漢字に関する書き順だけ。それらについても、絶対的なものではなく、他の書き順も許容される。
それ以外の漢字に関しては、慣用的な書き順が様々なところで提示されているのだが、一つの漢字に対してどれか一つが正しい書き順として認定されているわけではない。
(4)きっかけから確認へ
私たちは小学校で漢字の書き順を教えられた経験があるために書き順には興味があるし、知っていると思っていたことが違っているという情報があれば、大変に面白く思う。
「正しい書き順は存在しないという衝撃的事実」
「漢字の書き順は変わったのか?」
「書き順が世代によって違う」
こうした見出しは人目を引き、書かれていることをそのまま信じる人も多くいるだろう。
時には、「文科省のローカル・ルールにすぎない書き順通りに書かないといけないという大嘘」といった誇張した言葉を目にし、システムに反対だと主張する人、いわゆる陰謀論者であれば、思わずその説に飛びついてしまうかもしれない。
その上、こうした情報は常識だと思っていることに風穴を開けるために、他の人にも伝えたくなる。
しかし、情報が飛び交っている現代社会では、情報の根拠を確認することが必要になっている。
日本で最初に漢字を用いて書かれた書物は『古事記』。太安万侶が編纂し、712(和銅5)年に元明天皇に献上されたとされている。
それ以来1300年以上の間漢字が使われ続けているが、書き順に関しては基本的には慣用に委ねられてきた。1958年に行われた文部省の通達も強制力を持ったものとはなっていず、2017年の小学校用の国語指導要領では、さらに緩やかな基準が示されている。
そうした中で、もし「正しい書き順」という言葉を使うとしたら、「筆順指導の手びき」で示された書き順ということになる。何度も繰り返すことになるが、それだけが国から認定されたものだからだ。
また、そこで取り上げられた881文字以外は、一つの漢字に対して複数の書き順が併用されている可能性が大きい。
以上が、漢字の書き順を巡る現在の日本の現状だといえる。
発言の根拠を確認し、事実に即していく思考は、長くて分かりにくく、面白くないと感じられるかもしれない。しかし、SNSやyoutubeだけではなく、テレビや活字メディアでも、その場その場で根拠のない発言が数多く発信されている現状の中で、こうした思考訓練もしておきたい。
多少誇張されていたとしても面白いし、話のネタになる情報は、根拠に基づいて考察することを促す「きっかけ」になる。
そのように考えると、思考訓練のスタート地点があらゆるところに置かれていることになる。