
同じ出発点に立っても、正反対の考えに進むことがある。
それが世界における日本のあり方という問題に関わると、国論を二分するような議論が生まれることもある。
江戸時代の後半にさしかかった18世紀の末頃、古代から続いてきた大陸文化の影響の他に、ポルトガルやオランダといった西欧文化との接触を通して、日本古来の土着的世界観、つまり、仏教や儒教の影響を受けない日本独自の世界観を解明しようとする動きが出てきた。

その中心となったのは、本居宣長(もとおり のりなが:1730-1801)。
宣長は、『古事記』や『源氏物語』などの語学的研究を通して、日本固有の世界観は日常的な感覚に密着したもの、つまり「人の情(こころ)のありのまま」であり、「大和心」は、外来の「漢意(からごころ)」とは異なるものであると考えた。

『雨月物語』の作者である上田秋成(うえだ あきなり:1734-1809)も、日本は他の国とは違うという認識を本居宣長と共有していた。
その二人が、1786年頃に論争することになる。「日の神論争」と呼ばれるその議論の争点は、「違いに対してどのような姿勢を取るのか?」ということだった。
本居宣長は日本の特異性を優越性につなげ、上田秋成は相対主義的な思考へと進む。
私たちは、二人のうちのどちらが正しいのかという視点ではなく、どちらに賛同するかという視点を取ることで、自分自身の感受性、思考の型、世界観を知ることになる。
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