Sainte-Beuve Les Rayons jaunes サント・ブーヴ 韻文詩「黄色い光線」 その2

子ども時代の教会の思い出は、まず祈りの場面から始まり、そこから伯母の死へと連想がつながっていく。

Oh ! qui dans une église, à genoux sur la pierre,
N’a bien souvent, le soir, déposé sa prière,
Comme un grain pur de sel ?
Qui n’a du crucifix baisé le jaune ivoire ?
Qui n’a de l’Homme-Dieu lu la sublime histoire
Dans un jaune missel ?

(朗読は25秒から)

ああ! どこの誰が、教会で、石の上にひざまずき、
何度も何度も、夕べに、祈りを置かなかっただろう、
ひと粒の、純粋な塩のように?
どこの誰が、黄色の象牙(のキリスト像)に口づけしなかっただろう?
どこの誰が、人間であり神であるイエスの、崇高な歴史を読まなかっただろう、
黄色の祈祷書で?

この祈りの場面で、キリスト教の背景を知らない読者には理解しにくいのは、教会の石畳にひざまずき祈るという所作以上に、「祈りを一粒の純粋な塩のように置く(déposé sa prière comme un grain pur de sel )」という比喩と、「人間であり神であるイエス(l’Homme-Dieu)」という表現だろう。

まず「塩」の比喩について見てみたい。
旧約聖書『レビ記』には、「供え物には必ず塩を加えよ」(2章13節)という規定があり、塩は腐敗を防ぐものとして、「朽ちることのない契約」の象徴とされてきた。

また新約聖書『マタイ福音書』では、イエスが弟子たちに向かって「あなたがたは地の塩である(Vous êtes le sel de la terre)」(5章13節)と語る。ここで言う「地の塩」とは、量の多さではなく、存在そのものの不可欠性を意味している。

この聖書的背景を踏まえるならば、「祈りを一粒の純粋な塩のように置く(comme un grain pur de sel)」という表現は、取るに足らぬほど小さな祈りであっても、それが神の前に差し出されるかぎり、欠かすことのできない価値を持つことを示していると理解できる。
幼い日の自分が、夕べごとに教会で捧げた祈りは、拙く、言葉も少なかったかもしれない。しかしその祈りは、「純粋な塩」のように、混じり気のないものとして記憶に刻まれているのである。

次に、「人間であり神であるイエス(l’Homme-Dieu)」という表現について考えてみよう。この言い回しは、キリスト教の神理解の核心に触れるものである。
キリスト教においてイエスは、単に神から遣わされた人物ではなく、完全に人間であると同時に、完全に神である存在と理解されてきた。

この理解は、「父と子と聖霊」という三位一体の教義によって支えられている。父なる神と子なるイエスは別の位格でありながら、本質においては同一の神である。
詩中であえて l’Homme-Dieu という複合語が用いられているのは、この逆説的な存在のあり方を、説明ではなく直感として提示するためであろう。

これら二つの表現を踏まえると、この一節で三度繰り返される « Qui ne… ?(どこの誰が〜しなかっただろうか?)»という問いかけの効果が、よりはっきりと見えてくる。
祈りを捧げ(déposé sa prière)、黄色い象牙のキリスト像に口づけし(baisé le jaune ivoire)、黄色い祈祷書(un jaune missel)によってイエスの行いを記した崇高な歴史を読む(lu la sublime histoire)。
これらの行為が連なって描かれることで、信仰がまだ疑われる以前の、純粋で疑いのない時間が、感覚的な記憶として立ち上がってくる。
ここで呼び起こされているのは、キリスト教的世界の中で育った者であれば誰もが一度は身を置いたであろう、祈りが自然であった時代、その空気そのものへの回想なのだ。


子ども時代の純粋な信仰心は、大人になるにしたがって失われてしまう。その思いが次の詩節のテーマとなる。

Mais où la retrouver, quand elle s’est perdue,
Cette humble foi du cœur, qu’un Ange a suspendue
En palme à nos berceaux ;
Qu’une mère a nourrie en nous d’un zèle immense ;
Dont chaque jour un prêtre arrosait la semence
Aux bords des saints ruisseaux ?

Peut-elle refleurir lorsqu’a soufflé l’orage,
Et qu’en nos cœurs l’orgueil, debout, a dans sa rage
Mis le pied sur l’autel ?
On est bien faible alors, quand le malheur arrive,
Et la mort… faut-il donc que l’idée en survive
Au vœu d’être immortel !

しかし、いったいどこでそれを取り戻せるのだろう、すでに失われてしまった今、
心の奥のあのつつましい信仰を。かつて一人の天使が、
シュロの枝として、わたしたちの揺り籠の上に掲げてくれたあの信仰を。
それを母は、わたしたちの内に、限りない熱心さをもって育んだ。
司祭は、日ごとに、その種を潤していた、
聖なる小川のほとりで。

それは再び花を咲かせうるのだろうか、嵐が吹き荒れたあとでも、
わたしたちの心の中で、傲慢が立ち上がり、怒りにまかせて、
祭壇の上に足をかけてしまった、そのあとで。
なんと人は弱いことか、不幸が訪れるその時には。
そして死。。。いったい、死の観念が、なお生き残るというのだろうか、
不死でありたいという願いを越えて!

子どもの信仰心が、母親と司祭によって育まれるという描写は、キリスト教徒でなくとも理解しやすいものである。一方で、天使によって「シュロの枝として(En palme)」掲げられたという表現を理解するためには、シュロの枝がもつ象徴的意味を知る必要がある。

新約聖書において、イエスがエルサレムに入城する際、人々がシュロの枝を振って迎える場面が描かれている。それは、イエスという救世主の到来を歓喜をもって迎える行為であり、シュロの枝は、救済の約束と結びついた、心からの純粋な信仰を象徴するものとされてきた。
このことから考えると、揺り籠の上に掲げられたシュロの枝は、信仰心が、人間の誕生と同時に、いわば無垢なかたちで与えられていることを暗示していると理解できる。

しかし、人間が成長するにつれて、そのような純粋な信仰心は次第に失われていく。人は自負心に身を任せ、傲慢(l’orgueil)になり、怒り(sa rage)を爆発させることもある。その結果として、祭壇の上に足を置いた(mis le pied sur l’autel)という強い比喩が用いられているのである。

そのようなとき、人間は自らの弱さを痛感せざるをえない。不幸に直面したとき、強くあり続けることは難しい。詩中で述べられる「人間は弱い(On est bien faible)」という言葉は、この普遍的な経験を端的に表している。

この感覚は、キリスト教徒であるかどうかにかかわらず、大きく変わるものではない。自負心を強め、自分の力を信じれば信じるほど、その力では乗り越えられない現実に直面したとき、人は自分自身を支えることができなくなり、かえって弱さを強く感じるようになる。

そして、そのような状態においては、信じる心は次第に薄らぎ、ついには失われてしまうこともあるだろう。
キリスト教的に言えば、信仰を持ち続けるならば、魂は神によって救われ、永遠の命に与るとされる。その意味で、不死とは、単なる肉体的永続ではなく、神との関係の中で与えられる救済を指すと理解される。
したがって、「不死でありたいという願い(vœu d’être immortel)」とは、信仰そのもの、さらに言えば、子ども時代のような純粋な信仰の心を失わずにいたいという希求を表していると考えられる。

しかし、驕慢な心によって信仰が失われていくと、人は否応なく死を意識するようになる。苦しみの前では、「不死でありたいという願い(vœu d’être immortel)」よりも、「死の観念(l’idée de la mort)」のほうが、心にしつこく残ってしまう。
その避けがたさに対して、詩人は « faut-il donc … » と問いかけ、なぜそのような必然が成り立ってしまうのかと嘆いているのである。

もっとも、キリスト教徒でない人間にとっては、この嘆きは理解しにくく感じられるかもしれない。その場合には、「不死」を「希望」と置き換えて読んでみることで、詩人の言葉はより身近なものとなるだろう。
人は不幸な状況にあるとき、希望を抱き続けることが難しくなり、死という言葉を用いずとも、否定的な考えに心を占領されてしまうことがある。希望を強く意識すればするほど、かえってその反対の思いが頭から離れなくなることもある。その感覚こそが、死の観念が生き残ってしまうという詩人の嘆きと重なり合うのである。

このように読み解いていくと、ここで扱われている二つの詩節は、子ども時代の純粋な信じる心が、成長とともに失われていくことへの深い悲しみと嘆きを描いていることが理解される。


次に、実際の死についての思い出が蘇ってくる。

J’ai vu mourir, hélas ! ma bonne vieille tante,
L’an dernier ; sur son lit, sans voix et haletante,
Elle resta trois jours,
Et trépassa. J’étais près d’elle dans l’alcôve ;
J’étais près d’elle encor, quand sur sa tête chauve
Le linceul fit trois tours.

Le cercueil arriva, qu’on mesura de l’aune ;
J’étais là… puis, autour, des cierges brûlaient jaune,
Des prêtres priaient bas ;
Mais en vain je voulais dire l’hymne dernière ;
Mon œil était sans larme et ma voix sans prière,
Car je ne croyais pas.

ああ! ぼくは死んでいくのを見た! 年老いた愛しい伯母が。
去年のことだった。ベッドの上で、声もなく、息を荒らげ、
彼女は三日間横たわり、
そして、亡くなった。ぼくは彼女のそばにいた、彼女の寝室の中。
まだ彼女のそばにいた。髪のなくなった彼女の頭の上を、
屍衣(しい)が三度まかれた。

棺桶が運び込まれ、物差しで測られた。
ぼくはそこにいた。。。まわりでは、ロウソクが黄色に燃えていた。
司祭たちが低い声でお祈りをしていた。
ぼくは、最後に唱えるべき聖歌を口にしようとしたけれど、だめだった。
ぼくの目に涙はなかった。声に祈りはなかった。
なぜって、ぼくは信じていなかったからだ。

ここで言及される伯母(tante)は実在の人物で、名は Marie-Thérèse de Sainte-Beuve 。
彼女はサント・ブーヴの父の妹にあたり、1827年2月28日に亡くなった際の年齢は、四十四歳前後であったと考えられている。
したがって、この場面は、サント・ブーヴ自身の実際の記憶を反映していると見てよいだろう。

この詩節の大きな特徴は、フランス語動詞の時制の特性が最大限に活かされている点にある。
まず、j’ai vu という複合過去によって、「ぼく(je)の体験」として、伯母が死にゆくのを見たこと(mourir ma … tante)が語られる。

これに対して、死そのものに関わる出来事は単純過去で叙述され、あたかも歴史的事実であるかのように、時間の流れに沿って提示されていく。
elle resta (…), trépassa(彼女はとどまり、死んだ)、
le linceul fit(屍衣が巻かれた)、
le cercueil arriva, qu’on mesura(棺が運び込まれ、測られた)
といった表現がそれにあたる。

一方で、こうした死の出来事が展開する際の je の在り方は、半過去によって描写される。
その際、まず j’étais という形が反復される。
J’étais près d’elle、J’étais près d’elle encore、J’étais là。
この反復によって、「わたし」が終始彼女のそばにいたことが強調され、伯母が語り手にとっていかに愛しい存在であったかが、読者に強く印象づけられる。

周囲の情景もまた、半過去形の動詞によって描かれている。
des cierges brûlaient(ロウソクが燃えていた)、
des prêtres priaient(司祭たちが祈っていた)。

その後、焦点は再び「ぼく(je)」へと戻るが、ここでも動詞は半過去形で用いられ、「ぼく」は依然として、死んだ伯母のそばにいる存在として描かれ続ける。
je voulais dire(ぼくは口にしようとしていた)、
mon œil était…, ma voix était…(目は……であり、声は……であった)、
je ne croyais pas(ぼくは信じていなかった)。

最後の「ぼくは信じていなかった」という一文が示すように、伯母の死をきっかけに信仰を失ったのではなく、その時点ですでに信仰をもっていなかったことが、半過去形によって明確に示されているのである。すなわち、「当時のわたしはそういう状態にあった」という自己認識が、ここには表現されている。

そして、信じていなかったがゆえに、司祭たちが祈りを捧げる中で、教会が定めた言葉と旋律をもつ定型の聖歌(hymne)を、口にしようとはしたものの、結局それを唱えることはできなかった。
心は悲しみに包まれていたが、宗教的儀礼の枠内では、涙も流れず、祈りの言葉も発せられなかったのである。

もしこれらの状況が単純過去で書かれていたなら、それぞれが一回限りの行為として読まれてしまうだろう。半過去で描かれているからこそ、そうした状態が持続していたこと、そういう在り方であったことが、読者に自然に伝わるのである。

この場面でサント・ブーヴは、動詞の時制を巧みに使い分けることによって、伯母の死の記憶を描き出すと同時に、当時すでに彼自身が信じる心を失っていたことを、無理なく読者に伝える詩句を紡いでいる。

そして読者もまた、これらの動詞時制を丁寧に読み取ることで、サント・ブーヴの意図をより明確に理解することができるのである。


次の展開では、今度は母親の死が、単純未来形によって語られていく。(続く)

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