彩りの声が降りそそぐ森のなかで、日本の秋は静かにその詩を紡ぎはじめる。

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続きを読む串本は、本州最南端に位置し、潮岬半島が太平洋に突き出した町。亜熱帯の気候の下、火山の噴火の痕跡である奇岩が美しい海から顔をのぞかせ、他では見ることのできない光景が広がっている。
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橋杭岩(はしくいいわ)

摩耶山の頂上付近にあった忉利天上寺(とうりてんじょうじ)は、646年(大化2年)に開創された。その後、空海(弘法大師)が仏の母である摩耶夫人(まやぶにん)像を、留学先の唐から持ち帰り、この寺に奉安したと考えられている。なお、寺名の「忉利」は、摩耶夫人が死後に転生したとされる天界 ── 忉利天(とうりてん)に由来する。
このように由緒ある寺だが、大変に残念なことに、1976年(昭和51年)1月30日に放火され、仁王門など一部を除いて全焼してしまった。現在は、北方約1kmに位置する摩耶別山に場所を移して再建されていて、旧天上寺の跡地は摩耶山歴史公園として残されている。

この奥には、三権現社(さんごんげんしゃ)の跡もある。

島根半島西端の海岸線には、出雲神話の舞台となった「稲佐の浜」と「日御碕(ひのみさき)」がある。
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稲佐の浜は、出雲大社の西方1kmにある海岸で、神在月(かみありづき:旧暦10月10日)には、日本全土の八百万の神々を迎えるとされている。

黄泉比良坂(よもつひらさか)は、『古事記』(712年)の記述によれば、「今の出雲国の伊賦夜坂(いふやざか)なり」とあり、現在の地理では島根県松江市東出雲町揖屋(いや)にあたる。
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大国主(おおくにぬし)を祀る出雲大社は、『古事記』や『日本書紀』『出雲風土記』など、日本神話の基礎となる書物に言及されていることからもわかるように、古代日本の名残を今に伝え、荘厳なたたずまいで現代の私たちを迎えてくれる。
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沼島 ( ぬしま ) は南あわじ市の沖に位置する離島で、イザナギ・イザナミが「国生み」で最初に作った「おのころ島」だという伝説が残っている。
日本の神話では、イザナギ(伊邪那岐)とイザナミ(伊邪那美)の二神は、天浮橋(あめのうきはし)に立ち、別天津神(ことあまつがみ)たちから与えられた天沼矛(あめのぬぼこ)を持ち、渾沌とした地上を掻き混ぜる。矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となる。
沼島へは、土生港より船に乗って向かう。
