ネルヴァル 東方紀行 レバノンの旅 描写と印象 Nerval, Voyage en Orient, description et impression 2/2

ネルヴァルは、繊細な感覚で現実を捉え、的確かつ生き生きとした描写を行い、その印象を率直でありながら詩的な散文で綴る作家だ。そのことは、カイロから出発したサンタ・バルバラ号ががベイルートの港に入港する場面を描いた一節からも実感できる。
ネルヴァル 東方紀行 レバノンの旅 描写と印象 1/2

ここでは、そうした印象が、旅行者の幅広い知識と密接に結び付き、独自の文学世界を創造していく様子を、ベイルートの街を散策しながら港へと至る行程を通して見ていくことにしよう。

Le quartier grec communique avec le port par une rue qu’habitent les banquiers et les changeurs. De hautes murailles de pierre, à peine percées de quelques fenêtres ou baies grillées, entourent et cachent des cours et des intérieurs construits dans le style vénitien ; c’est un reste de la splendeur que Beyrouth a due pendant longtemps au gouvernement des émirs druses et à ses relations de commerce avec l’Europe. Les consulats sont pour la plupart établis dans ce quartier, que je traversai rapidement. J’avais hâte d’arriver au port et de m’abandonner entièrement à l’impression du splendide spectacle qui m’y attendait.

(Gérard de Nerval, Voyage en Orient, Les Femmes du Caire, VII. La Montagne, V. Les Bazars. – Le Port.)

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ネルヴァル 東方紀行 レバノンの旅 描写と印象 Nerval, Voyage en Orient, description et impression 1/2

ジェラール・ド・ネルヴァル(Gérard de Nerval)は、19世紀中葉にパリの場末で首を吊って世を去って以来、「夢と狂気の作家」というレッテルを貼られ、現在に至るまでその偏見は根強く残っている。そのため、彼について語られるときには常に「神秘主義」や「幻想的」といった言葉がつきまとい、何の先入観もなく彼の言葉そのものに向き合うことが難しい状況が続いている。この傾向はフランスに限らず、日本でも同様である。

しかし、ネルヴァルの言葉を無意識の色眼鏡を外して読んでみると、彼は目の前の現実を繊細な感受性でとらえ描写し、そのうえで豊かな知識と教養に支えられ、素直でありながら詩的な文章を通して独自の世界を紡ぎ出す作家であることが、ひしひしと伝わってくる。

ここでは、『東方紀行』(Voyage en Orient)の中から、エジプトのカイロを旅立った「私」が、レバノンのベイルート港に近づく船の上から眺めた光景(1)と、港に降り立って街を歩く場面(2)を紹介してみたい。

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Nerval Ni Bonjour Ni bonsoir ネルヴァル お早うでもなく、お休みでもなく

ジェラール・ド・ネルヴァルの「お早うでもなく、お休みでもなく」は、わずか4行からなる短詩であり、非常にわかりやすい言葉で綴られている。
また、10音節の詩行は5/5のリズムでなめらかに流れ、冒頭に記された「ギリシア民謡にのせて」という指示と相まって、音楽性豊かな響きを持っている。
その一方で、内容は一見わかりやすいようでいて、深い思索を促し、さらにどこか悲しみを漂わせ、抒情的な余韻を抱かせるものとなっている。

こうした特色は、題名の « Ni bonjour (3), ni bonsoir (3) » にすでに明確に示されている。
3/3のリズムの中で ni と bon の音が重なり、その後に jour と soir が対照的に置かれる。
その響きに耳を傾けると、否定の表現 ni が bon を打ち消し、「bonjourでもなく、bonsoirでもない」と告げることで、ではいったい何なのか、という問いが自然に立ち現れてくる。

Ni Bonjour, Ni bonsoir

Sur un air grec

お早うでもなく、お休みでもなく

ギリシア民謡にのせて

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個人の歴史的体験を「語り継ぐ」の意義 クロード・レヴィ=ストロース 『野生の思考』 Claude Lévi-Strauss La Pensée sauvage 2/2

(1/2の続き)

具体的事象の論理(「弱い歴史」)と論理的性質(「強い歴史」)が矛盾するなかで、「歴史」にアプローチするにはどのようにしたらいいのか?

Par rapport à chaque domaine d’histoire auquel il renonce, le choix relatif de l’historien n’est jamais qu’entre une histoire qui apprend plus et explique moins, et une histoire qui explique plus et apprend moins. Et s’il veut échapper au dilemme, son seul recours sera de sortir de l’histoire : soit par en bas, si la recherche de l’information l’entraîne de la considération des groupes à celle des individus, puis à leurs motivations, qui relèvent de leur histoire personnelle et de leur tempérament c’est-à-dire d’un domaine infra-historique où règnent la psychologie et la physiologie ; soit par en haut, si le besoin de comprendre l’incite à replacer l’histoire dans la préhistoire, et celle-ci dans l’évolution générale des êtres organisés qui ne s’explique elle-même qu’en termes de biologie, de géologie, et finalement de cosmologie.

歴史家があきらめる各歴史領域との関係において、歴史家の相対的な選択は、より多くを学ぶが説明力の乏しい歴史と、説明は多いが学びの少ない歴史との間で行われるしかない。もしこのジレンマから逃れようとするなら、唯一の方法は歴史の外に出ることである。下方から出る場合、情報の探求は歴史家を集団の考察から個人の考察へ、さらに個人の動機の分析へと導く。その動機は、個人の歴史や気質に関わるものであり、心理学や生理学が支配する下位歴史領域に属する。上方から出る場合、歴史家は理解の必要性から歴史を先史時代に置き直し、さらに先史時代を有機的存在の一般的変化の文脈に置き直すことになる。その一般的変化の説明は、生物学・地質学、そして最終的には宇宙論の用語によって行われる。

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歴史と個人の物語 クロード・レヴィ=ストロース 『野生の思考』 Claude Lévi-Strauss La Pensée sauvage 1/2

日本には歴史愛好者が数多く存在する。歴史小説は豊富に出版され、テレビにおいても多様な歴史番組が制作されてきた。その結果として、坂本龍馬や織田信長をはじめ、両手の指では到底数えきれないほどの歴史的人物の名が、広く共有されている。

しかし、歴史的人物の名が広く知られていることと、「歴史」そのものへの理解が十分であることとは、必ずしも一致しない。たとえば坂本龍馬について、幕末に長州と薩摩をつなぐ役割を果たしたことは多くの人が知っている。他方で、その出来事が江戸幕府から明治維新へと至る体制転換の中でどのような意味を持ち、日本史全体においていかに位置づけられるのかを説明できる人は、決して多くはないのではないだろうか。

このことは、私たちが歴史に関心を抱き、一定の知識を持っているように感じながらも、実際には「歴史」そのものを十分に理解しているとは言い難いことを示している。

こうした問題を考えていた折、人類学者クロード・レヴィ=ストロースの『野生の思考』を読み返す機会があり、そこで個人の物語と歴史の大きな流れに関する重要な記述に出会った。彼はそこで、人物の伝記や逸話を「弱い歴史」と呼び、それを「強い歴史」と対比させて論じている。

レヴィ=ストロースの表現は、フランスの学者らしく非常に抽象的で、私たちにとって必ずしも理解しやすいものではない。とはいえ、その議論は日本人の歴史観に直接かかわる問題を含んでいる。以下では、要点となる一節を取り上げながら、その意味を少しずつ考えていきたい。

L’histoire biographique et anecdotique, qui est tout en bas de l’échelle, est une histoire faible, qui ne contient pas en elle-même sa propre intelligibilité, laquelle lui vient seulement quand on la transporte en bloc au sein d’une histoire plus forte qu’elle ; et celle-ci entretient le même rapport avec une classe de rang plus élevé.

Claude Lévi-Strauss, La Pensée sauvage, ch. IX « Histoire et dialectique »

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ジャン・ジャック・ルソー 視野を遠くに広げることを学ぶ 『言語起源論』 Jean-Jacques Rousseau Essai sur l’origine des langues

ジャン=ジャック・ルソーは、『言語起源論』第8章において、ヨーロッパ人の欠点として、他の地域についての知識に無関心であること、さらに自分たちの知見を他の地域にまで安易に適用してしまうことを指摘している。
そして、さまざまな違いを理解することによってこそ、人類全体を知ることができると、非常に簡潔な文章で読者に伝える。

Le grand défaut des Européens est de philosopher toujours sur les origines des choses d’après ce qui se passe autour d’eux. Ils ne manquent point de nous montrer les premiers hommes, habitant une terre ingrate & rude, mourant de froid & de faim, empressés à se faire un couvert & des habits ; ils ne voient partout que la neige & les glaces de l’Europe ; sans songer que l’espèce humaine, ainsi que toutes les autres, a pris naissance dans les pays chauds, & que sur les deux tiers du globe l’hiver est à peine connu.

Jean-Jacques Rousseau, Essai sur l’origine des langues, ch. XIII.

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ISHIKAWA Jun  Le Cerisier de montagne

Ishikawa Jun (1899‑1987) était un romancier au style marqué et un critique littéraire à la fois méditatif et analytique sur la littérature et le langage.

Dans ses romans, sa prose est si caractéristique qu’elle en devient singulière, parfois difficile à déchiffrer même pour des lecteurs japonais. 

Dans un passage tiré de ses « Fragments sur la discussion littéraire », il exprime sa conception de la prose :

La prose existe pour l’invention, et non pour parler de l’invention. Même si l’invention se manifeste par les mots, elle n’apparaît qu’en une forme partielle et déterminée. Tout comme la vie réside dans l’homme, un secret de genèse est inhérent aux choses. Quel que soit l’artifice que l’on tente pour parler des choses, leur secret s’échappe toujours.

La prose sert à inventer, mais ne peut saisir pleinement l’invention elle‑même, et le secret des choses échappe toujours aux mots, ce qui est typique de la pensée d’Ishikawa Jun.

Sa nouvelle « Le Cerisier de montagne » illustre bien sa prose. Dans ma traduction suivante, j’ai tenté de conserver son style autant que possible, afin que le lecteur français puisse en percevoir l’essence. 


Le Cerisier de montagne

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現代的な攻撃性の源 フロイトの精神分析理論を参考に

現代社会では、マスメディアでも、SNSでも、YouTubeでも、激しい言葉が飛び交い、ひとつの対象に向けて一斉に攻撃が加えられる場面をしばしば目にする。
事件や人物の情報に触れたとき、多くの発信者は、自分の知識が本当に正しいのかとか、その対象と自分との関係はどうなのかといったことは意識せず、過激な言葉を放つ。そして、その言葉がどんな結果をもたらすかについて、責任を引き受ける気配はない。

原因としてよく言われるのは「匿名性」だ。しかし、コメンテーターやYouTubeの配信者は、名前がはっきりしている。むしろ名前が知られているほうが、情報はあっという間に広がっていく。
SNSでも、「炎上」が再生回数を押し上げ、発信者の収入につながるシステムが出来上がっている。

こうした居心地の悪い状況を、どう理解すればいいのか。そんなことを考えていたとき、たまたまフロイトの「自我とエス」を読んでいて、なるほどと腑に落ちることがあった。
結論から言えば、それは「快楽原則」に従ったリビドー(欲動)の満足であり、対象そのものはどうでもいい、ということだ。そう思うと、いま目にしている光景の光源がどこにあるのか、少しだけだとしても見えてくる。

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井筒俊彦 東洋と西洋 対比から調和へ

西洋と東洋は、歴史や文化、価値観、世界観など、さまざまな分野で、必ずしも対立しているわけではないにせよ、しばしば対比的に語られる。
西洋は古代ギリシアを起点とするヨーロッパと、その流れをくむアメリカ合衆国を中心にまとまりを作っており、一つの文化圏として捉えても大きな違和感はない。これに対して東洋は、どこからどこまでを指すのかがはっきりせず、一つのまとまりとして考えるのが難しい。

たとえば、中国とインドは仏教を通じて歴史的なつながりを持っているが、では現在の中近東と東アジアが同じ「東洋」に入るのかというと、疑問が残る。仏教文化圏とイスラム文化圏では、むしろ違いのほうが目につくかもしれない。
そうなると、イスラム教徒が多い東南アジアの国々はどう位置づければよいのか。さらにイスラム教は、ユダヤ教やキリスト教と同じ一神教であり、その意味では「西洋」に近いと考えることもできる。しかし、イランを中心としたペルシャ文化圏や、アラビア半島を中心とするアラブ文化圏を、西欧文化の中に含めるのは無理がある。
こう考えていくと、西洋と東洋をきっぱり分ける二分法そのものに問題があるように思える。

確かに、世界を西洋と東洋の二つのブロックに分けてしまうのは、大まかすぎる見方である。しかし、人間の根本的なあり方や、考え方・感じ方の特徴を探るうえでは、この二分法が意味を持つこともある。

ここでは、井筒俊彦がさまざまな分野の専門家と行った対談をたどり、「西洋」と「東洋」という言葉で何が語られているのか、そしてそれぞれがどのように対比されるのかを見ていく。
そのうえで、これは単なる地理的な区分の話ではなく、人は誰でも、どこに暮らしていても、自分の中に「東洋」と「西洋」の両面を持ち、それらを調和させながら生きていくという視点を提示したい。

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