愚痴にしかならないので、現在の世界状況について何かを語ることは、できるだけ避けている。しかし、アメリカ合衆国がイスラエルに先導される形でイランの最高指導者を殺害し、なお攻撃を続けているのに対して、いわゆる国際社会の反応を見ていると、思わず「いつまで西部劇が続くのか」と考えてしまう。
西部劇といえば、アメリカ西部の未開拓地を舞台に、白人の開拓者たちが先住民である野蛮なインディアンの襲撃を受けながら、フロンティア精神を発揮して勇敢に活躍する物語である。1970年代以降になると、さすがに、開拓者が正義を体現しインディアンは残虐な襲撃者であるという単純な二元論的世界観は、少なくとも表向きには見られなくなったように思われる。
しかし、現実の世界を眺めていると、依然として、西欧文明の価値観が正義であり、それに反対する勢力は悪であるという二元論が続いているとしか思えない。
そして日本人は、明治維新以降、その二元論をほとんど疑うことなく受け入れてきた。文明開化、すなわち欧米化を進めるなかで、その世界観の内部に自分たちを位置づけることを当然のこととしてきたように見える。
私は今、自分たちの信じる正義のためであれば、そして自衛という名を与えさえすれば、戦争を許してしまう世界観に疑問を感じている。西部劇の中で、大群で襲ってくるインディアンたちを撃ち倒していくヒーローの姿を、私たちは娯楽として見てきた。しかし、現実の世界でもまた、似た構図のもとで多くの人々が殺されているのを見るにつけ、そろそろ西部劇も終わってほしいと思うようになってしまった。
まず最初に、「人権」という言葉の歴史を振り返ってみよう。
1776年の「アメリカ独立宣言」は、イギリス(グレートブリテン王国)によって統治されていた北米十三植民地が独立したことを宣言する文書であり、その中心的な思想は次の一節に表されている。
すべての人間(All man)は神によって平等に造られ、一定の譲り渡すことのできない権利(Rights)をあたえられており、その権利のなかには生命、自由、幸福の追求が含まれている。
この宣言が今でもよく知られていることからもわかるように、アメリカ合衆国は自由・平等・民主主義のモデルであると言われることが多い。
しかし問題は、「すべての人間(All men)」という言葉が、本当にすべての人間に適用されるのかという点にある。「独立宣言」以降のアメリカの歴史を見れば、そのことははっきりする。「西部劇」は、まさにこの後に本格的な展開を迎えるのだ。
イギリスから独立を勝ち取った十三州も、もとはといえば、17世紀にイギリスからやって来た移民たちが植民地として占領した土地だった。そして彼らは、アフリカ大陸から大量の黒人奴隷を移送し、その労働力を利用しながら国土を拡張していった。
その流れは「独立宣言」以降も続く。
1823年には、アメリカ大統領モンローが、アメリカ合衆国はヨーロッパ諸国の植民地に干渉しない一方で、ヨーロッパ諸国が南北アメリカ大陸に干渉することを拒否するという原則を宣言した。いわゆるモンロー主義である。これは単なる孤立主義というよりも、アメリカ合衆国がヨーロッパ諸国と対抗しうるほどの国力を備えるようになったことを示している。
そして、東海岸から植民地を拡大していった白人の入植者たちは、太平洋側にまで進出する過程で、原住民であるインディアンたちの土地を収奪していった。1830年には、ミシシッピ川東岸のインディアンを中西部へ強制移住させることを合法化した「インディアン強制移住法」が制定される。
「強制」という言葉が示すように、この法律は、「独立宣言」で掲げられた「すべての人間」という言葉の適用範囲が、支配層である白人に事実上限定され、黒人奴隷やインディアンがその外に置かれていたことをはっきりと示している。
「西部劇」のヒーローである「開拓者たち」が、「野蛮なインディアンたち」を銃で撃ちまくる痛快さの裏には、こうした現実がある。
では、現在、「西部劇」精神は過去の遺物になっているのか?
アメリカ合衆国の現実を見れば、二元論的な価値観によって善と悪が分けられ、「生命、自由、幸福を追求する権利(rights)」を持つ人々と、その権利を認められない人々がいることは明らかである。決して「すべての人間が平等」とはいえない。そして差別されてきたのは、アフリカ大陸から連れてこられた奴隷の子孫である黒人と、二万〜三万年前にアジア大陸から南北アメリカ大陸へと進出した人々の子孫である原住民たちである。
アメリカ合衆国の外に目を向けると、その二元論は用いられないのだろうか。実のところ、この構図は国の外へとそのまま拡大されていく。
第二次世界大戦後、「パクス・アメリカーナ(Pax Americana)」という言葉が使われるようになり、圧倒的な軍事力と経済力を基盤として、アメリカが世界秩序を維持する役割を担うという考え方が主流を占めてきた。
ここでも少し歴史を振り返ってみると、19世紀まではヨーロッパの強国が支配的な立場を占めていたが、20世紀に入ると、それらの国々は次第に弱体化していった。その理由は、アフリカ、南米、アジアといった世界の他の地域を植民地化する獲得競争のなかで、古参のイギリスやフランスなどと、新興のドイツやイタリアなどとの対立が激化し、第一次世界大戦や第二次世界大戦という二度の戦争が勃発したことにある。
それは、ヨーロッパという地域に限っていえば、いわば内戦のようなものだった。それが「世界大戦」と見なされるのは、世界中の植民地もその戦争に巻き込まれたからにすぎない。
その内戦によってヨーロッパの列強は弱体化したが、そこで台頭してきたのが、ヨーロッパから離れた地にあるアメリカ合衆国だった。1944年、ナチス・ドイツに占領されていたフランスを解放したアメリカ軍の存在は、その後の世界秩序の象徴ともいえる。
そのアメリカ合衆国は、太平洋の側でも戦争を終結させた。
敵は日本であり、アメリカ軍は日本本土のほぼ全域にわたり、大都市を含め百以上の都市に対して無差別爆撃を行った。その状況は「都市の焦土化」という言葉で表現されるが、一般の市民たちが住居もろとも攻撃対象となり、町々は破壊し尽くされた。
そして1945年8月、広島と長崎に原子爆弾が投下された。その決定を下したトルーマン大統領は、その理由を「戦争の早期終結」と「米軍の犠牲者削減」に求めた。
「力による平和」という言葉の現実を、日本は身をもって体験したことになる。
第二次世界大戦後、アメリカは「西部劇」を継続し、それを「アメリカによる平和」という言葉で正当化してきたように、私には思われる。
ベトナム戦争におけるベトコンへの攻撃は、「枯葉作戦」に代表されるように、非人道的な側面を持っていた。推定1,200万ガロン以上の枯葉剤が南ベトナムの森林や農地一帯に散布され、その被害は現在も続いている。
また、この戦争でアメリカ国内の反戦運動が活発化したのは、アメリカ軍兵士の死者数が増加したことによるものであり、それをはるかに上回る数のベトナム人が殺害されたことによるのではないことは、よく知られた事実である。
1991年の湾岸戦争では、フセイン大統領に率いられたイラクがクウェートに侵攻したことを受けて、アメリカ合衆国のブッシュ大統領(父)が主導し、米軍主体の「多国籍軍」が結成された。そしてイラク軍に対する大規模な軍事攻撃が行われた。
2001年の9・11同時多発テロの後、ブッシュ大統領(息子)は、テロの首謀者であるオサマ・ビンラディンが潜むとされたアフガニスタンを攻撃し、ターリバーン政権を崩壊させた。
そして、現在のトランプ大統領によるイラン攻撃である。
その初日には、最高指導者ハメネイ師をはじめとする国家の中枢をなす人々が爆撃によって殺害され、それ以外にも多くの一般市民に犠牲者が出たと伝えられている。
また、イラン攻撃に先立ち、ベネズエラのマドゥロ大統領が拘束され、大統領夫人とともにアメリカへ連行され、裁判にかけられている。
このように、第二次世界大戦以後の「アメリカによる平和」を大まかに振り返ってみるだけでも、常に正義は欧米の価値観の側にあり、その価値観に反するものは悪として排除することが許されてきたことがわかる。
「西部劇」は、まだ終わっていない。ただ、舞台がアメリカ西部から世界へと広がっただけである。そして今でも、「すべての人間」という言葉は、どうやら一部の人間だけを指しているらしい。
最後に、なぜ私がこのような感じ方をするのか、少しだけ考えてみたい。
日本に生まれ、日本語を母語として生き、フランス文化にも一応親しんできた人間として、私にはひとつ不思議に思うことがある。それは、日本の多くの人々が、自分たちを文明化の側に置き、「人間」の一員であると思い込んでいるらしいということである。
日本では、おそらく弥生時代から、より具体的にいえば奈良時代以前から、江戸時代が終わるまで、中国を支配した王朝の影響を強く受けてきた。政治的にも、文化的にも、精神生活の上でも、そのことを疑うことはできない。日本は大陸からの文物を取り入れ、それをアレンジし、日本の風土に適したものへと洗練させることで、日本的なものを生み出してきたのであった。
そうした文化の基層を保ちながら、日本は明治維新以降、西洋化に邁進した。文明開化とか近代化とは、結局のところ、日本が欧米の文物を取り入れ、西洋化していくことにほかならない。
その際の受け入れ方は、いかにも日本的なものだった。
それまで尊皇攘夷を唱え、外国勢力の排除を主張して幕府と対立してきた勢力が、幕府を倒すと同時に、これまでの自分たちの主張とは正反対の方向へ動き出す。欧米各国に使節団を派遣し、「脱亜入欧」、つまりアジアから脱し、欧米の側に加わることを目標とし始めたのである。
そして、その成果は、第一次世界大戦後の1920年、国際連盟の結成に際して日本が常任理事国となったことに示されている。このことは、ある意味で「入欧」の実現であったと言える。
同じようなことが、第二次世界大戦の敗戦の際にも起こった。
戦争中は「鬼畜米英」をスローガンに掲げ、アメリカ軍の空爆で国土を焼き尽くされ、原爆が投下されるなどして莫大な被害を受けながら、敗戦後にはアメリカの統治を受け入れ、「ギブ・ミー・チョコレート」という言葉に象徴されるような融和的な姿勢を示した。その劇的な転換は、明治維新のときに匹敵する。
その成果に関しても同様で、1980年代には経済的発展を達成し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われるまでになった。そして現在、経済面では停滞期にあるとはいえ、国際政治の面では「アジアで唯一のG7加盟国」という状況にあり、「入欧」しているかのような意識を持ち続けている。
私が違和感を覚えるのは、日本が「西部劇」のヒーローたちの側の視点を内在化するあまり、せっかくアジアに位置しながら、単純な善悪二元論から離れて「異なる視点」をもたらすことができないでいることだ。
非常に単純な例だが、もしトランプ大統領がイランに対して行ったことを、ロシアのプーチン大統領がウクライナに対して行い、ゼレンスキー大統領を殺害したとしたら、そこにどのような違いがあるのだろうか。イランは悪であり、ウクライナは善であるから違うのだ、という論理が本当に成立するのだろうか。
そうした視点を持つことで、戦争とはどのような口実を用いようとも、最終的には殺人であるという、ごく単純な結論に行き着く。そして、人々が戦争へと駆り立てられる前に、少し足を止めて考える余地をつくることができるのではないか。敵もまた「人間」であるという視点こそが戦いを抑止するのであり、「防衛」という言葉はむしろ危険なサインとして働くはずである。
いったん「脱欧入亜」という視点を持つことが、日本人が今、世界に対してできることではないのか。明治維新と第二次世界大戦の終戦、その二度の機会に、日本人は態度を急激に変化させた。
そんな風に、日本人は、変わるときには、驚くほど簡単に変わることができる。だからこそ、いったん「脱欧入亜」をして、「西部劇」を逆の立場から見直してみることも、不可能ではない。そうすることで、ヒーローだけではなく、インディアンもまた「人間」であるという視点から世界を眺め直すことができるかもしれない。
イラン攻撃のニュースを日々目にしながら、そんなことを考えたりもする。