言葉と沈黙の余韻 仏教、荘子の言語観と和歌・俳句 1/2

現代の日本では、「言葉にしなければ自分の意志を相手に伝えられない」と言われることが多い。コミュニケーションが苦手な人の特徴として、「自分の意見をうまく言語化できない」といったことも挙げられる。

しかし一方で、「言わぬが花」という考え方や、「言わなくても分かる関係」が親密さの一つの指標になると感じられる場合もある。
仏教に由来する「以心伝心」や「阿吽の呼吸」といった言葉が、今も日本文化の中に息づいていることも確かである。

こうした相反する言語観を同時に抱えている現代の日本人には、「言わなくてもこれくらい分かるだろう」と「言わなければ分からない」との間で齟齬が生じることがある。「そこまで言わなくてもいいのに」と思うこともあれば、「もっと言ってほしかった」と感じることもあるだろう。

こうした状況にいるとき、これまでの日本文化の伝統の中で、言葉がどのように考えられ、どのように使われ、何を表現してきたのかを知ることは、現代の私たちが言葉について考えるうえでも有用である。

ここではまず、私たちの文化の根底に流れる仏教や荘子の言語観を考察し、ついで、そうした考え方が日本においては和歌や俳句といった言語芸術によって、いかに具体的に表現されてきたかを見ていくことにしよう。

(1)荘子と仏教における言語観

仏教や荘子の思想には、一見すると、言語に対する強い警戒や不信に基づくように見える説話がしばしば登場する。そこでは、言葉は真実をそのまま伝える透明な媒介ではなく、ときに人を惑わせ、理解を妨げるものとして描かれている。

A. 荘子 「朝三暮四」

その代表的な例が、荘子の語る「朝三暮四」の寓話である。

人は、本来多様で複雑な物事を、自分の理屈によって無理に一つの「正しい形」にまとめようとし、そのために心や精神を酷使する。そして、物事の本質はすでに一つであるにもかかわらず、表面的な言葉や見かけに一喜一憂してしまう。これが「朝三」のあり方である。 では、「朝三」とは何か。
あるところに、猿を飼う老人がいた。老人が猿たちに木の実を配る際、次のように言った。 「朝に三つ、夕方に四つやろう。」 すると猿たちは皆、怒り出した。そこで老人は言い直す。 「それなら、朝に四つ、夕方に三つにしよう。」 今度は、猿たちは一転して喜んだ。 しかし実際には、与えられる木の実の数も内容も何ひとつ変わっていない。
ただ言い方が変わっただけで、喜びや怒りが生じたのである。 (『荘子』「斉物論」編)

猿に与えられる木の実は、朝夕合わせて七つである。この点は終始変わらない。それにもかかわらず、猿たちは老人の言葉に反応し、「朝に三つ、夕方に四つ」と聞けば怒り、「朝に四つ、夕方に三つ」と聞けば喜ぶ。

同じ事実であっても、言い方一つで受け入れたり拒んだりする態度は、私たち自身の姿と重なる。そこでは、事柄そのものではなく、言葉の表層だけが意識され、肝心の内容が見失われている。
こうした意味で、この寓話は、言葉が人を惑わせるように機能してしまう状況を描いていると読むことができる。

しかし、さらに踏み込んで考えれば、「朝に三つ、夕方に四つ」という言葉そのものが虚偽を語っているわけではないことが分かる。問題は、その表現を通して、「朝夕合わせて七つ」という事柄の全体を読み取ることができず、言葉の違いに振り回されてしまう点にある。

つまり、ここで問われているのは、言葉の真偽ではなく、言葉をどう受け取り、どう理解するかという態度である。その意味で、この寓話が示しているのは、言葉そのものへの不信というよりも、言葉に囚われ、本質に至ることのできない心のあり方であると言える。

では、なぜそのような事態が生じるのだろうか。それは猿の側の問題であると同時に、言葉が本来的に抱えている構造的な問題でもある。
その問題とは、言葉における「名と実のずれ」、すなわち、言葉が事物のあり方を完全には捉えきれないという点にある。

この「名と実のずれ」を理解するうえで、大乗仏教の経典に収められた一つの挿話は、重要な手がかりを与えてくれる。


B. 善財童子(スダナ)の「泉の譬え」

大乗仏教の経典『四十華厳(しじゅうけごん)』には、スダナ(善財童子)という少年が悟りを求めて旅に出て、さまざまな善知識を訪ね歩く物語が描かれている。その過程で語られる一挿話が、いわゆる「泉の譬え」である。

スチャンドラは言った。
「ここに、どこまでも広がる砂漠がある。そこには泉も井戸もない。春であれ夏であれ、とにかく暑さの厳しい季節である。一人の旅人が、西から東へ向かって歩き続けていた。その途中、東の方からやって来た一人の人と出会う。旅人はその人にこう頼んだ。
『私は今、死ぬほど喉が渇いています。泉を見つけて、涼しい木陰で休み、水を飲み、水浴びをして元気を取り戻したいのです。どうか、その泉がどこにあるのか教えてください。お願いします。』
東から来たその人は、頼まれるままに、ていねいに説明した。
『このままさらに東へ進むと、やがて道が二つに分かれる。右と左だ。そのうち右の道を選びなさい。そして辛抱して歩き続ければ、必ず泉があり、涼しい木陰のある場所にたどり着く。』
さて、スダナよ。この西から来た、喉が干上がるほど渇いた旅人は、この泉と木陰の話を聞いただけで、急いでそこへ行きたいと願えば、炎のような暑さと渇きから救われ、生き返ることができるだろうか。」
スダナは答えた。
「いいえ、それはできません。人から教えられただけでは足りません。旅人が自分の足で実際に泉にたどり着き、その水を飲み、身を浸したとき、はじめて渇きは癒え、暑さから逃れ、命を取り戻すことができるのです。」
するとスチャンドラは言った。
「スダナよ、菩薩の生活もまた然りである。その話を聞き、考え、理知をもってそれを知り得るだけでは、決して真理に到達することはできない。スダナよ、砂漠とは生死のことである。西から来た者とは生きとし生けるものを意味し、炎熱はあらゆる迷い、渇きは貪欲を意味する。道を知れる東から来た人とは、仏、または菩薩である。彼はすべてを知り、一切の法の真の存在性に徹し、平等の真理に達している。清らかな泉の水を飲んで渇きを癒し、炎熱から脱するとは、人々が自らによって真理を自覚することにほかならない。」

(『四十華厳(しじゅうけごん)』〔『華厳経』「入法界品(にゅうほっかいぼん)」漢訳〕)

砂漠の中で喉が渇いた旅人が途方に暮れ、自分がこれから向かおうとしている方向からやって来た人に、水のある場所を尋ねる。そして、泉の場所を教えてもらうことができる。
その譬え話の後、スチャンドラはスダナに、道を教えてもらったこと、すなわちその言葉によって、旅人の喉の渇きは収まり、涼しい木陰で安らぐことができるのか、と問いかける。

もちろん、どこに泉があるのかを聞いただけで、渇きが収まることはない。スダナが言うように、自分の足で泉にたどり着き、その水を飲まなければ、渇きは癒えない。
スチャンドラもまたスダナの答えを肯定し、言葉を聞き、理屈を理解しただけでは水を飲むことはできないのであり、実際に泉の水を飲むことこそが真理を自覚することなのだと諭す。

別の言葉で言えば、泉の場所を説明する言葉は地図に相当する。水を飲むためには、その地図を手がかりに自分の足で歩き、泉に到達して、実際に水を飲まなければならない。大切なのは地図そのものではなく、水を飲むことである。

もし地図を見るだけで水を飲んだつもりになってしまうとしたら、それは「朝三暮四」の挿話において、実際には七つであることは変わらないにもかかわらず、「三」と「四」という言葉にとらわれ、言葉だけに一喜一憂する猿と同じである。

ただし、「泉の譬え」において忘れてはならないのは、言葉という地図がなければ、泉に到達すること自体ができない、というもう一つの側面である。
荘子にしても仏教にしても、言葉そのものを否定しているわけではない。言葉がなければ、荘子の寓話も、仏教の公案も成立しない。

したがって、言葉に関する寓話や公案は、言葉の否定ではない。それらは、言葉の「名」に留まり、「七つの実」や「泉」といった「実」に到達しないことへの注意を喚起しているのである。

問題は、言葉の「名」に留まり、その言葉が指し示す「実」を見失いやすいという、人間の傾向にある。
月を指し示す指を見て、月を見ない。その滑稽さはすぐに理解できるが、言葉の場合には、指=言葉に留まり、月=実を見ないことがしばしば起こる。そのために、あえて言葉に対して一見不信にも見える寓話が語られるのである。

この点が理解できれば、仏教においてしばしば語られる「不立文字(ふりゅうもんじ)」が、単に言葉の不要を説くものではないことも、自然に理解されるはずである。


C. 禅の公案 「世尊拈花(せそんねんげ」)」

禅宗ではしばしば「不立文字」という言葉が用いられる。これは、悟りの境地や真理が、文字や言葉による説明に還元しきれないところにあるとする考え方である。言葉によって伝え尽くすことのできないものを、あえて言葉で示そうとするとき、その言葉は必然的に、論理的には把握しにくい、あるいは一見すると意味不明なものとならざるをえない。

そうした禅の言語観を象徴的に表現する説話として知られているのが、『無門関(むもんかん)』に収められている「世尊拈花(せそんねんげ)」である。
これは初期仏典に見られる挿話ではなく、中国禅宗の成立過程において形成された後代の説話であるが、禅が言葉と悟りの関係をどのように理解してきたかを端的に示すものとして、大きな意味をもっている。

昔、お釈迦さまが霊鷲山(りょうじゅせん)で、多くの弟子たちが集まる法会の席におられた。そのとき、お釈迦さまは何も語らず、ただ一輪の花を手に取り、皆に示された。
弟子たちは、だれ一人としてその意味が分からず、黙したままだった。ただ一人、迦葉尊者(かしょうそんじゃ)、すなわち摩訶迦葉(まかかしょう)だけが、にっこりと微笑んだ。
すると、お釈迦さまは言われた。
「私は、言葉に頼らずに真理を見抜く眼である正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)、静かで深い悟りの心である涅槃妙心(ねはんみょうしん)、形をもたない真実のあり方である実相無相(じっそうむそう)、きわめて奥深い真理の教えである微妙の法(みみょうのほう)を持っている。これは、文字や言葉によって立てられる教えではなく、不立文字と呼ばれるものであり、教えの外で直接に伝えられる教外別伝である。私はこれを、摩訶迦葉(まかかしょう)に託す。」
(『無門関(むもんかん)』第六則)

この説話において、釈迦は一輪の花を手に取るのみで、最初から教理的な説明を行わない。すなわち、悟りそのものは言葉によって提示されていない。
しかし、その場に居合わせたすべての弟子のうち、迦葉尊者(かしょうそんじゃ)ただ一人だけが、その所作の意味を受け取ったとされる。

ここで重要なのは、後に語られる「正法眼蔵」を始めとする4つの言葉が、悟りそのものを構成したのではなく、すでに成立していた理解を、後から言語化したものとして示されている点である。
言葉は悟りを生み出す原因ではなく、悟りのあり方を指し示すための標識として用いられている。

この挿話が示しているのは、真理が言葉によって作り出されるのではなく、言葉に還元できない仕方で先行している、ということである。だからこそ、言葉を介さずに悟りが伝わるという構図が成立する。もし言葉が真理そのものを構成するのであれば、このような伝達は起こりえないだろう。
月を指し示す指が月を生み出すのではない。月が先にあり、指はただその方向を示しているにすぎない。

そして、その点を明確にするために、「不立文字」、すなわち文字や言葉によって教えが立てられたのではないことと、「教外別伝」、すなわち教えが言葉の外において伝えられたこととが、あえて言葉として付け加えられているのである。
ここには、言葉を否定するために言葉を用いるという、禅特有の緊張関係が見て取れる。

このように禅は、しばしば徹底した反言語主義のように理解されることがある。その結果、この説話も、釈迦は一切言葉を用いなかったのだ、という点だけが強調されがちである。
しかし実際には、「お釈迦さまは言われた」と記されているように、言葉は明確に用いられている。「不立文字」そのものが、言葉によって語られている事実が示すように、禅は言葉そのものを否定しているわけではない。

むしろ、ここで言葉は、真実を指し示すための道具として機能している。それは、泉に至るための地図に等しい。地図そのものが水ではないが、地図がなければ泉に到達することもできない。同様に、言葉は真理そのものではないが、言葉を通してこそ、人は真理へと導かれる。

「不立文字」という語に引きずられて、言葉を無用なものと見なすとすれば、それは「朝三暮四」の挿話において、言葉の違いに一喜一憂する猿と同じ過ちに陥ることになる。
必要なのは、言葉を否定することではない。言葉に留まることなく、それを踏み越えて、その先にある「実」にまで到達することである。


D. 荘子 「筌蹄の喩(せんてい の たとえ)」

仏教や禅の公案において繰り返し問われてきたのは、言葉と、それが指し示そうとする意味や理解との関係である。この問題を、荘子はきわめて簡潔な喩え話によって、誰にでも分かるかたちで語っている。それが、「筌蹄の喩(せんていのたとえ)」である。

筌は魚を捕るためのものであり、魚を得たなら筌は忘れられる。
罠は兎を捕るためのものであり、兎を得たなら罠は忘れられる。
言葉は意味を得るためのものであり、意味を得たなら言葉は忘れられる。
意味を得て言葉を忘れた人と、私はどうすれば出会い、語り合うことができるのだろうか。
(『荘子』「外物」編)

私たちは魚を食べるとき、その魚がどのような網で捕られたのかを気にしない。重要なのは魚そのものであって、それを捕らえるための道具ではない。同様に、真に理解に到達したときには、それを説明するために用いられた言葉そのものは、次第に前面から退いていく。

しかし現実には、言葉を知っているだけで、理解したつもりになってしまうことが少なくない。本を手に入れただけで読んだ気になったり、哲学者の名前や思想の呼称を覚えただけで、その内容まで把握したと錯覚したりする経験は、多くの人に覚えがあるだろう。

荘子は、言葉を否定しているわけではない。言葉は、意味や理解へ近づくために不可欠な道具である。ただし、道具はあくまで道具であって、目的そのものではない。言葉に執着し、それ自体を目的化したとき、人はかえって理解から遠ざかってしまう。

荘子にとって問題なのは、言葉が真理を完全に捉えるか否かではなく、言葉によって切り取られた世界を、唯一の実在だと思い込んでしまう態度である。理解に至ったあとも言葉に固執すれば、名に縛られ、かえって事物の動きや変化を見失うことになる。これを荘子は「得意忘言」と表現した。意味を得たなら、言葉はその役割を終え、自然と後景に退くという考え方である。

この点に、荘子の言語観の核心がある。言葉を目的にしてはならない。そうでなければ、「朝三暮四」の猿たちのように、表現の違いに心を惑わされ、同じ内容を見失うことになる。

とはいえ、言葉なしに理解が成立するわけでもない。地図なしに砂漠で泉を探すことができないように、道具なしに魚を捕らえることができないように、意味は言葉を通してしか共有されない。だからこそ、荘子は最後に、あえて逆説的な問いを投げかける。言葉を忘れた人と出会い、その人と語り合うには、結局また言葉を用いるほかないのである。

言葉を忘れるとは、言葉が不要だという主張ではない。言葉に留まらず、それを踏み台として先へ進むことを意味している。名の段階で立ち止まるのではなく、実を味わうこと。それが、荘子の言う「忘言」の真意だといえる。


このような言葉の捉え方は、後の禅における「不立文字」という姿勢とも響き合っている。言葉は確かに欠かせない。しかし、言葉を尽くしても、なお届かない領域があるという感覚である。

この感覚は日本文化の中で長く受け継がれ、思想や宗教にとどまらず、文学や芸術といった多様な表現を生み出してきた。
とりわけ和歌や俳句は、「名」と「実」とのずれを内に抱えながら、言葉では捉えきれないものを、あえて言葉によって呼び覚まそうとする芸術だと言えるだろう。

そこで次に、いくつかの代表的な和歌や俳句を取り上げ、このような言語へのまなざしが、日本では理論として語られる以前に、作品というかたちで現れていたことを見ていきたい。

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