1492年 コロンブス以降の「世界史」

自分たちがどのような時代を生きているなのかを知るのは難しい。今起こっていることが当たり前すぎて、その状況を相対化する視点から物事を見ることが難しいからだ。
そして、過去を探る場合にも、現在の視点から考察することが多く、過去が現在の世界観、価値観によって書き直されることが多い。

ジャック・アタリの『1492 西欧文明の世界支配』(ちくま学芸文庫)は、1492年のコロンブスによる「新大陸の発見」という出来事の意味を問い直し、その後の世界全体が一つの世界観の下にあり続ける、その起源を描き出す。
あまりにも詳細な記述が行われるために、読みやすいとはいえないのだが、とりわけ非西欧の読者が今の世界を知るために、これほど説得力のある歴史書はないのではないかと思われる。

その要旨を一言で言えば、「新大陸の発見」という表現自体が、すでに欧米中心の世界支配を表しているということ。
その大陸は「発見」される以前にすでに人々が住み、生活していたのだ。コロンブスのサン・サルバドル島到達は、西欧世界が描いた世界史の中での、象徴的な出来事に他ならない。

その事件の後、スペイン、ポルトガル、さらにはオランダ、フランス、イギリスといった国々が、アメリカ大陸だけではなく、アフリカやアジアに「進出」していくことになるのだが、支配の仕方はそれぞれの大陸によって異なっていた。
ジャック・アタリは、その違いを次のように説明する。

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デカルト 神の存在 『方法序説』第4章 Descartes Discours de la méthode chapitre 4 Dieu existe

ルネ・デカルト(René Descartes, 1596-1650)は、人間の本質に理性を置き、合理主義の思考の基礎を築いた哲学者と考えられることが多い。

1637年に出版された『方法序説(Discours de la méthode)』の有名な言葉「我思う、故に我在り(Je pense, donc je suis.)」は、全ての人間には良識(bon sens)=理性(raison)が備わり、それに導かれることで真理(vérité)に到達できることを原則として思想の表現として、21世紀の現在でもよく知られている。

ところが、『方法序説』の第4章において、デカルトが、真理を保証するものとして「神(Dieu)」の存在を持ち出していることは、比較的忘れられている。
そこで、ここでは、デカルトが神についてどのような考察をし、神の存在を証明し、神が存在することがどのような意味を持つと考えたのか、探ってみることにしよう。

ただし、17世紀前半のフランス語は現在のフランス語とそれほどの違いがないとはいえるが、しかし、表現の仕方などで違いもある。例えば、動詞と代名詞の位置、構文の複雑さ、接続法の多用など。
そこで、フランス語自体の説明もやや詳しくするために、記述がかなり煩雑になってしまうことを予め断っていきたい。

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アルチュール・ランボーの新しい写真(?)   

「1873年11月1日にパリで撮影されたアルチュール・ランボーの写真」というタイトルを付けて、ソーシャル・メディアにアップされた写真。

Rarissime photo d’Arthur Rimbaud prise par Ernest Balthazar, un photographe de rue, à Paris le 1er novembre 1873

顔は1871年にエチエンヌ・カルジャによって撮影された有名な写真そっくり! 
しかし、実際には、リュック・ロワゾーという芸術家が、AI(人口知能)のソフトを使い制作したもので、そのことは作者によって始めから明らかにされている

故郷シャルルヴィル=メジエールにあるランボー博物館の館長は、こうした試みは、« Il faut être absolument moderne. »(絶対的に現代的であること)と言ったランボーに相応しい、と語っているらしい。

芭蕉 『おくのほそ道』 不易流行の旅 7/7 立石寺 月山 最上川 佐渡

『おくのほそ道』は、太平洋側を歩む行き旅と、日本海側に沿った帰りの旅という二つの行程によって、大きな構造が形作られている。
その分岐点となるのが、平泉と尿前。

平泉では、「夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡」の句によって捉えられた「無常な時の流れ」(流行)と、「五月雨の降(ふり)のこしてや光堂」の句が感知させる「不変・永遠」(不易)とが、古代の英雄や中尊寺の金色堂を通して詠われた。
それに対して、後半の旅の開始となる尿前の関で、芭蕉は悪天候のために門番の家に3日間も泊まることになり、「蚤(のみ)虱(しらみ)馬の尿(しと)する枕もと」といった、卑近な題材を俳句として表現する。
この明確な対比を境にして、芭蕉の旅は後半に入る。

尿前の関から日本海側に抜けるためには、尾花沢の近くにある大石田で船に乗り、最上川を下っていくという行程が考えられる。
芭蕉もその旅程を取るのだが、しかし、二か所で寄り道をする。
まず、尾花沢からすぐに船に乗らず、立石寺を訪れる。
大石田で船に乗った後、出羽三山(白黒山、湯殿、月山)を訪れるために、いったん船を下りる。

太平洋側の旅では、時間の経過によって失われたもの(流行)と、永遠に残っているもの(不易)が別々に捉えられてきた。
ところが、蚤、虱、馬の尿から始まる後半の旅の始まりにおいて、山中を横切りながら、芭蕉は流行と不易が一つであることを悟っていく。
弟子の去来(きょらい)が伝える言葉で言えば、「不易と流行は元は一つ」(「去来抄」)。
それが日本海側の旅の中で、どのように表現されているのか見ていこう。

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アルチュール・ランボー 吐いた泥までが煌(きら)めく詩人 2/3 『地獄の季節』

『地獄の季節』は、1854年10月生まれのアルチュール・ランボーが、1873年、19-20歳の頃に書き上げた散文詩集。

1871年9月、17歳直前のランボーはポール・ヴェルレーヌと出会い、その翌年からはベルギーやロンドンで共同生活を送った。
その生活は、1873年7月10日、ブリュッセルにおいてヴェルレーヌがランボーに発砲するという事件によって終結する。

『地獄の季節』の最後に「1873年、4月-8月」と記されているが、その日付は、詩集がヴェルレーヌとの波乱に富んだ関係の中で構想されたことを教えてくれる。

ちなみに、ヴェルレーヌの有名な詩「巷に雨が降るごとく/わが心にも涙降る」のエピグラフには、ランボーの「街に静かに雨が降る」という詩句が掲げられ、二人の詩人が相互に影響を与え合っていたことを示している。

彼らの最も大きな点は、音楽性の重視。
ランボーとヴェルレーヌの詩句においては、言葉の持つ音楽性が際立ち、大変に美しいフランス語の響きを聞かせてくれる。

他方、大きな違いもある。
ヴェルレーヌはあくまでも韻文詩の枠内に留まったが、ランボーは素晴らしい韻文詩を書きながらも、そこに留まることなく、「散文」による詩へと表現の幅を広げていった。

「散文詩」の試みは、19世紀後半には非常に革新的なものだった。
フランスでは、詩は「韻文」であることが不可欠な条件であり、「散文詩」というジャンルは、1850年代の半ば、シャルル・ボードレールによって展開されたものだった。
その際に前提として知っておくべきことは、詩的散文、つまり詩を思わせる散文はあくまで散文であり、詩ではないということ。
(まれな例だが、現在でも、詩は韻文でなければならず、散文詩は存在しないと主張する研究者が存在する。)

では、散文で書かれた作品を、どのようにして「散文詩」という一つの文学ジャンル」として認めさせるのか?
韻文でなければ詩として認められなかった時代、それが大きな問題だった。
『地獄の季節』の散文は、その問題に対する一つの解答に他ならない。

ただし、いかにもランボーらしく、自費出版の約束でブリュッセルの出版社に原稿を渡しながら、1873年10月に印刷製本が終わった時、費用の残額を支払わなかった。そのために彼は数冊を受け取っただけで、残りの500部近くはポート社の倉庫に残されたままになった。

その『地獄の季節』が、20世紀になると広く読まれるようになり、現在では世界中で最もよく知られた詩集であり続けている。文学における奇跡の一つと言っていいだろう。

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シャルルヴィルのランボー・ツアー

ランボーが死んだ頃、家族は恥ずかしい思いをしていたそうだが、今ではシャルルヴィル=メジエールの誇りであり、ランボーの足跡を巡るツアーも行われている。

Sur les pas d’Arthur Rimbaud à Charleville-Mézières

Charleville-Mézières, dans les Ardennes, est la ville natale du plus grand poète français, Arthur Rimbaud. 

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新しいタイプの原子力発電

現行の原子力発電は核分裂によってエネルギーを得たが、現在研究されているものは核融合によるものであり、その場合には現在のような危険はなくなるというニュース。

La fusion nucléaire

Pour bien comprendre comment une fusion nucléaire marche, on se tourne vers le soleil. On va l’observer parce que c’est lui qui est la source d’inspiration.
Sur les images, si on zoome au niveau des atomes, les deux petits noyaux vont se rapprocher jusqu’à fusionner ensemble pour créer un seul gros noyau. Et en fusionnant, il libère énormément d’énergie, de la chaleur, de la lumière, et c’est exactement cela qu’on appelle “la fusion nucléaire”.

Tout l’enjeu va donc être de réussir à recréer tout cela mais chez nous sur terre, dans des immenses centrales de fusion nucléaire, pour fabriquer, comme à l’intérieur du soleil, énormément d’énergie sous forme d’électricité et sans émettre de CO2. 

Les risques dans les centrales nucléaires d’aujourd’hui sont très différents, car on n’utilise pas la fusion, mais la fission nucléaire. Concrètement, on va casser un noyau d’atome, qui libère de l’énergie, qui va casser un autre noyau et ainsi de suite. Et c’est cette réaction en chaîne qui peut s’emballer, si on perd le contrôle et potentiellement causer un accident, voire une explosion dans de très rares cas. 

アルチュール・ランボー 吐いた泥までが煌(きら)めく詩人 1/3 

アルチュール・ランボーは、10代の半ばに詩を書き始め、20歳頃には詩作を完全に捨て去ってしまった。その間に詩集としてまとめられたのは、『地獄の季節』の一冊のみ。
それにもかかわらず、現在でも世界中で最もよく名前の知られた詩人であり、活気に満ちた美しい詩句が多くの読者を魅了し続けている。

ランボーの詩がどのようなものか、的確かつ簡潔に理解させてくれる言葉がある。

ランボオ程、己を語って吃(ども)らなかった作家はない。痛烈に告白し、告白はそのまま、朗々(ろうろう)として歌となった。吐いた泥までが煌(きら)めく。(小林秀雄「ランボオ II」)

小林秀雄のこの言葉、とりわけ「吐いた泥までが煌めく」という言葉は、詩人としての天才に恵まれた若者が、社会的な規範にも、詩の規則にもとらわれず、自由に思いのままを綴った詩句が、新鮮な輝きを放ち続けていることを見事に表現している。

私たちは、その実感を、小林秀雄自身が訳した『地獄の季節』の冒頭から感じ取ることができる。

かつては、もし俺(おれ)の記憶が確かならば、俺の生活は宴(うたげ)であった、誰の心も開き、酒という酒はことごとく流れ出た宴であった。
ある夜、俺は『美』を膝の上に座らせた。 — 苦々しい奴だと思った。 — 俺は思いっきり毒づいてやった。                   
               (ランボオ作、小林秀雄訳『地獄の季節』)

ランボーは、「美」を崇め、「美」の前で跪(ひざまづ)くことはしない。その反対に、「美」に向かい勢いよく毒づく。
その毒づいた言葉が、「美」に祝福されているかのように美しく、キラキラと煌めく。
小林のこの訳は、ランボーのフランス語の詩句の勢いを、見事に日本語の移し換えたものになっている。

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