黄泉比良坂(よもつひらさか)

黄泉比良坂(よもつひらさか)は、『古事記』(712年)の記述によれば、「今の出雲国の伊賦夜坂(いふやざか)なり」とあり、現在の地理では島根県松江市東出雲町揖屋(いや)にあたる。

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『古事記』によれば、神産みの最後、イザナミは火の神を生んだことが原因で「神避(かむさ)りましき」、すなわち死んでしまう。深く悲しんだイザナギは、亡き妻に会うために黄泉国(よみのくに)へと赴く。しかし、イザナミの「姿を見ないでほしい」という願いに背き、彼女の体にウジ虫がたかり、雷神が取り憑いている姿を見てしまう。

恐怖におののいたイザナギが逃げ出すと、イザナミは「吾(あ)に辱(はじ)見せつ」、すなわち「私に恥をかかせた」と怒り、醜女や雷神に追わせ、最後には自ら夫を追って黄泉比良坂で対峙する。そこでイザナギは、巨大な千引(せんびき)の岩を二人の間に置き、死者であるイザナミの世界と、生者であるイザナギの世界の境界とした。

黄泉比良坂には今もなお、生と死の起源を物語る、1300年余り昔の神話の気配が息づいている。

『日本書紀』の本文には、イザナミとイザナギが黄泉国に赴く挿話は語られていない。しかし、本文に付されたいくつかの「一書」には、『古事記』の物語と類似した説話が見られる。
そこには、黄泉比良坂で両神が対峙する場面も含まれており、イザナギが「此(これ)よりな過ぎそ」、すなわち「ここから先へは入ってはならぬ」と言いながら杖を投げる場面が描かれている。この杖は「岐神(ふなとのかみ)」とされ、後に道の分岐点に祀られる道祖神、すなわち塞の神(さえのかみ)と考えられる。

伊賦夜坂(いふやざか)を通る際には、この塞の神に小石を積むという風習があるとされ、現在でもその坂には小さな石が積まれている。

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