島根半島西端の海岸線には、出雲神話の舞台となった「稲佐の浜」と「日御碕(ひのみさき)」がある。
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稲佐の浜は、出雲大社の西方1kmにある海岸で、神在月(かみありづき:旧暦10月10日)には、日本全土の八百万の神々を迎えるとされている。


稲佐の浜の一角には弁天島という小さな島がある。


頂上付 近に小さな祠と鳥居が置かれている。
かつては仏教の守護神の一柱である弁財天が祀られていたが、明治維新時の神仏分離政策の影響もあって、明治時代以降は、『古事記』や『日本書紀』において海神・大綿津見神(オオワタツミ)の娘とされる豊玉毘売命(トヨタマビメノミコト)に祀り替えられた。
豊玉毘売命は火遠理命(ホオリノミコト)と結ばれ、神武天皇の父である鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)を産んだ。


出雲大社と稲佐の浜のほぼ中間地点に、出雲阿国の墓がある。
出雲阿国(いずもの おくに、1572 – 没年不詳)は、出雲大社の巫女であったが、後に京都で念仏踊りを上演して人気を博し、江戸時代初期の1603年に「かぶき踊」を始めたとされる。彼女は、後の歌舞伎踊り(芝居)の創始者と考えられている。


日御碕(ひのみさき)は島根半島の西端に位置し、約1,600万年前に噴火した流紋岩の多様な産状を観察することができる。

積み木を束ねたような形状をした流紋岩は「柱状節理(ちゅうじょうせつり)」と呼ばれ、流出した溶岩が冷却する過程で割れて形成されたもの。




白亜の建物は、1903年に設置された日御碕灯台。
地面から塔頂までの高さは43.65mで、石造りの灯台としては日本一の高さを誇る。


灯台の立つ流紋岩の平坦面は、更新世に形成された海岸段丘面で、下の部分は浸食されて谷の形になり、海底にまで続いている。


海岸沿いに立つ石碑には、坂村真民の詩が刻まれている。
坂村真民(さかむら しんみん:1909 – 2006)は、一遍上人を敬愛し、弱者に寄り添い、癒しと勇気を与える詩を創作したと言われる詩人。

日御碕に立つ/日本海に/夕日が沈むまで/立っていた
大宇宙大和楽の念唱を/唱えながら/夕日に染まり/立っていた