人種(race)という言葉に潜む意識

「人種(race)」という言葉は一見すると価値判断を含まず、「皮膚の色や頭の骨など目に見える身体の特徴を基本にして人間を分類」するという意味を持つ、ニュートラル言葉だと思える。

「人種」は、元々は一族の先祖から子孫までを含むメンバー全体を意味していたと考えられている。そこから、17ー19世紀を通して、身体の外見的な特徴に基づき一定の人間の集団を指すようになった。
そして、その時期が、ヨーロッパの国々が植民地政策を強めていったと重なることを知ると、ある価値判断が入っていることに納得がいく。

当時のヨーロッパ諸国の植民地主義は、大まかに言えば、ヨーロッパとアフリカ大陸とアメリカ大陸を結ぶ「三角貿易」をベースにしていた。
ヨーロッパからアフリカに工業製品を運び、アフリカから黒人奴隷を積み込んで西インド諸島や北アメリカに運ぶ。そこからタバコ、綿花、砂糖といった農産物をヨーロッパに運ぶ。こうした交易のもたらす富みが、産業革命を推進した。
この地理的三角形において、底辺にはアフリカ大陸とアメリカ大陸があり、頂点に置かれるのがヨーロッパであることは言うまでもない。

植民地化や奴隷貿易といった非人道的な政策が行われたこの時代、他方では、デカルトを始めとした哲学者や思想家が数多く出現し、人間における理性の価値を強調し、フランス革命のスローガン「自由、平等、友愛」へとつながる啓蒙思想が育まれていた。

この二つの現象のズレの出所を探ることで、21世紀まで続く世界のあり方が見えてくる。

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ジョアシャン・デュ・ベレーの遺骨 ノートルダム・ド・パリで発見!Joachim du Bellay à Notre-Dame de Paris

16世紀のフランスで、ピエール・ド・ロンサールとともにプレイヤード派の礎を形成した詩人ジョアシャン・デュ・ベレー(Joachim du Bellay, 1522- 1560)の墓が、2024年9月、パリのノートルダム寺院で発見された。

Les fouilles archéologiques à Notre-Dame ont permis de découvrir une sépulture qui pourrait être celle du poète Joachim du Bellay, dont on sait qu’il a été inhumé dans la cathédrale sans connaître l’emplacement exact, ont indiqué des chercheurs de l’Inrap lors d’une conférence de presse mardi 17 septembre.

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「数」が見えなくするもの  ベルクソン『時間と自由』 Henri Bergson Essai sur les données immédiates de la conscience

「数を数える」ことは誰もがいつもしている。しかし、そのことで、「見えているもの」が見えなくなることに気付くことは少ない。

家の近くには、アカとシロという地域ネコがいる。アカはキジシロだし、シロは白いネコ。性格も行動パターンも違うし、考え方もたぶん違っている。二匹にははっきりとした個性の違いがある。
そのネコたちについて誰かに話すとき、「家の近くに二匹のネコがいて」と言うのはごく普通のことだ。

その際、ネコがいることと同じ程度に、「2」という「数」に、言葉の焦点が当たる。そして、その時点では、アカとシロの違いは問題になっていない。
つまり、違うものを足し算する時、それぞれのもの自体の存在は「数」の後ろに追いやられていることになる。

アンリ・ベルクソンの『意識に直接与えられたものについての試論』(英語訳の題名『時間と自由』)を読んでいて、そうした「数」の不思議について気付かされる一節があった。

 Il ne suffit pas de dire que le nombre est une collection d’unités ; il faut ajouter que ces unités sont identiques entre elles, ou du moins qu’on les suppose identiques dès qu’on les compte. Sans doute on comptera les moutons d’un troupeau et l’on dira qu’il y en a cinquante, bien qu’ils se distinguent les uns des autres et que le berger les reconnaisse sans peine ; mais c’est que l’on convient alors de négliger leurs différences individuelles pour ne tenir compte que de leur fonction commune.
   ( Henri Bergson, Essai sur les données immédiates de la conscience, chapitre II. )

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柔道を始める小さな子どもたち mini-judokas 

フランスでは、オリンピックの後、3歳くらいの小さな子供たちが柔道をするようになったというニュース。

En cette période de rentrée, nos enfants ont repris leurs activités extrascolaires.
Et après cet été olympique, les disciplines dans lesquelles les Français ont excellé ont le vent en poupe.
Le judo en fait partie et il séduit notamment les plus jeunes.
Certains clubs proposent même des cours dès l’âge de trois ans. Ils n’ont qu’une seule envie, celle de faire comme les grands.
Fouler le tatami, s’entraîner très dur pour espérer devenir Teddy Riner, quintuple champion olympique de judo.

世論の「からくり」 「みんな」を作る仕組み

2002年に出版された高橋秀実の『からくり民主主義』は、1995年から2002年までの間に日本各地で話題になった出来事を扱ったジャーナリスム的な内容を持った本。
時事的な話題を扱うジャーナリスムの宿命もあり、例えば、横山ノックのセクハラ事件やオウム真理教の問題などは、2024年にアクチュアルなテーマとはいえなくなっているために、当時のことを知らない読者にはそれほど興味がない読み物になっているかもしれない。

他方、出版後20年以上を経た時事的な本であっても参考になると思えることがある。それは一つ一つの事件に対する一貫した姿勢。それを一言で言ってしまうと、「結論がない」ということ。白黒を付けるのではなく、どのように白黒が付けられるのかという「からくり」=仕組みを明らかにしようとする姿勢だ。

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マルクス・ガブリエル 「新実存主義」 われわれはある人格になりたいと望み、またそう望むことでその人格へと変わっていく 

1980年生まれの哲学者マルクス・ガブリエルの『新実存主義』(廣瀬覚訳、岩波新書)は、サルトルの実存主義と同様に、「意識」を人間の中心に置き、人間とはどのような存在であるかを解き明かそうとする試みとして読むことができる。

マルクス・ガブリエルは、日本の出版界やマスメディアで、” 哲学のロックスター”とか “天才哲学者 “というレッテルで紹介され、世界的なベストセラーといわれる『なぜ世界は存在しないのか』は日本でもかなり売れたらしい。

ただし、哲学書を読むと常に感じることだが、専門用語が多く使われ、一般の読者にはあまり分かりやすいものではない。これまでの哲学の歴史を踏まえ、マルクス・ガブリエルの場合であれば、唯物論的な科学主義を仮想敵として前提にした上で、自説を展開する。そのために、なかなか要旨を掴むことができない。

 新実存主義が掲げる根本の主張は次のようなものである。(中略)われわれは、物理的法則が支配する無生物と、生物的パラメーター によって突き動かされる動物であふれた世界にただ溶け込んで生きているのではない。人間のそうした特異なあり方をさまざまなかたちで説明できるのが心的語彙であり、その説明能力をもつかぎりで心的語彙はひとつのグループとしてとらえることができる。
       (マルクス・ガブリエル『新実存主義』、p. 16-17.)

この文章を読んでも、新実存主義の主張は分かりずらい。
「生物的パラメーター 」や「心的語彙」といった用語が何を意味するのかよく分からないし、「動物であふれた世界にただ溶け込んで生きているのではない」という表現も、何を意味しているのかはっきりしない。

ここでは、新実存主義(Neo-existentialism)という用語に注目し、人間という「存在(実存:existence)」についてマルクス・ガブリエルがどのように捉えているのか、そして彼の人間観が私たちに何をもたらしうるのか、具体的な例にそって考えてみたい。

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What a wonderful world 「この素晴らしき世界」とその背景

ルイ・アームストロングが歌うWhat a wonderful worldは、「この素晴らしき世界」という曲名で日本でもよく知られている。
歌詞を辿ると、穏やかで美しい世界の様子が描かれ、« I see friends / shaking hands / saying,”How do you do ?” / They’re really saying / “I love you”と、愛を歌っている。

ほぼ同じ題名の曲( What a ) Wonderful world が、サイモンとガーファンクル、そしてジェームズ・テーラーによって歌われたことがある。
学校で勉強する色々な教科のことはよくわからない(Don’t know much about … )し、自分は成績がいい生徒(’A’ student)ではないけれど、でも、1+1が2ってことは知っているし、ぼくが君を愛していることも知っている、だから、その1が君と一緒で、君がその1である僕を愛してくれたらいいなと、こちらの歌も愛を歌っている。

どちらの場合も、youが大好きな君であるのが最初の意味だが、その背景にはもっと大きなyouがある。二つの曲の背景にあったのが、差別や偏見に満ち、戦争が起こり、人間と人間が対立する社会情勢だったことが分かると、歌の意味がもっとはっきりと伝わってくる。

最初に、ルイ・アームストロングとアート・ガーファンクルたちの歌を聴いてみよう。

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プロパガンダ 受け取った情報を他の人に伝えたいと思わせる方法

NHKのドキュメンタリー「映像の世紀 ゲッベルス 狂気と熱狂の扇動者」を見た。
ゲッベルスは、アドルフ・ヒットラーの下で、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が国民の熱狂的な支持を獲得するために大きな役割を果たした宣伝大臣。
NHKの番組紹介には、次のように書かれている。

ベッベルスのプロパガンダの方法は、SNSが通常のコミュニケーション手段となった現在において、そのまま通用する。

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カミュ 『シーシュポスの神話』 Albert Camus Le mythe de Sisyphe 幸福なシーシュポスとは

シーシュポスは、ギリシア神話の登場人物で、非常に賢いと同時に狡猾であるともされる。
彼は何度も神々を欺き、とりわけ、死の神タナトスを鎖で縛り人間の死を停止させたために、神々の激しい怒りを買ったエピソードが知られている。

そして、そうした神々に対する反抗のために捉えられ、地獄で罰を受けることになる。その罰とは、大きな岩を山の頂上まで運び上げるというもの。一旦頂上に近づくと岩は麓へと落下し、シーシュポスは再び岩を山頂まで運ばなければならない。そして、その往復が永遠に繰り返される。

アルベール・カミュはその古代ギリシア神話の登場人物を取り上げ、『シーシュポスの神話』と題された哲学的エセーの中で、「不条理(absurde)」という概念を中心にした思想を提示した。
シーシュポスは「不条理なヒーロー(le héros absurde)」なのだ。

不条理は人間の生存そのものであり、それは悲劇的なことだ。
しかし、その悲劇は悲劇だけでは終わらない。そのことは、エセーの最後が、「シーシュポスを幸福だと思い描かなければならない」という言葉で終わっていることでも示される。
ここでは、悲劇から幸福への転換がどのような思考によって可能になるのか探っていこう。

エセーは、シーシュポスの神話の概要を簡単に紹介することから始まる。

 Les dieux avaient condamné Sisyphe à rouler sans cesse un rocher jusqu’au sommet d’une montagne d’où la pierre retombait par son propre poids. Ils avaient pensé avec quelque raison qu’il n’est pas de punition plus terrible que le travail inutile et sans espoir. 

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