日本人の神(カミ)とは 3/3

日本人の神とはどのような存在なのか、ここでは、複数性、姿形、霊力という3つの点を通して、検討していくことにする。

(1)八百万の神々

日本の神々は、無限に存在するといっていいほど数が多い。しかも、それらの神々には明確な序列があるわけではなく、神々全体を統一し支配するような超越神も存在しない。

古代だけでなく現代においても、私たちはどこかで、自然そのものが神であるかのように感じているのではないだろうか。
「雷神」や「風神」といった表現にも違和感はなく、少し前までであれば、「道の神(道祖神)」や「竈(かまど)の神」も身近な存在だった。

さらに今でも、私たちはどこにでも、何にでも神の気配を感じ、思わず手を合わせることがある。
山中の岩の窪みに供え物をし、古い巨木には注連縄(しめなわ)を張り、海中で並び合う二つの岩を「夫婦岩」と名づけ、漠然とではあるが信仰の対象としている。
三輪山、沖ノ島、那智の滝のように、特定の山や島、滝そのものが「ご神体」として崇められることもある。

水や太陽を、農耕の生産力を司る神として祭るとともに、祖先の霊が子孫を守るという思いから、祖霊を祀る慣習も発達した。

また、日本神話の中にも無数の神々が存在する。『古事記』や『日本書紀』には、300〜400柱もの神の名前が登場すると言われている。
国を造り、神々を生むことになるイザナギとイザナミが登場する以前にさえ、すでに15柱の神の名が列挙されている。

イザナギとイザナミが生む神々は、三つの系統に分かれ、あわせて四十柱近い神が誕生する。
男女の神によって生み出されるのは、石・土・風・海・木・山・野・火など、自然を象徴する神々である。

その後、イザナミは死に際にて、吐しゃ物・糞尿・尿などを出し、そこからも神々が生成される。

さらに、黄泉の国から戻ったイザナギは禊を行い、その際に脱いだ服や帯などからも神が生まれる。
そして最後に顔を洗うと、そこからも新たな神々が現れる。ここに左の御目を洗ひたまひし時に、成りませる神の名は、天照大御神(アマテラスオホミカミ)。次に、右の御目を洗ひたまひし時に、成りませる神の名は、月読命(ツクヨミノミコト)。次に、御鼻、を洗ひたまひし時に、成りませる神の名は、建速須佐之男命(タケハヤスサノウノミコト)。(『古事記』)

日本神話では、イザナギ・イザナミという男女の神が登場し、二柱が交わることで世界が創造される「誕生」型の神生成が描かれるが、その後にも、自然に事物が生成する「成る」型が保たれている。
これは、自然に何かが出来上がるという発想が、いかに日本的な心性に深く根ざしているかを示すものとして、大変興味深い。

言い換えれば、どんなものでも神に「成る」可能性があるということだ。
イザナミの嘔吐や糞尿も神に「成る」し、イザナギが黄泉の国で助けられた桃の実にも、神の名が与えられている。
だからこそ、日本には八百万(やおよろず)の神々が存在するのかもしれない。

(2)形姿

言うまでもないことかもしれないが、神々の姿を見ることはできない。というよりも、本来的に神々には姿形がない。
たとえ山や岩、巨木などがご神体と見なされるとしても、それらは神が宿る「依代」(よりしろ)であり、神そのものの姿ではない。

人々がお供え物を捧げ、神酒を供え、祭りを行うと、神が降臨し、しばらくその場に留まることもあるかもしれない。
しかし、そうしたときでさえ、神の姿を見ることはできない。

また、一つの場所に固有の神がいる場合もあれば、儀礼によって招かれれば、どこへでも赴く神もいる。
現代でも、新しく家を建てる際には地鎮祭が行われることがあるが、これはその土地の神に工事の無事を祈るためである。

さらに、日本ではロケットを打ち上げるといった最先端の科学技術の現場においても、「打ち上げ成功祈願祭」が執り行われることがある。
特定の場所に定着するのではなく、招きに応じてどこにでも来臨する神の存在が、そこに前提とされていると考えられる。
そして、最先端の技術者たちでさえ、その祈願祭に参列すれば、恭しく合掌し、拝礼する。
こうした神々について、私たちはその姿を見ることもなければ、姿かたちを想像することすらないだろう。

『古事記』の天地開闢の挿話の中で、イザナギ・イザナミ以前に出現する神々は、「みな独神(ひとりがみ)と成りまして、身を隠したまひき」と語られる。
この「身を隠す」とは、体をどこかに隠したという意味ではなく、もともとその姿が目に見えないという意味に解すべきだと、国語学者・大野晋は述べている。
つまり、神の姿は本来的に見ることができないものであり、神に具体的な形はないということになる。

神には姿がない、あるいは姿が見えないということが、別の視点から表現されることがある。それは、神を見ることの禁忌。つまり神の姿を見ることはタブーとされた。
説話的に言えば、神は人に姿を見せず、もし姿を現したとても、 人はそれを見てはならない。もし見てしまえうと、神はそこから去ってしまうか、あるいは、神を見た人は死んでし まう。そのように語り伝えられることもあった。

こうした不可視性が神本来のあり方であると考えられるが、他方で、私たちはしばしば人間の姿をした神々を思い描く。
イザナギやイザナミは身を隠すことなく、国生み・神生みを行い続ける。
天照大御神や素戔嗚尊が人間のような姿で描かれていても、私たちはそれに違和感を覚えない。

こうした神の人間化には、仏教の影響が大きかったのではないかと考えられる。

6世紀半ば、百済の聖王から欽明天皇に仏典とともに仏像が贈られたと伝えられている。
それまで、神の姿を思い描いたり、絵や彫刻によってその似姿を作ったりすることのなかった古代日本人にとって、仏像は深い衝撃を与えたに違いない。
そして、神と仏が習合し、神々は仏が現世に化身した姿であると捉えられるようになるにつれて、仏像の影響のもと、神の像も造られはじめたのではないかと考えられる。

神に姿があるかどうかは、神と人との直接的な交流のあり方とも関係している。
姿の有無によって、交流には二つの異なる回路があったと考えられる。

一つは、巫女に神が憑依し、その口を通じて神託を伝える方法である。巫女はしばしば神の依代(よりしろ)となり、自らの身体に神霊を宿すことで、神の意志を人々に伝えた。この場合、重視されるのは「声」であり、神の姿は現れない。

もう一つは、夢の中に神が姿を現し、意志を伝えるという方法である。これは日本に限らず、古代の人々に広く見られた信仰で、夢を通じて神の意志や未来の出来事を知ることができると考えられていた。
こうした夢告(むこく)においては、神は何らかの姿をとって現れると想定されるが、古代日本においては、その姿は仏像の影響下で形成された神像に似ていたに違いない。

(3)霊力

私たちが神に祈りを捧げたり祭りを行ったりするのは、神には人間を超えた霊力があると考えているからに違いない。

江戸時代の国学者・本居宣長は、神を次のように定義している。

 凡(すべて)て加微(かみ)とは、古御典等(いにしえのふみども)に見えたる天地(あまつち)の諸(もろもろ)神たちを始めて、其を祀(まつ)れる社(やしろ)に坐(いま)す御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云(いわ)ず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其余(そのほか)何(なに))にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云なり。(『古事記伝』)

本居宣長は、『古事記』や『日本書紀』に語られる神話の神々や、神社で祀られているさまざまな神々だけでなく、人間を含め、この世に存在するあらゆるものでも、「尋常ならずすぐれたる徳」があれば神であると言う。
この考えに従えば、神とは、それが何かという問題ではなく、「特別に優れた徳を備えているかどうか」が本質だということになる。

さらに続けて、宣長は、「徳」とは必ずしも良い方向にだけ働くものではなく、悪い方向にも及ぶことがあると述べている。

すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪きもの奇しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり。(『古事記伝』)

神とは、善きにつけ悪しきにつけ、人間に対して圧倒的な力を及ぼす存在であり、そのため人間は、敬うだけでなく、恐れ、畏(かしこ)まることもあった。
神は慈愛に満ちた存在であると同時に、悪霊のように働くこともあるという、二面性を備えた存在なのである。

現在の日本語では、「カミ」に「神」という漢字を用いる。その「示(しめす)偏」は、カミに対する捧げ物を供える台を象徴し、旁(つくり)の「申」は、雷光を象った象形文字であるという。したがって、「神」という漢字は、古代の日本人から現代の私たちに至るまで、カミに対して抱き続けてきた畏るべき側面を暗示していると考えることもできる。

他方、神の慈愛に関しては、仏教の影響が強いと考えられる。
仏教においては、この世は苦しみに満ちた娑婆であり、現世の苦しみから人間を救うのが仏であるとされる。その仏と神が融合するにつれ、神々は人々を救済する仏の化身であるとする思想も広がっていった。

平安時代末期から鎌倉時代初期を生きた西行法師の有名な和歌は、そうした背景を反映しているに違いない。

何事の おはしますをば 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる

「かたじけない」という言葉は、その対象が素晴らしく、敬意に値する存在であることを前提としている。そして、それに対して畏れ多いという気持ちや、その存在から受ける好意や恩恵が身に沁みてありがたいという感覚をも含んでいる。

西行は、その対象が何であるのかはわからないが、たしかに「そこに在る」ことを感じているのである。
こうした感覚こそが、日本人が目に見えない神々の霊力に対して抱いてきた感覚であると言えるだろう。

江戸時代になると、松尾芭蕉は西行の和歌に倣い、次のような俳句を詠んだ。

何の木の 花とは知らず 匂(にほひ)哉  (『笈の小文』)

この句の眼目も、「知らず」にある。目で見ても、その花が何の木のものかはわからない。しかし、香りは確かに感じられる。
芭蕉は、西行のように「涙こぼるる」とまで自らの感情をあからさまに表すことはしない。ただ「匂哉」と記すのみである。
しかし、だからこそなおさら、不可知のものが自らに働きかけてくる力を、かえって強く感じていることが、わずかな言葉のうちに深く表現されているのである。

私たちは、神々の霊力を、このように感じ取っているのだ。
そして、そうした瞬間には、思わず手を合わせ、祈りを捧げる。それが何であるかは、その時々によって異なる。
このような気持ちが集団によって表現される時、それは祭りという形を取る。その際、祭りごとに祈る対象は決まっているが、それは「尋常ならずすぐれたる徳」の一つの表象にすぎない。

神が神たる所以は、人間が何であるかを知らないままに感じ取る、霊的な力にある。
日本人にとっての神々とは、そうした霊力を感じさせるすべての存在であると言ってよいだろう。

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