日本人にとって神(カミ)とは、どのような存在なのだろうか。

現代の私たちは、神と仏をほとんど区別せず、お寺でも神社でも手を合わせるし、キリスト教の教会やイスラム教のモスクに行っても、それぞれの場のしきたりや雰囲気に合わせて行動する。そうしたとき、何に対して祈っているのかを明確に意識することはあまりなく、お寺や神社、教会、モスクの神々を本当に信仰しているわけでもないだろう。
キリスト教やイスラム教では、神は唯一の絶対的存在であり、他の神の存在を認めることはない。それに対して、私たちはどのような神様も否定せず、特定の信仰対象とすることもなく、ただ「何となく拝む」ことに抵抗がない。
こうしたことは、善悪の問題ではなく、日本という土地で生まれ育った人間が、ごく自然に取ってきた行動にすぎない。そして、その行動の根底には、日本人が「神」という存在に対して抱いてきた、独特の感覚や意識があるのではないだろうか。
日本人にとって神とは、どのような存在なのか。それを知りたいと思うのは、そうした日本人の心のあり方を探ろうとする思いから生まれてくるのだ。
(1)日本の神は創造主ではない
日本人があまり意識することはないが、日本神話には創造主が存在しない。キリスト教の『聖書』に語られる天地創造のエピソードと比べると、その違いはきわめて明らかである。
i. キリスト教の神 創造主

『創世記』は、神がすべての存在の創造主であることを示す天地創造の物語から始まる。
1. はじめに神は天と地とを創造された。
2. 地は形なく、むなしく、闇が淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
3. 神は「光あれ」と言いわれた。すると光があった。
4. 神はその光を見みて、良しとされた。神はその光と闇とを分わけられた。
5. 神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。(『創世記』)
神は、まず天と地を創造し、光と闇を分けた。さらに第2日から第6日にかけて、空、大地、海、植物、太陽、月、星、魚、鳥、野獣、家畜、そして最後に、自らの姿に似せた人間を次々に造っていった。
このように、キリスト教の神は、この世のすべてを造った創造主であり、すべては神から始まる。その世界観においては、神が世界を造る以前に何があったのか、あるいは神が何から世界を造ったのかといった問いは、意味を持たない。「初めに神ありき」、それが聖書的世界観の出発点である。
それに対して、日本の神々は世界を創造しない。初めに現れるのは天地であり、その天地が現れたとき、神が「成る」。その後も神々が次々に誕生するが、彼らはすぐに姿を隠してしまい、何かを造ることはない。
実際に創造的な行為が始まるのは、イザナギとイザナミによる「国生み」の神話まで待たなければならない。
ii. 日本の神々 成るもの
日本において世界の始まりを語る神話は、現存する日本最古の書物である『古事記』(712年)と『日本書紀』(720年)を通して、私たちに伝えられている。
この二つの書物は、おおむね同じ内容を語っているが、それぞれの編纂目的の違いにより、細部にはいくつかの相違が見られる。
710年に平城京(奈良)に遷都したばかりの大和朝廷は、国王(天皇)による国土支配や皇位継承の正当性を国内に示すために、『古事記』を編纂させた。
一方、『日本書紀』は、唐や新羅といった東アジア諸国に対して、大和朝廷の権威を示すことを目的としていた。
そうした目的の違いは、『古事記』が日本語で書かれ、『日本書紀』が中国語(漢文)で記されていることからも窺うことができる。

『古事記』(712年)は、次の一節から始まる。
天と地が初めて現れたときに、高天原(たかまのはら)に成った神の名は、天之御中主(あめのみなかぬし)の神、次に高御産巣日(たかみむすび)の神、次に神産巣日(かみむすび)の神。この三柱(みはしら)の神は、いずれも独神(ひとりがみ)として成り、すぐに姿を隠した。
次に地上世界の陸地がまだ幼く、水に浮かぶ脂のようで、くらげのようにゆらゆらと漂っている時に、葦の芽のように萌え出たものによって成った神の名は、宇麻志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神、次に天之常立(あめのとこたち)の神。この二柱の神もまた、独神として成り、すぐに姿を隠した。(『古事記』)
天地開闢(かいびゃく)と呼ばれるこの挿話には、いわゆる「創造」という行為は存在しない。天地が最初に開かれ、そこに「成る」神の名が告げられる。その後も神々の名が次々に列挙されるが、彼らはいずれも独神(ひとりがみ)であり、すぐに姿を「隠した」とされる。
ここに見られるのは、「成る」と「隠れる」という過程に従う「生成」であり、他動的な働きかけは一切ない。
『日本書紀』でも基本的な生成の過程は『古事記』と同じだが、最初の「神聖」(かみ)が生まれる前に、天地の分離に関する描写が置かれているところに、多少の違いが見られる。
昔、天と地が分かれず、陰と陽とが分かれていなかったとき、渾沌として形の定まらないことは鶏卵の中身のごとくであり、自然の気がおこり、薄暗い中に芽(きざし)を含むものであった。陽気は、軽く清らかで高く揚がって天と成った。陰気は、重く濁っていて、滞って地と成った。すなわち、清く細かなものはまとまりやすく、重く濁ったものはかたまりにくい。だから、天がまず成り、地が後に定まった。しかる後に、神聖(かみ)がその中に生まれた。(『日本書紀』)
『日本書紀』においても、天地が分離する過程を経て「神聖」(かみ)が生まれるという点で、『古事記』と共通している。どちらにも創造主は存在せず、すべてが自発的に生成していく。
ただし、『古事記』とは異なり、生成をもたらす分離の原理として「陰陽」に言及されている点に注目したい。
陽は軽いために上昇し、清いものはまとまりやすいために天と「成る」。一方、陰は重いために沈殿し、濁ったものはかたまりにくいため、天より遅れて地に「成る」。この説明は陰陽思想に基づくものであり、中国の文献に由来する。
とはいえ、8世紀初頭の大和朝廷は、中国神話の要素を取り入れたとしても、「成る」という世界観から離れることはなく、自国の精神性に則した世界生成神話を形成したのだった。
繰り返しになるが、創造主としての神は存在しなかった。世界は自然に生成するのであって、誰かによって作られたものではない。神々もまた、ひとりでに「成り」、そして「隠れた」。日本の神々は、決して創造主ではない。
iii. 神と人間の同質性
キリスト教においては、神がすべての創造者であり、人間もまた神によって造られた。その目的は、人間が人間以外のすべての被造物を支配するためである。
26. 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。
27. 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 (『創世記』)
この言葉のあと、神は地上に造り出した動植物を人間に与え、それら全てが人間の食物となると告げる。
これらの言葉から明らかになるのは、人間が神のかたちに創造されたのは、地上において神の代理者として他の動植物の上に立つ存在であることを、形態的に示すためであるという点である。
したがって、まず神と人間との絶対的な上下関係があり、その下に人間と動植物の絶対的な上下関係がある、という明確な図式が成立する。(神 → 人間 // 人間 → 動植物)
それに対して、日本の神々と人間とのあいだにも、人間と動植物とのあいだにも、それほど明確な断絶は見られない。その理由は、すべてが「成る」型の生成によって生み出され、絶対的な創造者が存在しないという世界観にあると考えられる。
一言で言えば、神と人間、動物、植物とのあいだに絶対的な上下関係はなく、すべてが「成る」ことによって存在しているのである。
そのことを理解するヒントとして、大変興味深いのは、日本神話において「人間の創造」を語るエピソードが存在しないという点である。人間は、いつのまにか、すでにこの世界に存在している。
たとえば、『古事記』で人間について最初に触れられるのは、イザナギが死んだ妻イザナミを訪ねて黄泉国(よみのくに)へ赴く挿話の中である。見てはならないという禁を破ったイザナギは、怒ったイザナミによって派遣された八(やくさ)の雷神の軍勢に追われ、黄泉比良坂(よもつひらさか)のふもとまで逃げのびる。そこで彼は、そこに生えていた桃の木から三つの実をもぎ取り、それを雷神たちに投げつけることで追っ手を退けることに成功する。
この場面で、イザナギが桃に向かって語りかける言葉の中に、人間への言及が見られる。
お前が私を助けたように、葦原中国(あしはらのなかつくに)に生きているあらゆるうつしき青人草(あおひとくさ)が、つらい目に遇って苦しみ悩んでいる時に助けてくれ。(『古事記』)

葦原中国(あしはらのなかつくに)とは、天上界である高天原(たかまのはら)と、下界である黄泉国(よみのくに)の中間に位置する地上の世界である。そこに現実に住むとされる「青人草(あおひとくさ)」は、人間を指す言葉である。
「青」は草の色を意味し、「人草」という語は、草が茂る様子と、人間が次々に生成される様子を重ね合わせた表現だと考えられる。
この青人草(=人間)がどのように誕生したのかを語る神話は存在しないが、興味深いことに、植物の芽吹きと神の生成とが重ねられるような挿話は、『古事記』にも『日本書紀』にも見られる。
もう1度、『古事記』の冒頭で、神が生成した最初の部分を読み直してみよう。
次に地上世界の陸地がまだ幼く、水に浮かぶ脂のようで、くらげのようにゆらゆらと漂っている時に、葦の芽のように萌え出たものによって成った神の名は、宇麻志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神、(後略)。(『古事記』)
ほぼ同じ場面が、『日本書紀』では次のように語られる。
時に、天地の間に一つのものが生まれた。その形は葦の芽のようであり、すなわち神へと変化した。(『日本書紀』)。
どちらの書においても、葦の芽のようなものが萌え上がり、それが神に「成る」。この神の生成のありようは、人間=青人草の起源がどこにも明確に記されていないことと対応し、青人草の自然な生成を暗示しているように見える。

日本神話においては、神も人間も動植物も、すべてが自然に生成するものと考えられる。まず、混沌とした沼のような状態が漂い、そこから葦の芽のようなものが萌え出す。それが神にもなり、人間にも、植物にも「成る」。
神の名に含まれる「阿斯訶備(あしかび)」は、万物に内在する生命力を象徴しており、それが葦という植物によって表されている。このことから、古代の日本人は、植物の萌芽に生命の根源的な力を見ていたと考えられる。
日本的な心性が注目するのは、生命を生み出す主体(創造主)ではなく、自ずから萌え出る生命のエネルギーそのものだ。その勢いは、生物だけでなく、山や海、岩や泉といったあらゆる存在から感じ取られる。
だからこそ、神も人も含め、万物に生命を見いだし、それらのあいだに絶対的な区別を設けない。これが、日本人の心性を形づくる感受性のひとつであると言えるだろう。
極端に言えば、日本人にとって神とは、「特別な隣人」あるいは「一族の祖先」のような存在だといえる。そしてそのために、私たちは現在でも、さまざまな願いごとが叶うよう神に祈ることを、ごく当たり前のように続けている。遠いけれども、またとても近く、親しい存在なのだ。