天照大御神はどのようにして主神となったのか 2/3

(3)『古事記』と『日本書記』における
日の神・天照大御神の主神化の過程

『日本書記』には、壬申の乱の過程において、大海人皇子の一行が「天照大神を仰ぎ見て拝した」とされる一節があり、その祈りが聞き入れられて勝利がもたらされた、という意図を読み取ることができる。
この記述は、神武天皇以来の天皇の権力基盤が固まり、政権が安定するにつれて、天照大御神を国家の主神として祭り上げていく一つの流れを形成したと考えられる。

A. 『日本書記』本文 天下を治める日の神

『日本書記』の本文において、天照大御神の誕生を語る部分では、イザナギとイザナミが国生みを終えた後、自然界のさまざまな事物を生み、その創造の最後に「日の神」を生んだとされる。その神の名前の一つが天照大御神である。

まず海が生まれ、次に川が生まれ、さらに山が生まれた。その後、木の祖神である句句廼馳(くくのち=樹木の根源神)が生まれ、草の祖神である草野姫が生まれる。草野姫は、野槌(のづち)とも呼ばれている。
こうして伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)は相談し、言った。
「私たちはすでに大八洲国をはじめ、山や川、草や木まで生み出した。ならば、天下を治める主を生まないわけにはいかない。」
そこで二柱の神は日の神を生み、大日孁貴と名づけた。「大日孁貴」は「おおひるめのむち」と読み、「孁」は“ひるめ”と読む。ある書には天照大御神と記され、また別の書には天照大日孁尊(あまてらす おおひるめのみこと)とも記されている。
この神は光り輝く霊妙な神で、その光は天と地、さらに東西南北の四方すべてに行き渡り、世界の隅々を照らしていた。そのため二柱の神は喜び、言った。
「私たちの子は多いが、これほど霊しく不思議な子はかつてなかった。この国に留めておくべきではない。早く天へ送り、天上の政を司らせるべきである。」
当時は天と地の隔たりがまだ大きくなかったため、天の柱を立て、それを押し上げて天上へ送ったという。
(『日本書記』神代上、本文)

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天照大御神はどのようにして主神となったのか 1/3

天照大御神(あまてらすおおみかみ)について、一般の日本人はどのようなことを知り、どのようなイメージを抱いているのだろうか。

岩戸隠れのエピソードで知られる太陽の女神であり、伊勢神宮に祀られ、皇室の祖先神で、日本神話の中で最も尊い神である。多くの人は、おおよそこのような、やや漠然とした理解を抱いているのではないだろうか。

もしそうだとすれば、その背景には、日本神話が語られている『古事記』(712年)や『日本書紀』(720年)を、私たちが実際にはほとんど読むことがないという事情がある。その点において、日本の状況は、ヨーロッパでギリシア・ローマ神話が比較的広く読まれている状況とは、かなり異なっていると言えるだろう。

さらに、日本の神話を体系的に語った最初の書物である『古事記』や『日本書紀』についても、それらが誰によって、いかなる意図のもとに編纂されたのかは、十分に知られているとは言いがたい。『古事記』が日本語を漢字によって書き写した書物であるのに対し、『日本書紀』は漢文によって記された歴史書であるという基本的な違いでさえ、必ずしも広く共有されているわけではない。

その結果、日本神話の中心的存在とも言える天照大御神についても、どのような経緯で主神と見なされるようになったのか、また神話の中でどのような役割を担っているのかといった点が、深く考えられることのないまま、半ば自明のものとして受け入れられているように思われる。

もちろん、そのような理解の仕方であっても、知らないままで差し支えが生じるわけではない。しかし、知らないということに気づいてしまうと、つい知りたくなるのも人情である。そうした思いに導かれて、ここでは少しだけ、天照大御神について掘り下げて考えてみたい。

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