(2)不条理な生
アルベール・カミュの作品にはしばしば「不条理」というレッテルが貼られる。そこで、不条理とは何かを調べてみるのだが、説明が抽象的で、ピンとこないことが多い。
ある辞書の定義では、「事柄の道筋が立たないこと」と簡潔に記され、「人生の不条理」という例が挙げられている。
哲学の用語としては、「世界に意味を見いだそうとする人間の努力は最終的に失敗せざるをえない。そのような意味は少なくとも人間にとっては存在しないからである。この意味での不条理は、論理的に不可能というよりも人間にとって不可能」といった言葉で説明される。
カミュが不条理について哲学的に考察した『シーシュポスの神話』でも、「この世界自体は合理的なものではない。不条理というのは、不合理なことと明晰さを求める激しい欲望との対立である。その欲望の訴えかける声が、人間の最も深い部分で鳴り響いている。不合理であることと明晰を求める欲望の間のズレが大きくなるほど、不条理は大きくなる。」といった説明がなされている。
これらの説明では「不条理」という言葉が何を意味しているのかはっきりしないし、私たちにとってどのような意味があるのかもわからない。
そこで、もう少し具体的に考えてみよう。
例えば、理性や人間性の不合理を追求したカミュの代表作とされる『異邦人』において、主人公ムルソーは、母の死に無関心なように見え、明確な動機もなく殺人を犯し、裁判で死刑を宣告されながら幸福であると感じる。
では、ムルソーの行為や感情が「馬鹿げたこと」=「不条理」なのだろうか? もしそうではないとすると、何が「不条理」なのだろう?
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