日本における漢字の導入と仮名の発明 3/4 仮名の成立から確立へ

(6)仮名の成立

平仮名と片仮名は9世紀から10世紀にかけて、漢字を変形して作られたとされている。そのはどちらも表音文字という点では共通しているが、使用目的には違いがあった。

片仮名は、学僧たちが漢文を和読する補助として、文字の音を示すために、漢字の一部の字画を省略して付記したことから始まる。

平仮名に関しては、文字を早く書くためというのが、一般的に認められる考えになっている。
正式な文書であれば漢文で書いた貴族や官吏たちが、私的な文書になると、より簡潔に早く書くために、複雑な漢字を崩した書体で書くようになる。その過程で、字画が簡略化された字体が平仮名として定着していったと考えられている。

「仮名」という名称は、漢字を指す「真名」が「正式な文字」だとすれば、「仮の文字」を意味する。
ここでは、平仮名が発生する段階と、日本で発明されたその書記表現が確立した状況を見ていこう。

A. 平仮名への第一歩

「藤原有年申文(もうしぶみ)」は、漢文の中に仮名が姿を現す文書として、最古のものと考えられている。
その文書は、讃岐国司だった藤原有年(ふじわらのありとし)が、改姓を願うために太政官に提出したもので、平安時代初期、867年に作成された。

文字をたどっていくと、一部の漢字の形が単純化され、平仮名の形に近くなっていることを確認できる。
「末→ま」、「不→ふ」、「止→と」、「毛→も」 「於→お」
「以止→いと」(この二文字はほとんど続き文字のようになっている。)

では、これを漢字と平仮名とが混ざった文と考えていいのだろうか?
それとも、平仮名と見える文字は、漢字の形を崩しただけなのだろうか?

その問いに答えるためは、問題の文字の前後を考える必要がある。
1. 「ま」 之多未波天  —  申したまはむ:「申」の最初の音「ま」(現在の「も」)
2. 見太未「ふ」 — 見たまふ:送り文字「たまふ」の最後の音
3. 波可利「と」奈毛 — ばかりとなも:「ばかり」と「なも」をつなぐ助詞「と」
4. 「おもふ」 — 思う:漢字「思」と送り文字「う」(「も」は「毛」のようにも見える。)
5. 「いと」興可良無 — いと良からむ:副詞「いと」

このように見てくると、平仮名と見える文字には、原則的な使い方の規則がないことがわかる。従って、それらの文字は、藤原有年が、複雑な漢字を崩した書体で書いたのではないかという推測も成り立つ。

その一方で、平仮名の成立への第一歩を見て取ることもできる。
漢字の場合には、例えば、「ふ」という音を表すために、「不、夫、父、付、布、歩」など、数多くの可能性がある。
その上、「不」を使った場合、 呉音 では「う、ほち」と発音されるし、漢音であれば、「ふう、ふつ」と発音される。
漢字を日本語の書記記号として使うことは、発音の上でも、意味の上でも、不確定要素が多すぎるのだ。

それに対して、仮名は表音文字であり、一つの仮名文字に対して一つの音が決まっている。
「ふ」という文字の音は一つであり、表音文字なので意味には関係しない。
漢字を表音文字として使う場合と比較して、いかに簡潔で明瞭かがわかる。

その有用性が平安時代の人々に理解され始めたとすると、残る問題は、文字の形を決めることになる。
「藤原有年申文」では、「ふ」の音には「不」の漢字を崩した形が2度、「も」の音には「毛」を崩した形が2度、使われている。
その崩しは、藤原有年がたまたま急いで書いたために出現したのかもしれないが、他方で、すで崩しの形が徐々に一般化する過程にあったのかもしれないと推測することもできる。

いずれにしても、「藤原有年申文」において、私たちは平仮名らしい文字の存在を確認することができる。

B. 平仮名による文の成立

平仮名は平安時代に急速に定着した。そのことは、905年に編纂された『古今和歌集』に、「真名序」とともに、「仮名序」が付けられていることからも見て取ることができる。

「真名序」の「真名」とは漢文のことであり、実際、紀淑望によって記された序は漢文で書かれている。その冒頭の一文。

夫原文者託其根於心地発其華於詞林

それ和歌は、その根を心地に託け、その花を詞林に発くものなり。
(現代語:そもそも和歌というものは、その根源を心という地面に支えられ、言葉という林に開いた花である。)

この「真名序」に対して、紀貫之によって書かれた「仮名序」は、ほぼ全てが平仮名で書かれていたとされる。
「全て」と言えないのは、『古今和歌集』の原典が失われ、後世に筆写された各種の伝本だけしか伝わず、それらには文字にばらつきがあり、確実なことが不明なため。
ここでは、「仮名序」の主旨を踏まえ、冒頭の一文を全て仮名で記すことにする。

やまとうたはひとのこゝろをたねとしてよろつのことのはとそなれりける

(現代語:やまとうたは 人の心を種として 万(よろず)の言(こと)の葉とぞ なれりける)

ここで二つの点に注目したい。
一つは、平安時代において、漢字が「真名」、つまり「真の言葉」であり、仮名は「仮の言葉」でしかないという意識だったこと。

もう一つは、仮名で、真名で書かれた序に匹敵する序を書くことができたこと。
31音の和歌だけではなく、 『古今和歌集』の核心となる内容を、「仮の文字」だけで表現することができた。そのことは、10世紀の初頭にはすでに仮名の価値が認められたことを証明している。

漢字という輸入品ではなく、漢字の形を崩して簡素化したものかもしれないが、日本において発明された文字が確立したことは、日本の文化にとって大きな意味を持っている。

(7)漢字仮名併用の意味と意義

『古今和歌集』の「仮名序」は、仮名が日本語の書記表現として確立したことの証拠となる。しかし、それ以降、漢字の使用が廃止され、仮名だけで文を書くことはなかった。実際、現在でも仮名と漢字は併用されている。その理由はどこにあるのだろう。(続く)

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