Nerval Ni Bonjour Ni bonsoir ネルヴァル お早うでもなく、お休みでもなく

ジェラール・ド・ネルヴァルの「お早うでもなく、お休みでもなく」は、わずか4行からなる短詩であり、非常にわかりやすい言葉で綴られている。
また、10音節の詩行は5/5のリズムでなめらかに流れ、冒頭に記された「ギリシア民謡にのせて」という指示と相まって、音楽性豊かな響きを持っている。
その一方で、内容は一見わかりやすいようでいて、深い思索を促し、さらにどこか悲しみを漂わせ、抒情的な余韻を抱かせるものとなっている。

こうした特色は、題名の « Ni bonjour (3), ni bonsoir (3) » にすでに明確に示されている。
3/3のリズムの中で ni と bon の音が重なり、その後に jour と soir が対照的に置かれる。
その響きに耳を傾けると、否定の表現 ni が bon を打ち消し、「bonjourでもなく、bonsoirでもない」と告げることで、ではいったい何なのか、という問いが自然に立ち現れてくる。

Ni Bonjour, Ni bonsoir

Sur un air grec

お早うでもなく、お休みでもなく

ギリシア民謡にのせて

Νὴ ϰαλιμερα, νὴ ωρα ϰαλὶ.

Le matin n’est plus ! le soir pas encore :
Pourtant de nos yeux l’éclair a pâli.

Νὴ ϰαλιμερα, νὴ ωρα ϰαλὶ.

Mais le soir vermeil ressemble à l’aurore,
Et la nuit, plus tard, amène l’oubli !

よき朝にかけて! よき時にかけて!(ギリシア語)

もう朝じゃない! 夕べはまだ。
でも、目のひかりは 色あせた。

よき朝にかけて! よき時にかけて!(ギリシア語)

真っ赤な夕べは 曙に似る、
夜が、後から、忘却をもたらす!

時間は情け容赦なく、全てを運び去り、どんな幸福な時であったとしても、いつかは消え去ってしまう。その一方で、全てが終わったわけではなく、なんとはなしに時は流れ続けていく。
私たちは、ときにそんな中途半端な状態に置かれていると感じることがある。
そんな時には、目の輝き(l’éclair de nos yeux )も色あせて(pâli)しまっている。

結局、曙(l’aurore)にしても、真っ赤に燃える夕べ( le soir vermeil)にしても同じようなもので、朝だろうと夕べだろうと変わることはない。
そんなどんよりとした気持ちの時には、何もかも忘れ(l’oubli)させてくれる夜(la nuit)が来てくれることを願う。

こんなふうに詩の内容を追っていくと、人生に充実感がなく、何もかも中途半端で、すべてを忘れてしまいたい――そんな憂鬱な気配が漂っているように思える。

ところが、この詩句は冒頭で触れたように、5/5の軽快なリズムに乗せて展開され、意味の対比もきわめて明快である。
le matin / le soir
n’est plus / pas encore
le soir vermeil / l’aurore

さらに四行目に至ると、前半の「5」が「3/2」に分かれ、Et la nuit (3) に強いアクセントが置かれることで、曲の最後の盛り上がりを生み出し、自然に l’oubli(忘却)へと導いていく。

この音楽性のおかげで、忘却は決して悲壮なものではなく、むしろ慰めとして響く。
過去を振り返ることもなく、未来を描こうとするのでもなく、ただ漠然とであれ「今を生きていけばいい」と思わせる。
そうしたときに生まれる抒情性、それこそが « Ni bonjour, ni bonsoir » という短詩の魅力だといえるだろう。


« Ni bonjour, ni bonsoir » は、当初『東方紀行』 (Voyage en Orient) の中で、東方の船乗りが歌う民謡 (le chant populaire) のフランス語訳として提示された。
その状況については、以下の項目を参照。
ネルヴァル 東方紀行 レバノンの旅 詩的散文 Nerval Voyage en Orient Ni bonjour ni bonsoir

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