ロココ絵画と浮世絵 フランソワ・ブーシェと鈴木春信

18世紀に描かれた二枚の絵画を見てみよう。どちらも美しいが、表現はまったく違っている。

一枚は、ロココ絵画を代表する画家フランソワ・ブーシェの「ベルジュレ夫人」。1766年頃に描かれた。
もう一枚は、錦絵の創始者とされる鈴木春信の多色刷り木版画「雪中相合傘」。1767年頃に制作された。

ブーシェの作品は、現実がそのまま再現されているかのように見える。
これはブルボン王朝の宮廷に集う女性の一人、ベルジュレ夫人(マルグリット・リシャール)の肖像画であり、彼女の纏うドレス、手を置く机、その上に置かれたバラの花、彼女を取り囲む花や木の葉など、すべての質感が手に取るように感じられる。

ロココ絵画の特色は、繊細で優美な表現にあると言われるが、それはまさにヴェルサイユ宮殿の貴族趣味を写し取ったものであり、私たちはまるでルイ14世やマリー・アントワネットが生きた宮廷にタイムスリップしたかのような気持ちになる。
たとえそれが理想化された光景であったとしても、それほどまでにリアルな印象を与えるのである。

ポンパドール夫人の肖像画も同様のリアルさを持って描かれている。

ポンパドール夫人の服や、左手の下に置かれた机の質感は、「ベルジュレ夫人」のものとは明らかに異なっている。

また、現代の視点から見れば当然のことだが、肖像画とはモデルとなった人物を再現するものであり、たとえ二人の女性の顔立ちが似ていたとしても、それぞれが別の人物であることは明瞭にわかる。

こうした、一見して当たり前のことをあえて取り上げるのは、日本の絵画において「現実を再現する」つまり写実的な表現が、必ずしも当然のものではなかったことを示したいためである。

「雪中相合傘」をロココ絵画の横に並べて見ると、その違いは一目瞭然である。
二人の人物の顔は様式化されており、ほとんど同じように描かれている。そこには、モデルの顔を忠実に写し取ろうとする意図は感じられない。

一般的には、黒い着物を着た人物が男性、白い着物の方が女性とされ、愛し合う二人が雪の中で一つの傘をさし、心中へと向かう道行きの場面だと解釈されている。
しかし、二人の顔はほとんど同じに見えるうえ、男性と女性の区別もはっきりしない。

同じ鈴木春信の「鶏に餌をやる男女」でも、若い男女の逢い引きの場面が描かれているが、二人の顔には違いがない。
そのため、何の知識もなくこの浮世絵を見れば、二人の娘が鶏に何かを与えている場面だと受け取るだろう。
しかし、江戸時代には武士の頭に「月代(さかやき)」と呼ばれる剃った部分があったことを知ると、縁側に座る人物の頭に小さく禿げた箇所があることに気づき、その人物が男性であるとわかる。

一方、「雪中相合傘」では、黒い着物の人物も、相合い傘の中の女性と同じく「お高祖頭巾(おこそずきん)」を被っているため、頭髪が見えず、二人がともに女性なのか、一方が男性なのか、判然としない。
このことから、意図的に謎が残されていると考えることもできるだろう。

「雪中相合傘」にしても「鶏に餌をやる男女」にしても、人物の顔は類型化されており、モデルの顔を忠実に再現することを目的としたものではないことがわかる。
このことは、日本では伝統的に、事物を写実的に表現することで対象を再現しようとはしてこなかったことを示している。

では、日本の絵画はどのような美を生み出してきたのか。

「雪中相合傘」において、画面中央に立つ二人の衣装は、白と黒の対比によって構成されている。さらに、その上で着物の裾や帯には赤色の模様が添えられ、色彩の組み合わせが映像美の中心を成しているといってよい。

加えて、一見すると無地に見える白い着物には、表面に凹凸をつける**空摺(からずり)**という技法が用いられており、立体的な柄が施されている。
しかも、黒い頭巾と着物、白い頭巾と着物に施された空摺の布目はすべて違うものが使われ、鈴木春信が細心の注意を払って装飾を施していることがわかる。。


また、降り積もる雪の厚みを表現するためには、紙の表面を盛り上げる「きめ出し」という技法が用いられている。

このように、非常に繊細で微妙な変化を加えることで、実際の着物や雪そのものを再現するのではなく、映像的な美を生み出している。
そこに描かれているのが誰であっても、どこであってもよい。映像としての美が成立すれば、それがすべてだったと言ってよいだろう。


「ベルジュレ夫人」と「雪中相合傘」、この二つの美は、いずれも繊細で、優美であり、洗練されている。
しかし、その表現方法は対照的である。
ロココ絵画は18世紀宮廷の美しさをもとに、その現実をさらに美しく表現しようとした。
他方、日本の伝統的な絵画が目指したのは、形と色の組み合わせによって生まれる、純粋に映像としての美である。そして、鈴木春信は、その伝統を江戸時代中期に受け継いだ浮世絵師の一人だった。

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