言葉で伝えることの難しさ — 選挙や財政政策について考える

長い間、同業者の間でしか通じない言葉を使い続けてきたために、多くの人々に自分の言葉を伝えることの難しさを、日々痛感している。
論理的な整合性を重視し、主張を正当化するために論点を積み重ね、具体的な例を取り上げて分析し、結論を導き出すことで説得力を持たせることを目指してきた。こうした論の展開では、どうしても文章は長くなってしまう。
しかも、正確さを期そうとすればするほど、面白みは失われ、退屈なものになりがちである。

しかし、SNSの時代においては、一般書であっても一読してさっと理解できることが、読者を獲得するための最低限の条件となっている。分かりやすくなければ、読まれないのである。

とここまで書いてきて、既に文字数はすでに300字を超えている。すでに長く、言いたいことは何?と感じられるだろう。

で、何を言いたいのかと言えば、「言葉を読むことの難しさ」ということだ。
ここでは、(1)選挙、(2)積極財政と消費税、という二つの点について書いてみよう。


(1)選挙について

2026年1月、衆議院が解散され、選挙が行われる。
その理由としてよく挙げられるのは、
(1)国民に政権の是非を問うため
(2)政治を安定させるため
といった説明だ。

しかし、突き詰めて考えると、そのどちらも「国会の両院で多数派を確保する」という一点に行き着く。

日本の国会は両院制を採っており、衆議院が暴走すれば参議院がそれをチェックする、という仕組みになっている。ところが実際には、衆議院と参議院の両方で同じ勢力が多数を占めることが多く、決定はスムーズに進んできた。これが「政治の安定」だと説明されてきた。

一方、両院で多数派が異なる場合には、「ねじれ国会」と呼ばれ、物事が決まりにくい状態として否定的に扱われる。チェック機能が働いているはずの状態が、「不安定」と見なされてしまうわけだ。この矛盾について、あまり深く議論されることはない。

さらに、衆議院には首相の解散権があるとされており、政権党は自分たちに有利なタイミングで選挙を行うことができる。「国民の審判を仰ぐ」という言葉は使われるが、実際には、逆風の中で解散が行われることはほとんどない。

こうして見ると、両院制の本来の意味は薄れているようにも思える。それにもかかわらず、選挙のたびに莫大な公費、つまり私たちの税金が使われる。1回の国政選挙で、その額は700億円以上とされている。

参議院は6年の任期だが、3年ごとに半数が改選される。衆議院は4年の任期とされながら、首相の判断で解散が可能だ。今回の場合、前回の選挙からわずか1年3か月で再び選挙が行われることになる。実際、2022年以降、3回の国政選挙が行われ、合計で2100億円以上の税金が費やされる計算になる。

選挙は、国民一人ひとりが政治に参加する大切な機会だと繰り返し説明されてきた。だが、費用対効果という視点から考えたとき、本当にこれほどの税金を選挙に使い続ける必要があるのだろうか。


2)積極財政と消費税について

日本の財政赤字は天文学的な規模に達しており、1000兆円を超えている。
これをめぐっては、「財政健全化を重視すべきだ」という立場と、「日本の財政は決して破綻しない」という立場に議論が分かれてきた。
現在の政権は後者の考え方を採用し、「積極財政」に基づく政策を進めようとしている。

「どれほど借金をしても、国の財政は破綻しない」という理論は、MMT(現代貨幣理論)と呼ばれる財政政策論に基づいている。極めて単純化すれば、「日本円を発行しているのは日本政府なのだから、自ら発行できる通貨を返せなくなることはありえない。返済を求められたとしても、新たに発行して返せばよい」という考え方である。

この理論に賛成する人々の中には、財政赤字の抑制を重視する財務省の方針を「ザイム真理教」と呼び、庶民に増税を押しつけるものだとして強く批判した人もいた。

ここで、この理論の正否そのものを論じるつもりはない。ただ一つ言えるのは、借金を増やし、貨幣の流通量を増やせば、すでに高水準にある物価がさらに上昇する可能性が高いという点である。
加えて、株式などの金融資産の価格が上昇しやすくなることも見逃せない。

こうした点を踏まえると、MMTや積極財政は、金融資産を持つ人々にとって非常に都合のよい政策であることが分かる。実際、ここ数年を見ても、超富裕層や富裕層の数は増え続けている。
一方で、物価の上昇は資産を持たない人々の生活を直撃し、貯蓄のない世帯は増え、「貧困」と呼ばれる家庭の数も減ってはいない。富裕層と貧困層が同時に増加することで、社会的な格差は確実に拡大している。

それにもかかわらず、資産を持たない人々が積極財政に賛同してしまう仕組みがある。そこには、いくつかの「分かりやすい説明」が用意されている。

まず、「賃金を上げることで経済を活性化し、人々の生活を楽にする」という主張である。そのためには「適正な価格転嫁」が必要だとされるが、これは要するに、商品の価格を引き上げること、すなわち物価上昇を容認する政策である。

もし、その結果として、資産を持たない層の賃金が大きく上昇するのであれば、一定の理解はできる。しかし現実には、大企業の賃金は上がっても、中小の工場や商店、派遣社員やパートの賃金が同じように上昇することは少ない。結果として、格差はむしろ拡大していく。

そうした不満の受け皿として打ち出されるのが、政権を担う党から提示された消費税の軽減や廃止である。

代替財源についてはさまざまな議論があるものの、最終的には財政出動、すなわち国債の発行による国の借金に行き着く。その際、MMTの立場では「国の財政は破綻しない」という前提に立つため、その借金が将来世代の負担になるという議論は否定される。

結果として、財源確保の議論は後回しにされ、積極的な財政出動によって補助金などを増やし、同時に国民の負担を減らすという政策が訴えられることになる。

2026年の衆議院選挙では、多くの政党が選挙対策として、消費税の軽減や廃止を目玉政策に掲げている。しかし冷静に考えれば、消費税による一世帯あたりの負担額と、物価上昇による支出増を比べたとき、その差は決して大きいとは言えない。しかも、大きな恩恵を受けるのは、高額な商品を購入できる人々、すなわち資産を持つ人々である。

こうして見てくると、積極財政政策は、「価格転嫁によって賃金上昇が見込める人々」、そして何より「金融資産を持ち、投資によって資産を増やせる人々」に向けられた政策だと言える。
「消費税の軽減・廃止」という訴えは、こうした構造を見えにくくするためのものとも受け取れる。

これまでポピュリスト的だと見なされてきた政策に、多くの政党が相乗りしなければ票が取れないという状況は、現在の日本政治の姿を如実に示している。

この現実を直視しなければ、とりわけ若い世代では格差がさらに拡大し、持てる者は一億円を超えるマンションに住み、持たない者はインフレと増税に苦しむ生活を送ることになりかねない。
積極財政と消費税減税の組み合わせは、そうした危険を見えにくくする、口当たりのいい選挙公約に見えてくる。


できるだけ短く、簡潔に結論へ至るよう心がけて書いてみたが、それでもなお、長すぎると感じられるかもしれない。しかも口調が硬く、とっつきにくい印象を与えてしまう可能性もある。
このように、一般に広く読まれる文章を書くことは、私にとってやはり難しい。

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