世論の「からくり」 「みんな」を作る仕組み

2002年に出版された高橋秀実の『からくり民主主義』は、1995年から2002年までの間に日本各地で話題になった出来事を扱ったジャーナリスム的な内容を持った本。
時事的な話題を扱うジャーナリスムの宿命もあり、例えば、横山ノックのセクハラ事件やオウム真理教の問題などは、2024年にアクチュアルなテーマとはいえなくなっているために、当時のことを知らない読者にはそれほど興味がない読み物になっているかもしれない。

他方、出版後20年以上を経た時事的な本であっても参考になると思えることがある。それは一つ一つの事件に対する一貫した姿勢。それを一言で言ってしまうと、「結論がない」ということ。白黒を付けるのではなく、どのように白黒が付けられるのかという「からくり」=仕組みを明らかにしようとする姿勢だ。

その反対には、立場をはっきりとさせる姿勢がある。
高橋秀実は、「終章」の中で、こんな風に言う。

話をわかりやすくするために、人々の立場をはっきりさせるという方法があります。賛成派、反対派などと線引きするのです。(p. 268.)

この本の最後に置かれた「僕らの生きている困った時代」と題された解説の中で、村上春樹は「立場をはっきりさせる」姿勢を次のように描いている。

「はい、これはこういうことですね。AをすることがBに強く求められています。はい、次のニュースです。」と言ってくれるような、にこやかで親切なテレビのニュースキャスター。(p. 277.)

2024年の日本のマスメディアやSNSでは、20年以上前よりもずっと数多くの「親切な」コメントが溢れている。

そうした状況に対して、高橋秀実は、いい者と悪者をはっきりと分け、いい者の立場に立って悪者を断罪するというアプローチを取らない。
最初に引用にした文の後には、彼の視点をはっきりとわからせてくれる文が続く。

しかしこれも「実は・・・」の世界に入ると、境界がはっきりしなくなる。例えば、沖縄では「基地反対」という立場があり、一方に「基地に既存」する立場がある。両者のせめぎ合いという単純な構図が考えられますが、「反対」で生計を立てている人がいたり、反戦地主の市長が基地を受け入れたり、実際に線引きを始めると人数の分の線が必要になってくるのです。(p. 268.)

要するに、現実はとても複雑で、様々な立場が入り組み、善・悪や賛成・反対が単純な二元法では決められない。


高橋秀実は、「世論」や「国民の声」の作られ方について、次にように説明する。

 からくり民主の「民」は「みんな」です。「みんな」が主になるのが「民主」。よく選挙などで、政治家が「国民が主役です」などと連呼しているお決まりの考え方です。聞こえはよいが、これには矛盾があります。全員が主役になると主役はいないのと同じだからです。そこで「からくり」が必要になるのです。(p. 269.)

日本だけではなく、最近ではフランスでも、「民衆(le peuple)」が主役だとか、「民衆の声こそが正義」とか言われることがあり、しかもそう主張する人々は、「私」が民衆そのものだと思っている風でもある。

現代において、「みんな」は「主役」と言われることで形成される。

一人ひとりとは別に「みんな」をつくって、それを主役にするのです。テレビ局や新聞社が躍起になって世論調査をするのも、「みんな」をつくるためです。「世論」「国民感情」「国民の声」などと呼ばれるもので、こうして主役を固定し、自分たちはその「代弁」という形で発言するのです。要するに、「みんな言っている」「みんな思っている」と後ろ盾を用意するわけです。「誰が何と言おうが・・・」という発言は自分勝手、と排除されますが、「みんな」を主にすれば、恐いものなしです。「みんなが嫌っている」と拡げれば本当に嫌われ者が誕生するように、政治、マスコミから世間話に至るまで、日本人はとても「民主」的なのです。(p. 269.)

ここでは「日本人は」と書かれているが、アメリカの大統領選挙やフランスの各種の選挙の様子を見ていると、多くの国々が同じ状態にあることがわかる。

しかも、SNSが拡散するにつれて、「みんな」の範囲が限定的で小さなものになっている。
しかし、その中にいるかぎり、小さな集団が「みんな」であり、その中での発言はそのまま肯定されるために、発信者の自己確認につながる。そして、そのためにますます自分の属する輪から出ることはなくなる。

その一方で、自分とは異なる言葉は自己確認を妨げるために、敵対的なものでしかなく、輪の外の他者に対して攻撃的になる。
その攻撃は、多くの場合、言葉によるものだが、時には物理的、身体的なものにまで拡張する。
そして、たとえ犯罪に問われたとしても、決してそれを悪だとは考えない。なぜなら、自分は「みんな」の側にいて、「みんな」は自分を支持していると考えるからだ。

現在は社会が分断した時代と言われるが、そのあり方の一端は、2000年前後に高橋秀実が明らかにした「みんな」を作る「からくり」から理解することができる。

2024年9月の日本では、自民党の総裁選挙と民主党の党首選挙が話題となり、テレビ、紙媒体のメディア、youtube、SNSなどで、意識的あるいは意図せずに、一見すると「みんな」を背負ったような発言によって、「みんな」の意見を形成しようとする発信が蔓延している。
兵庫県知事に対しては、審議をする委員会の結論が出る前にレッテルが貼られ、あらゆる媒体で断罪が行われている。

こうした現実の社会情勢に立ち会いながら、「世界」も本と同じように「読む」対象だと見なすと、「みんな」がどのように形成されていくのかを観察し読解していくのも、楽しい「読書」になる。

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