日本人の神(カミ)とは 1/3

日本人にとって神(カミ)とは、どのような存在なのだろうか。

現代の私たちは、神と仏をほとんど区別せず、お寺でも神社でも手を合わせるし、キリスト教の教会やイスラム教のモスクに行っても、それぞれの場のしきたりや雰囲気に合わせて行動する。そうしたとき、何に対して祈っているのかを明確に意識することはあまりなく、お寺や神社、教会、モスクの神々を本当に信仰しているわけでもないだろう。

キリスト教やイスラム教では、神は唯一の絶対的存在であり、他の神の存在を認めることはない。それに対して、私たちはどのような神様も否定せず、特定の信仰対象とすることもなく、ただ「何となく拝む」ことに抵抗がない。

こうしたことは、善悪の問題ではなく、日本という土地で生まれ育った人間が、ごく自然に取ってきた行動にすぎない。そして、その行動の根底には、日本人が「神」という存在に対して抱いてきた、独特の感覚や意識があるのではないだろうか。

日本人にとって神とは、どのような存在なのか。それを知りたいと思うのは、そうした日本人の心のあり方を探ろうとする思いから生まれてくるのだ。

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日本における漢字の導入と仮名の発明 2/4 『古事記』『万葉集』の漢字表記

(4) 『古事記』

日本最古の文字資料として現在まで残っているのは、712年に編纂された『古事記』。
720年に編纂された『日本書記』が正規の漢文で書かれているのとは異なり、『古事記』は日本語を漢字で表記したものであり、当時の日本語がどのような状態で書き記されていたのかを教えてくれる。

日本において漢字の存在が確認できる最初の証拠は、1世紀頃の「漢委奴国王」の金印。漢字が日本語の表記文字として使われ始めたことが確認できる隅田八幡神社の銅鏡が制作されたのは、5世紀から6世紀。その時期からでさえも200年以上経過した8世紀において、漢字を使い日本語を書き記す作業がいかに難しく、一貫した規則が定まっていなかったかを、『古事記』の文字表現は今に伝えている。

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縄文土器・土偶 古代日本人の生命感

現代の私たちの目から見ても、縄文時代の土器や土偶は大変に魅力的な姿をしている。その魅力は、単に装飾的な奇抜さや美しさというだけではなく、何か呪術的な力を秘めているように感じられるところからも来ている。

縄文という名前は、発掘された土器に「縄目の模様」が付けられていたことから来ている。縄を複雑により合わせて模様を付ける技法は日本独自のものであり、模様の種類は百数十種類に及ぶという。

そのことは、「縄」が、新石器時代に日本列島に生きた人々の生活に深く入り込んでいたことの証だと考えられる。
縄は植物繊維を主な素材とし、繊維の束をより合わせて強度を高め、継ぎ足すことで長さを伸ばし、織ることで布を作ることもできる。縄文人は縄をよることで植物由来の素材を加工し、衣服など生活に必要なものを制作する一方、土器や土偶には縄を使い様々な模様を施した。

それらの土器や土偶を通して、縄文人の精神性の一端を知ることができないだろうか?
もしそれが可能であれば、8世紀初頭に『古事記』や『日本書紀』の中で文字によって表現された日本的心性の源泉を知ることに繋がるかもしれない。

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