
ジェラール・ド・ネルヴァルは、目の前の現実を明晰な意識で観察し、そこから出発して、繊細な感受性と幅広い知識に支えられた、音楽性豊かな詩的散文によって独自の文学世界を築き上げた。このことは、「夢と幻想の作家」という先入観を外せば、誰にでも見えてくるだろう。
『東方紀行』(Voyage en Orient)の「ドリューズたちとマロニットたち」(Druses et Maronites)の章には、「朝と夕べ」(Le Matin et le Soir)と題された一節がある。その冒頭では、イタリアの詩人ホラティウスの詩句と、オリエントの船乗りの歌う民謡の一節が掲げられており、そうした詩や歌の調べに呼応するかのように、ネルヴァルの文も音楽性に満ちた詩的散文となっている。
Que dirons-nous de la jeunesse, ô mon ami ! Nous en avons passé les plus vives ardeurs, il ne nous convient plus d’en parler qu’avec modestie, et cependant à peine l’avons-nous connue ! à peine avons-nous compris qu’il fallait en arriver bientôt à chanter pour nous-mêmes l’ode d’Horace : Eheu ! fugaces, Posthume… si peu de temps après l’avoir expliquée… Ah ! l’étude nous a pris nos plus beaux instants ! Le grand résultat de tant d’efforts perdus, que de pouvoir, par exemple, comme je l’ai fait ce matin, comprendre le sens d’un chant grec qui résonnait à mes oreilles sortant de la bouche avinée d’un matelot levantin :
Ne kalimèra ! ne orà kali !
( Gérard de Nerval, Voyage en Orient, « Druses et Maronites », Le Prisonnier, I. Le matin et le Soir.)
おお、友よ、青春についてこれから何を語ろうか! ぼくたちはすでにその最も激しい熱情の時を過ぎ去り、今ではただ慎ましくそれを語ることしかふさわしくない。しかも、ほとんど青春を知ることがなかったのだ! ぼくたちはやっと理解したばかりだった、もうじき自分たち自身のために、ホラティウスのあの頌歌を歌うところまで来てしまっていたことを。「ああ、時は飛び去っていく、ポストゥムスよ……」 しかも、それを解説してそれほどまだ時が経っていないのに。。。ああ、勉強がぼくたちから最も美しいひとときを奪ってしまったのだ! あれほど多くの努力を重ねながらも、そのほとんどは無駄に終わり、得られた最大の成果といえば、せいぜい今朝したように、ギリシア語の歌の意味を理解できるようになったということくらい。その歌は、東方の船乗りの酒臭い口から放たれ、ぼくの耳に響いたものだった。
ネ・カリメーラ! ネ・オラ・カリ!
(ネルヴァル『東方紀行』「ドリューズたちとマロニットたち」、囚人、1. 朝と夕べ)

「我が友へ」という呼びかけは唐突のように思えるが、この一節が最初に発表されたときには「ティモテ・オネイルへ」(à Timothée O’Neil)という献辞が付されていた。そのため、フランスにいる友人に宛てた手紙のような印象を、よりはっきりと与えていた。
二人は共に青春時代を過ごし、勉学に励んだのだろう。そして、他にこれといったこともなく日々が過ぎたため、いつしか青春という最も美しいひととき(nos plus beaux instants)が失われてしまった。しかも、勉学に注いだ多大な努力(tant d’efforts)は結局むなしく(perdus)、その成果といえば、せいぜい偶然耳にした船乗りの歌うギリシア語の歌詞を理解できることにすぎなかった。その程度のことが「最大の成果」(Le grand résultat)なのだ。

« Eheu ! fugaces, Posthume »という詩句は、当時のネルヴァルの読者であればラテン語のままで即座に理解したに違いない。「ああ、すぐに過ぎ去ってしまう、ポストゥムスよ」という意味をもち、ホラティウス『歌集』第2巻第14歌の冒頭句である。
ラテン語は当時、教育を受けた者なら誰もがある程度心得ている基礎的な教養であり、ネルヴァルが想定していた読者もまさにそうした層に属していた。
別の角度から見れば、ホラティウスの詩句を踏まえたこの一節は、「時はすぐに過ぎ去ってしまう」という主題を、「ぼく(je)」が散文で語り直したものといえる。
その際、過ぎ去った青春を惜しむ感慨が込められ、感嘆詞が随所に散りばめられ、さらに« à peine… à peine »と同じ表現が反復されるなどして、「ぼく」の感情が友の心に強く響くよう工夫された文体になっている。

その後になると、今度はラテン語の詩句から一転し、東方の船乗り(le marin levantin)の酒臭い(avinée)口から発せられるギリシア語の歌の一節が引用される。
ちなみに « levant » という語が指す範囲は、現在のトルコや中近東にとどまらず、ギリシアも含まれていた。当時、地中海東岸ではギリシア人の船員が多く活動しており、ギリシア語の歌を取り上げたのも、そのような背景によるものだと考えられる。
ただし、ネルヴァルは引用に際してギリシア文字を用いず、ローマ字転写を使っている。その理由は、当時の読者の多くにとってギリシア文字(Νὴ καλημέρα, νὴ ὥρα καλή.)を読み取るのは難しかったからである。そこで彼は « Ne kalimèra ! ne orà kali ! » とローマ字で表記することで、「ネ・カリメーラ! ネ・オラ・カリ!」という音の響きを、文字を通して直接耳に訴えかける効果を狙ったのだろう。
ちなみに 「νὴ (nḕ) 」は「〜にかけて誓う」、「καλημέρα / kalimèra 」は「よい朝」、「ὥρα καλή / orà kali」 は「よき時」を意味する。したがって、「ぼく」が耳にした歌は「よき朝にかけて! よき時にかけて!」という意味になる。
ギリシア人の船乗りたちは、朝の出航にあたり、航海の安全を祈ってこのような歌を歌ったのだろう。
では、学生時代にギリシア語を学んだという「ぼく」は、この歌詞の意味を正しく理解していたのだろうか?
次の一節で、「ぼく」はその歌詞をまったく異なる意味に解釈している。それは単なる勉強不足の結果なのだろうか? それとも、あえて別の解釈を提示することで、別の意図を込めようとしたのだろうか?
Tel était le refrain que cet homme jetait avec insouciance au vent des mers, aux flots retentissants qui battaient la grève : « Ce n’est pas bonjour, ce n’est pas bonsoir ! » Voilà le sens que je trouvais à ces paroles, et, dans ce que je pus saisir des autres vers de ce chant populaire, il y avait, je crois, cette pensée :
Le matin n’est plus, le soir pas encore !
Pourtant de nos yeux l’éclair a pâli ;
et le refrain revenait toujours :
Ne kalimèra ! ne orà kali !
mais, ajoutait la chanson,
Mais le soir vermeil ressemble à l’aurore !
Et la nuit, plus tard, amène l’oubli !
そんなリフレインを、この男は、無造作に、海の風に向かって、浜辺を打つ響きのいい波に向かって、投げかけていた。「おはようではなく、こんばんはでもない!」 これが、ぼくがその言葉に見出した意味だ。そして、この民衆の歌のほかの詩句から聞き取れたものの中には、こんな考えたがあったように思う。
もう朝じゃない。 夕べはまだ!
でも、ぼくたちの目のひかりは 色あせた。
そして、あのリフレインがいつでも戻ってきた:
ネ・カリメーラ! ネ・オラ・カリ!
さらに、歌詞はさらにこう継ぐいていた。
真っ赤な夕べは 曙に似る!
夜が、後から、忘却をもたらす!
まず最初に、船乗りがリフレインを歌う姿に、海風(le vent des mers)や、浜辺を打つ響きのよい波(les flots retentissants qui battaient la grève)といった美しいイメージが添えられる。そのイメージによって、酒臭い船乗りの口から発せられる歌は一変し、詩的で絵画的な雰囲気を帯びることになる。
そして、その場面を背景として、「ネ・カリメーラ! ネ・オラ・カリ!」の解釈が提示される。本来の意味は「よき朝にかけて! よき時にかけて!」あるいは「よき朝を、よき時を!」であるはずだが、「ぼく」はそれを「おはようではなく、こんばんはでもない!」という意味だと解するのだ。
a.
Ce n’est pas bonjour, ce n’est pas bonsoir !
この言葉はきわめて簡単で単純なフランス語である。しかし音とリズムの観点から見ると、5/5という十音節の一行詩となっており、c(e) n’est pas bon- までは同じ音が繰り返されている。母音 e と on、子音 c, n, p, b が反復され、リズムと音色がフランス詩法に基づいて構成されていることがわかる。
さらに最後に jour と soir という語が加えられることで、昼と夕べのコントラストが導入される。
その直後、この詩句に続けて、民衆の歌(ce chant populaire)の一部であるかのように、「ぼく」自身の短詩が挿入される。
b.
Le matin n’est plus, le soir pas encore !
Pourtant de nos yeux l’éclair a pâli ;
最初の二つの詩句では、まず朝(le matin)と夕(le soir)が、定冠詞 le の [ l ]音の反復によって明確に対比されている。そこでは「朝はもう過ぎ去ったが、まだ夕方には至っていない」と歌われる。
こうして浮かび上がるのは、きわめて中途半端な時間感覚である。
そしてその時間の中で、ぼくたちの目の輝き(l’éclair de nos yeux)はすでに失われてしまっている。
この内容は、ホラティウスの詩句に歌われた「時はすぐに過ぎ去ってしまう」という主題と呼応する。
c.
Mais le soir vermeil ressemble à l’aurore !
Et la nuit, plus tard, amène l’oubli !
「ネ・カリメーラ! ネ・オラ・カリ!」というリフレインを挟んだ後半の二行詩になると、今度は朝と夕の対比ではなく、真紅の夕(le soir vermeil)と曙(l’aurore)が赤い色によって一体化される。
ここで船乗りのリフレイン「よき朝にかけて!」という祈りが夕べの言葉に重なると考えれば、それはさらに、次に訪れる夜(la nuit)が「よき時」(orà kali)となるよう願う祈りへと転化していく、と解釈することができる。
その夜がもたらすものは忘却(l’oubli)であり、それは安らぎ、あるいは慰めでもある。
このように四行の詩句を解読すると、すべてを運び去ってしまう時間の残酷さを嘆きつつ、その中でなお安らぎを求める抒情的な感情が強く表出されていることが見えてくる。
だからこそ、旅人は次の一節で「慰め」に言及することになるのだ。
Triste consolation, que de songer à ces soirs vermeils de la vie et à la nuit qui les suivra ! Nous arrivons bientôt à cette heure solennelle qui n’est plus le matin, qui n’est plus le soir, et rien au monde ne peut faire qu’il en soit autrement. Quel remède y trouverais-tu ?
なんと哀しい慰めだろう。人生の深紅の夕べを夢見、その後に続く夜を夢見るとは! やがてぼくたちは、あの厳粛な時へと至ることになる。それはもはや朝でもなく、もはや夕べでもない。そして、この世のいかなるものも、それを別な風に変えることはできない。もし君だったら、そこにどんな救いを見いだすだろうか?

人生を無為に過ごしてしまったあと、すべてを忘れさせてくれる夜が訪れるとすれば、それは慰め(consolation)にはなるが、しかし悲しい(triste)慰めである。
それは厳粛な時(cette heure solennelle)であり、もはや朝でもなく、夕でもなく、その流れを別のものに(autrement)変えることはできない。
ここで注目したいのは、先に引用された詩句が散文の中にはめ込まれている点である。
Le matin n’est plus, le soir pas encore !
(cette heure solennelle qui) n’est plus le matin, qui n’est plus le soir,
このように散文が韻文の詩句を含み込むことで、言い換えれば、散文そのものが詩的な印象を与えうることが、明瞭に示されている。
その印象が持続すると、次の « Quel remèd(e) y (4) / trouverais-tu (4) » という文も、4/4の区切りをもつ八音節の詩句として響いてくる。
その結果、Triste consolation から trouverais-tu ? に至る一節全体が、非常に音楽的であり、失われた過去を惜しむ感情に深く沈む抒情的な内容を帯びた「詩的散文」となっている。
« Triste consolation, (6) / que de songer (4) / à ces soirs vermeils de la vie (8) / et à la nuit qui les suivra (8) ! / Nous arrivons bientôt (6) / à cette heure solennelle (7) / qui n’est plus le matin, (6) / qui n’est plus le soir (5), / et rien au monde (5) / ne peut faire (4) / qu’il en soit autrement (6). / Quel remède y (4) / trouverais-tu (4) ? »
(分節の数字はフランス詩法に基づく)
この一節を声に出して読めば、散文の形式でありながら詩として響くことを実感できるだろう。

「朝と夕」の冒頭部分を、詩や歌という視点から読むと、ネルヴァルが、教養を必要とする古代ローマの詩句と、日常生活に密着した船乗りの歌を同列で取り上げることで、上下の区別を取り払った詩を志向していたことがわかる。
さらに、そこに自らの韻文詩を重ね合わせ、散文に韻文の要素を組み込むことで、詩とは韻文で書かれるものというフランス詩の規則から逸脱しつつ、散文でも詩的表現が可能であることを実際に示している。
ネルヴァルの文をフランス語で読まなければ、散文による詩的な美を十分に感じ取ることはできない。しかし逆に言えば、フランス語を理解できることで、ネルヴァルが目指した詩の世界を体感できるということにもなる。
そう考えると、旅行者である「ぼく」が友に語りかけるように、私たちも勉強のために多少青春を犠牲にしたとしても、フランス語を学んだことに感謝してよいのかもしれない。
« Le matin n’est plus, le soir pas encore ! » で始まる韻文詩は、La Bohême galanteと題された、青春時代の思い出を語る回想録風の作品の中で、若い頃に書かれた詩の一つとして「Ni bonjour, ni bonsoir」という題名で紹介されている。
この詩の解説については、以下の項目を参照。
Nerval Ni Bonjour Ni bonsoir ネルヴァル お早うでもなく、お休みでもなく