
奈良時代から鎌倉時代前期にかけて、人々が富士山に託した思いは、「神さびて高く尊き」信仰の対象から、「恋の炎」に象徴される情念の山が加わり、さらに「空し」といった無常観を帯びることもあった。
ここで注意したいのは、富士山の象徴がいつの時代にも多層的であり、いずれか一つの側面が他を排除することはなかったという点である。神聖、燃える恋、儚い恋、そして無常、それらが共存していたことこそ、きわめて日本的な現象であるといえる。
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奈良時代から鎌倉時代前期にかけて、人々が富士山に託した思いは、「神さびて高く尊き」信仰の対象から、「恋の炎」に象徴される情念の山が加わり、さらに「空し」といった無常観を帯びることもあった。
ここで注意したいのは、富士山の象徴がいつの時代にも多層的であり、いずれか一つの側面が他を排除することはなかったという点である。神聖、燃える恋、儚い恋、そして無常、それらが共存していたことこそ、きわめて日本的な現象であるといえる。
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山部赤人のように、富士山に「神さびて高く貴き」感情を投げかける流れが成立した一方で、より人間的な感情を託す流れも生まれていった。
人間的な感情の代表は、まず第一に「恋」であり、その場合、富士山の噴火から連想される「燃える」という言葉によって表されることが多い。
もう一つの代表的な感情は「無常観」であり、噴火の後の「煙」は、恋だけではなく、無常を象徴することもあった。
「オー・シャンゼリゼ」は、日本で最もよく知られたシャンソンの一つだが、この「オー」の意味は今でも時々誤って理解されることがある。シャンゼリゼにやって来て、「オー!」と感嘆の声を上げた、というふうに思われているらしい。
しかし、歌詞を見ると、リフレインの部分には « Aux Champs-Élysées » とあり、「オ」は「シャンゼリゼで」という場所を示す前置詞であることがわかる。
歌詞の内容はとてもロマンチックだ。シャンゼリゼをひとり寂しく歩いていた「私」が、偶然出会った「君(あなた)」に恋をする。昨日の夜は赤の他人だったのに、今朝は恋人。朝が明けると同時に、鳥たちが二人の愛を歌ってくれる。その出会いは、偶然ではなく、運命だったのだ。
道で声をかけたとき、「何でもいいから」とにかく話しかけたのは、« pour t’apprivoiser »、つまり、君(あなた)と「絆を結びたかった」からだという。
この « apprivoiser » という動詞は、『星の王子さま』で、キツネが王子さまに「絆を結ぶ」ことの大切さを教える場面でも使われている言葉だ。
そんなことを頭に置きながら、ジョー・ダッサン(Joe Dassin)の歌 « Les Champs-Élysées » を聴いてみよう。ちなみに原題には前置詞は入っていない。

富士山は、日本の象徴として最もふさわしい存在だと多くの人が考えているに違いない。では、その富士山に対して、日本人はどのような感情を抱き、どのように表現してきたのだろうか。
この問いに対して、奈良時代から平安時代を経て鎌倉時代前期にかけて作られた和歌や物語は、一見対照的な二つの心情を私たちに伝えてくれる。
山部赤人(やまべのあかひと)と西行(さいぎょう)の歌に、その典型を見ることができる。
田子の浦ゆ 打ち出いでて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける
(『万葉集』3-318)
風になびく 富士の煙(けぶり)の 空に消えて ゆくへも知らぬ わが思ひかな
(『新古今和歌集』1615)
赤人の富士には、真っ白な雪が降り積もり、永遠に続くような神々しい姿が描かれている。
それに対して、西行の富士には風が吹きつけ、噴火の煙が空に消えていくさまが、生の儚さや無常観を象徴している。
奈良時代から平安時代へと時代が移りゆくなかで、富士山に託された心情は、このように変化していったのである。
その変遷の過程をたどることは、日本人の心のあり方を、私たち現代人にあらためて問いかけてくれるだろう。