ある人から、面白い話を聞いた。
知っていますか? 琵琶湖だったところの地面が飛んでいって、淡路島になったんですよ。
普通なら誰も信じない話なのだけれど、その話の主の仲間内では、エジプトのピラミッドは縄文時代の日本の技術で作られた、などという説がごく普通に流通している。そんな環境なので、「もしかすると?」と思ってしまったりもする。

確かに、琵琶湖と淡路島は形がよく似ているし、大きさも同じくらいに見える。ところが、そこですぐに次の言葉が続いた。
でも、琵琶湖の深さと淡路島の高さは違いますよね。琵琶湖の深さは6メートルくらいだし、淡路島の山は200メートルくらいある。合わないですよね。
話はこれで終わりなのだが、あまりにも面白かったので、それを使って、話題を楽しむことから情報の事実確認へと進むという、認識法について簡単に考えてみることした。
基本情報:
琵琶湖と淡路島は形が似ていて、面積も一見すると同じくらいに見える。

1)楽しむ — 琵琶湖の土地が飛んでいって、淡路島になる!
A. 「ダイダラボッチ伝説」
ダイダラボッチが比叡山につまづき、怒って蹴り飛ばした地面に空いた穴が琵琶湖となり、飛んでいった土塊が淡路島になった。
B. 「隕石説」
太古の昔、大きな隕石がポルトガル西方沖に落下し、その衝撃で地球の反対側にあった日本の大地が押し出され、飛び出した部分が淡路島になり、凹んだ跡が琵琶湖になった。
2)気づき — 考える第一歩
琵琶湖の水深と淡路島で最も高い山の高さが違う。
3)事実確認 — 公式なデータの収集
A. 面積:
琵琶湖約670㎢
淡路島約595㎢
B. 水深と標高
琵琶湖の最深部: 約104m
淡路島で最も高い山:諭鶴羽山(ゆづるはさん)標高607.9m


1)楽しむ
「ダイダラボッチ伝説」や「隕石説」には夢があり、純粋に楽しむことができる。とりわけダイダラボッチ説は、比叡山につまずくという設定にどこか滑稽さがあり、実に面白い。
それだけで終われば何の問題もないのだが、最近では YouTube の動画やリール、SNS を通じて、荒唐無稽な説が次々に発信され、そこから得た情報をそのまま素直に信じてしまう状況も生まれている。
「隕石説」をまことしやかに語られ、しかも映像まで添えられていれば、信じてしまう人が出てきても不思議ではない。
さらに、一度そうした情報にはまると、アルゴリズムによって同様の内容が次々に流れ込んでくる。それを何度も目にするうちに、「ポルトガル西方沖に隕石が落ちて……」という話でさえ、現実の出来事のように思い込んでしまいかねない。
内容が過激で、人々の感覚を強く刺激するものであればあるほど、話題になり、視聴者数は増える。見る人が多くなれば、その数自体が真実性の保証のように受け取られ、現実だと思われるようになる。
しかも内容が突飛であればあるほど面白さは増し、さらに人から人へと伝わっていく。こうした仕組みが、すでに出来上がっているのだ。
インフルエンサーがこれほど大きな影響力を持つ時代においては、事実であるかどうかよりも、過激さや面白さこそが成功の秘訣になっている。
2)気づき
そこから一歩だけ踏み出すために必要なのは、「ふと立ち止まる」こと、そして「琵琶湖の深さと淡路島の高さは違う」と気づくことだ。
その小さな「気づき」こそが、楽しい話をそのまま信じるのか、それとも事実を確かめようとするのか、その分かれ目になる。
ただし、気づいたその瞬間に、根拠もないまま適当な数字を思いつき、物知り顔で口にしてしまうと、かえって事実確認へ進む道は閉ざされてしまう。
正確なことを知らない場合には、それを恥ずかしいと思わず、素直に「知らない」と認めることが、何よりも大切だ。
無知を認めることは恥ではない。それは、知へと向かう第一歩である。
その意味で、ソクラテスのいう「無知の知」を思い出してみるのもいいだろう。
3)事実を確認する
知らないことがあれば、調べてみる。
それは当たり前のことだが、情報過多の時代において、何が事実なのかを探し出すのは、実際には簡単ではない。
そうしたときに、再び YouTube 動画やリール動画などに頼ってしまうと、最初の「楽しむ」段階の情報へと逆戻りしてしまう可能性が高い。
では、何を信じればよいのだろうか。
まず基本となるのは、個人が発信する情報ではなく、公的な情報を確認することである。たとえば、琵琶湖や淡路島に関する事実であれば、国土地理院や滋賀県・兵庫県の公式ホームページに掲載されている情報が基準になる。
もっとも、そこまでしなくても、Wikipedia などを参照すれば、現実の事物に関する客観的な情報として、ある程度正確な知識を得ることはできる。
AI に質問するのも一つの方法ではあるが、事実関係については、現時点では不正確な場合も少なくない。そのため、得られた情報をさらに確認する作業が不可欠であることを、常に意識しておく必要がある。
いずれにしても、「きっかけ」から「確認」へと進み、正確なデータにたどり着くことが、不確かな情報に振り回されず、物事を自分の頭で考えるための土台となる。
事実確認が終わった後であれば、楽しい話を楽しいものとして味わうことができるし、そうした方が人生は楽しい。
事実に反するからといって、頭ごなしに否定したり、「噓だ」と言って拒絶したりする必要はない。むしろ、非現実であると分かっているからこそ、安心して、十分に楽しむことができるのだ。
「ダイダラボッチ伝説」や「隕石説」であれば、その感覚は誰にでも理解できるだろう。とするならば、現在これほど数多く流通しているフェイクニュースや陰謀論に対しても、同じ姿勢で向き合うことができるはずである。
ダイダラボッチなど存在しないと言われて、怒り出す人はいない(だろう)。
としたら、「みんなは知らなくて騙されているけれど、実は……」といった口調の自説を否定されたとしても、相手を感情的に攻撃したりする必要はないはずだ。
事実を公式なソースから確認する技術が、今まさに求められているのだとすれば、「琵琶湖と淡路島」の話は、そのためのよい教材になるに違いない。