天照大御神はどのようにして主神となったのか 4/4

(5)天孫降臨 天照大御神の地上における代理者

天武天皇によって編纂が命じられた『古事記』と『日本書紀』において、「天孫降臨(てんそんこうりん)」が最も重要な神話的挿話であることは、まず異論のないところだろう。
なぜならこの挿話は、高天原(たかまがはら=神々の次元)から葦原中国(あしはらのなかつくに=人間の次元)へと、天照大御神の孫である邇邇芸尊(ににぎのみこと=以下ニニギと記す)が降臨することを語り、さらに初代天皇・神武天皇へと系譜が連なることで、天皇が神の子孫であることを国内外に示す役割を担っているからである。

『万葉集』で言えば、これはまさに「大王(おおきみ)は神にしませば」という表現と対応する思想である。そして、この表現を用いた和歌が、天武天皇の時代(在位:673年〜686年)に数多く見られることは、「天孫降臨」神話が七世紀後半に形成された可能性を示唆しているといってよいだろう。

ここで興味深いのは、和歌においては「大王は神にしませば」と、ほとんど前提となる説明を必要とせずに詠まれ得る思想が、『古事記』では読み物としての物語として語られ、他方、『日本書紀』では「日本」という国家の正当性を国内外に主張する論理を含んだ神話として構成されている点である。

その違いを知ることは、現代の私たちが日本神話をより深く理解する手がかりとなると同時に、現在の日本のあり方を、先入観にとらわれずに捉えることにもつながるだろう。

(A)『古事記』 全てを統べる天照大御神

私たちは、天照大御神が日本の主神であるという説を、ごく当然の前提として受け入れている。そのため、天照大御神が万物を治める存在であるという考えに、特別な違和感を抱くことはほとんどない。

しかし、後に見るように、『日本書紀』においては、天照大御神だけでなく、高皇産霊尊(たかみむすひ)もまた重要な役割を担っている。とりわけ、高皇産霊尊は「天地開闢(てんちかいびゃく)」の際に生成した三神の一柱であり、本来の主神であったと考えられる場合もある。

こうした点を踏まえると、『古事記』の物語が、いかなる語りの工夫によって、人々に天照大御神がすべてを支配し、神々と人間の上位に立つ存在であると信じさせることに成功しているのかという問題に、自然と関心が向けられる。

「天孫降臨」に先立って語られるのが、「国譲り」の物語である。
神々が葦原中国(あしはらのなかつくに、すなわち地上)に降臨する以前に、まずこの地が平定されている必要があった。その役割を担ったのが、因幡の白ウサギの説話で知られ、後世には大黒天としても信仰される大国主(おおくにぬし)である。
そして、地上の平定を成し遂げた後、大国主は天照大御神より国土を譲るよう命じられ、巨大な出雲大社の造営を条件として、その要請を受け入れる。今日、出雲大社に大国主神が祀られているのは、この神話的経緯によるものである。

この「国譲り」に続いて、高天原から神々が降臨する「天孫降臨(てんそんこうりん)」の物語が語られる。すなわち「天孫降臨」とは、大国主が平定した葦原中国を、天照大御神の子孫が支配し、統治していく過程を描いた挿話であると理解できる。

そして『日本書紀』とは異なり、『古事記』においては、天から地上へ下る神としてニニギが指名され、人間の住む世界の統治を命じる存在は、終始一貫して天照大御神に限られている。
『古事記』では、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)が時に高木神の名で言及されるものの、その関与はあくまで限定的なものにとどまっている。

『古事記』において、天照大御神はニニギに対し、地上の統治権を次のような言葉で委ねる。

この豊かな葦原(あしはら)の水穂(みずほ)の国は、あなたが治めるべき国である。その統治を、正式にあなたに委ねる。この命に従い、天から地上へ降(お)りなさい。
(『古事記』)

この言葉から理解できるのは、地上における真の統治者は常に天照大御神であり、ニニギはその権限を委任される存在にすぎない、という構図である。

さらにニニギには、その委任が正当なものであることを保証する象徴として、三種の神器と総称される宝物が与えられる。

天照大御神は、御頸(みくび)に掛けておられた玉の首飾りの緒をゆるめ、それを取り外して授け、次のように仰せになった。
「この鏡を私の御魂(みたま)として、私と同じように、寝所を共にし、御殿を同じくして、丁重に祀(まつ)りなさい。」
さらに、草薙の大刀(くさなぎのたち)と八尺瓊の勾玉(やさかにのまがたま)とをお授けになった。
(『古事記』)

ここで注目すべきは、玉の首飾りとして掛けられていたものが鏡であり、その鏡が「天照大御神の御魂(みたま)」であると明言されている点である。

そして、その鏡を常に祀るよう命じるということは、地上においても天照大御神の存在を絶えず意識するよう求める要請にほかならない。
言い換えれば、たとえニニギが地上を統治するとしても、主権者はあくまで天照大御神であるという原則を、この挿話は明確に示しているのである。ニニギはあくまでも代理者なのだ。

ここで授与される鏡について言えば、「天岩戸」の挿話において、天照大御神が岩屋に籠もっている間に作られた八咫鏡(やたのかがみ)であると考えることもできる。なぜなら、その鏡と同時に作られた八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)が、ここでも三種の神器の一つとして言及されているからである。

また、鏡が天照大御神の魂そのものであるという点に着目すれば、天照大御神が岩戸から姿を現す際に差し出された鏡の存在を想起させるものとも重なってくる。

「天岩戸」の挿話において、鏡は天照大御神を外に誘い出す装置として用いられていた。

天照大御神は、天の岩屋の戸を少しだけ開き、内側からこうお告げになった。
「私が隠れているために、高天原は闇に包まれ、また葦原中国もすべて闇となっているはずである。それなのに、なぜ天宇受売命(あめのうずめのみこと)は楽しそうに舞い、また八百万の神々は皆、笑っているのか。」
そこで天宇受売命は答えて言った。
「あなた様よりも、さらに尊い神がお出ましになっているので、そのことを喜び、みな笑い楽しんでいるのです。」
こう語っているあいだに、天児屋命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとだまのみこと)は、鏡を差し出し、天照大御神にお見せ申し上げた。天照大御神は、いよいよ不思議に思われ、少しずつ岩屋の戸から外へ出て、差し出された鏡に近づかれたそのとき、岩屋の脇に隠れて立っていた天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が、その御手を取り、強く引き出した。
(『古事記』)

この場面では、二柱の神が鏡を天照大御神の前に差し出す。それを見て、天照大御神は岩戸の外へと身を乗り出され、そこで天手力男神(あめのたぢからおのかみ)によって引き出される。その結果、世界は再び太陽の光を取り戻すことになる。
このように理解すると、鏡は、神を岩戸の内から外へと招き出すための装置としての役割を担っていると捉えることができる。

一方、上で見てきたように、「天孫降臨」の場面では、「この鏡は我が御魂である」と明言されている。
鏡に関するこの二つの役割を重ね合わせると、岩戸の鏡は、天照大御神が本来あるべき場へと再び姿を現すための祭具であり、その祭具とは、太陽の光で世界を照らすという神の本質的な働きを象徴するものであり、その意味で「魂」と見なされているのだ、と理解することができる。
そして、ニニギがその鏡を地上にもたらすことは、地上においても天照大御神の顕現が可能となること、すなわち天上の神が地上においても臨在し続けるための装置が設えられることを、あらかじめ示していると考えてよいだろう。

また、ニニギが降り立つ地上は、物語上、すでにスサノオの活動によって秩序化への道筋が示されていた世界である。スサノオは出雲国においてヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治し、その過程で草薙の大刀(くさなぎのたち)を得たとされる。この剣は、葦原中国全体の平定を直接に成し遂げたことを意味するというよりも、出雲を中心とする地上世界に秩序がもたらされ、その支配権が正統な形で継承されていく起点を象徴する宝物として位置づけられている。

以上を踏まえると、三種の神器とは、高天原に留まる天照大御神が、葦原中国においても存在し続けることを示す象徴的な証であり、ニニギ、ならびにその子孫である歴代の天皇が、天照大御神から委託を受けて地上を代理統治する存在であることを示す理念的装置である、ということになる。

もっとも、三種の神器が一体として皇位継承の正統性を示す体系を成し、それが儀礼として確立していくのは、歴史的には七世紀後半、すなわち天武・持統朝期における王権理念の整備と深く関わっていると考えられている。その意味で、『古事記』に描かれた神器の授与は、その時代の王権構造を、神話として物語り、正当化する役割を担っていると見ることができる。

このような理解に立つならば、現代に至るまで継承されている皇位継承の儀礼において三種の神器が重視されているのは、単なる物的連続性によるものではなく、天照大御神を根源とする主権委任の理念が、神話から歴史へと受け継がれてきたことを象徴する行為であると言えるだろう。
その原点こそが、『古事記』に記されたこの神話的叙述なのである。

(B)『日本書紀』 天壌無窮(てんじょうむきゅう)の思想

『古事記』が、物語構造を通して天照大御神の絶対化を一貫して推し進めているのに対し、『日本書紀』では、天照大御神とは別に、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の存在が明確にクローズアップされている。
さらに、天皇を中国王朝の天子に匹敵する存在として位置づけるための、論理的・思想的な説明が付加されている点にも特徴が認められる。

やや形式的な問題に立ち入ることになるが、ここで『日本書紀』の記述構成について確認しておきたい。
『日本書紀』では、「本文」の後に「一書に曰く」という形式を用いて、複数の異伝が併記される構成が採られている。
一見すると、「一書」は注釈のように受け取られがちである。しかし実際には、本文とは異なる系統の伝承や、別の視点を提示する役割を担っており、本文の内容を否定するものではない。

ここで検討している「天孫降臨」の段について言えば、「本文」に続いて、八つの「一書」が掲げられている。

本文で語られる内容は、大きく二つに分けることができる。
第一は、「天照大御神―(子)アメノオシホミミ―(孫)ニニギ」という、三代にわたる系譜である。
第二は、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の主導性を示す挿話である。

葦原中国は、いまだ完全には平定されておらず、混沌とした状態が続いていたため、あらためてその平定が必要とされていた。そこで高皇産霊尊は多くの神々を召集し、誰を地上に遣わすべきかを合議したうえで、邇邇芸命を「葦原中国の主」と定める。

これに対し、八つの「一書」が付け加えている要素のうち、とりわけ重要なのは、天照太神の関与を強調している点である。
ここでは、天照太神が主体的に命令を下し、邇邇芸命を地上へ降す存在として描かれている。


では、このように高皇産霊尊と天照大御神とが並び立つ、いわば二重構造は、いったい何を意味しているのだろうか。

高皇産霊尊は、「天地開闢」の冒頭に出現する三柱の神の一柱であり、「産霊(むすび)」という語が生産や生成を意味することからも明らかなように、「創造」そのものを神格化した存在であると考えられる。
さらに言えば、高皇産霊尊は、「世界が生成される際の根源的な原理」に関与する神であると位置づけることもできるだろう。

ここれに対して、天照大御神は、「血統的正統性」を保証する存在である。
すなわち、子から孫へと血統が連続することを典型として、系譜の一体性と連続性を保証する役割を担っている。

さらに言えば、天皇へと連なる系譜が天によって定められたものであり、他の王権と交替しうるものではないことを示す存在でもある。

この意味で、天皇家の統率権を「自然なもの」「当然のもの」として受け入れさせる、いわば王権の自然化を正当化することこそが、天照大御神の最大の機能であると言える。

このように考えると、『日本書紀』におけるこの二重構造は、中国の史書に見られる、「天地創造の原理」と「天子による支配」とが分節されつつ併存する構図と対応していることが理解できる。
すなわち、東アジア漢字文化圏において、天皇が中国王朝の天子と並び立ちうる存在であることを主張するために、この構図が用いられたのではないかと考えられる。

そして、その主張は、単に神話的物語として語られるにとどまらず、「天壌無窮(てんじょうむきゅう)」という思想として明確に理念化されている。


天地と同じように永遠に続くことを意味する「天壌無窮」という概念が明確に打ち出され、しかも物語の展開の後でそれが用語として固定されるのは、「天孫降臨」挿話に付された最初の「一書」においてである。
そこでは、天照大御神がニニギに地上への降臨を命じるにあたり、三種の神器を授けると同時に、その統治が永遠に続くものであることを、明確な言葉によって告げている。

天照大神は、天津火瓊瓊杵尊(あまつひこ・ににぎのみこと=ニニギ)に、八坂瓊の勾玉(やさかに のまがたま)、八咫鏡(やたのかがみ)、草薙の剣(くさなぎのつるぎ)という三種の宝物をお授けになった。(中略)
そして皇孫ニニギにこうお命じになった。
「葦原千五百秋(あしはらのちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国は、わたしの子孫が君主として治めるべき国である。皇孫たるそなたこそが、そこへ赴いて統治すべき存在である。天皇の位の積み重なる栄えは、天地と並んで、尽きることがない(天壌無窮)であろう。」
(『日本書紀』神代下、一書曰)

ここでも、『古事記』と同様に、系譜の正当性は三種の神器によって示されている。
しかし『日本書紀』においては、それが物語的展開によって示されるにとどまらず、ニニギに連なる天皇の永続性が、「天壌無窮」という語によって明確な宣言として言語化されている点に、大きな特徴がある。

ニニギが治めるべき国は、「葦原千五百秋の瑞穂の国」とされる。
「葦原」は、「葦原中国(あしはらのなかつくに)」を略した表現であり、「千五百秋(ちいほあき)」は、千や五百といった数によって象徴される、数え切れないほど多くの収穫の秋、すなわち尽きることのない年月を意味する。

「瑞穂の国」の「瑞」は、めでたさや吉兆を意味し、「穂」は稲の穂を指す。
したがってそこは、神の祝福を受け、豊かな稲作の実りを享受する国であると理解してよい。
以上を踏まえると、「葦原千五百秋の瑞穂の国」とは、人間の世界であるこの国土が、無限に稲が実り続ける、神に祝福された場であることを意味している。

そして、その国における「永遠に尽きることのない豊かな稲作の実り」こそが、「天壌無窮(てんじょうむきゅう)」という理念の、具体化された姿にほかならない。

天壌無窮」は、天(天上の世界)、壌(地、すなわち人間世界)、無窮(尽きることなく永遠であること)という三つの要素から成り、天と地が存続する限り終わることのない状態を意味する。
この思想が示すのは、神の代理者である地上の王権が、天(天照大御神)に由来し、地(葦原中国)に下り、その連続が永遠に続くという構造である。

ここで注意したいのは、その王権が、人間の活動、すなわち武力による征服や政治的駆け引きによって獲得されるものではない、という点である。
その正当性は、人間の次元ではなく、神の次元において、あらかじめ定められているものなのだ。

この点において、中国思想とのあいだには明確な断絶がある。
東アジアの思想において「永遠」は、しばしば循環として理解され、王朝は交替し、徳を失った天子は、別の王朝の天子と交替する。

それに対して日本では、断絶や革命は想定されず、王朝交替は原理的に否定される。
すなわち皇室は、同一血統・同一系譜による、切れ目のない継承が絶対条件とされるのである。

日本と中国におけるこの違いを理解することで、「天壌無窮」という思想が、日本の天皇家を支える最も重要な理念であることが、より明確に浮かび上がる。
そして『日本書紀』では、「天壌無窮」の理念を明示することによって、東アジア漢字文化圏の読者に向けて、天皇家が日本を統治する原理そのものを、論理的に提示しているのである。

現代の日本でもしばしば語られる「万世一系(ばんせい・いっけい)」、すなわち天皇家の血統が永遠に一つの系譜として続くという考え方も、まさにこの『日本書紀』に記された言葉から発想されたものであると言える。

(6)伊勢神宮の天照大御神

天照大御神の主神化を考える際に、その神を祀る伊勢神宮の存在を抜きにすることはできない。
とりわけ、壬申の乱の勃発に際して、天武天皇が伊勢神宮に向かい祈りを捧げたという記述が『日本書紀』に見えることからも、両者の関係がきわめて密接であったことがうかがわれる。

『日本書紀』の「天岩戸」挿話の一つには、天照大御神が岩戸から出てくる際に用いられた鏡が、伊勢神宮に祀られているとする記述が見られる。

中臣氏(なかとみし)の遠祖である天児屋命(あめのこやねのみこと)が、祝詞をもって神を祈り鎮めた。すると、日の神(天照大御神)は、まさに岩の扉を開いて外へお出ましになった。このとき、鏡をその岩屋の中へ差し入れた際、扉にわずかな瑕(きず)がついた。瑕のあるその鏡は、伊勢神宮の御幣(ごへい)に、今もなお残っているという。この神こそが、伊勢に秘かに崇められている大いなる神(天照大神)である。
(『日本書紀』神代上、一書曰)

この挿話でとりわけ注目すべきなのは、鏡に「傷(瑕)」が付いたと明言されている点である。

この鏡は、天照大御神を岩戸の外へと招き出すための儀礼具、すなわち神を顕現させるための装置として機能していた。
では、その鏡についた瑕は、いったい何を意味するのだろうか。

それは決して鏡の欠陥を示すものではない。むしろ、神がこの世界に現れたことの「痕跡」を物語るものと理解すべきである。すなわち、その瑕は、人間の目には直接見ることのできない天照大御神の存在を、地上において感知可能なかたちで示す役割を果たしているのである。

この「一書」は、その鏡が伊勢神宮に祀られているという挿話を語ることによって、伊勢に祀られる天照大御神が、単なる一地方の神ではなく、天皇家の支配の及ぶすべての地域の神々の上位に立つ存在であり、日本という国家の礎をなす主神であることを、国の内外に示す役割を果たしている。

このような伊勢神宮と天照大御神の位置づけは、壬申の乱を経て成立した天武天皇の王権を正当化する文脈とも、深く結びついている。
後に天武天皇となる大海人皇子が、逃走の途上で伊勢神宮を遥拝したと伝えられることや、持統天皇の代に、天照大御神を祖とし、その孫であるニニギが地上に降臨するという系譜が明確に整えられたことは、神話が当時の政治的現実を映し出しつつ再構成された可能性を示している。

したがって、天照大御神の主神化とは、壬申の乱以後に成立した天皇家の正当性を、『古事記』と『日本書紀』という史書の編纂と、伊勢神宮における祭祀という宗教的実践とを通じて、二重のかたちで推し進め、制度化していった過程であったと考えることができる。


天照大御神について少し立ち止まって考えてみた。

そうするだけで、日本神話の中核をなす『古事記』と『日本書紀』が、単なる「古い物語」ではないことに気づかされる。そこに描かれた神々の姿は、遠い神代の出来事というよりも、むしろ天武・持統朝という時代が、自らの在り方をどう語ろうとしたかを映し出す鏡のように見えてくる。

もちろん、神話を史実として読むことはできない。神々の行為は、歴史の記録ではなく、物語として語られるべきものだ。それでも日本では、ときに神話が人間の歴史と地続きのものとして受け取られ、神々の行動が実際に起こった出来事であるかのように説明されることがある。ギリシアやローマの神話において、神々の物語が史実として扱われることがほとんどないのと比べると、この点はやはり特異だと言わざるを得ない。

『古事記』と『日本書紀』は、神話を「語り方」そのものによって使い分けている。前者が物語として神々の世界を描き出すのに対し、後者は理念を説明するために神話を配置しているように見える。どの神を中心に据えるのか、どの系譜を強調するのか、その選択一つひとつに、当時の王権の自己理解が滲んでいる。

神話とは、過去をそのまま伝えるものではない。過去を語る形を借りて、現在を支えるための言葉でもある。だからこそ、記紀の編纂意図を意識して神話を読むことは重要なのだ。それは歴史の正誤を確かめるためではなく、物語がどのように人の心に働きかけてきたのかを知るためである。

冒頭で天照大御神について考えてみようと促したのも、そのためだ。
神々を史実の登場人物として扱うのではなく、語られた存在として見つめ直すとき、日本神話は、遠い過去の話ではなく、今もなお私たちの思考の奥に静かに影を落としている物語として立ち上がってくる。その距離感こそが、日本神話を読むうえで、もっとも大切なところなのかもしれない。

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