『古今和歌集』 暦の季節と3つの時間意識 

10世紀初頭に編纂された『古今和歌集』は、現代の私たちが当たり前だと思っている四季折々の美しさを感じる感受性を養う上で、決定的な役割を果たした。
そのことは、全20巻で構成される歌集の最初が、春2巻、夏1巻、秋2巻、冬1巻という、季節をテーマに分類された6巻で構成されていることからも推測することができる。

自然の美に対する感受性や、時間の経過とともに全てが失われていくこの世の有様に空しさを感じる感受性は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された『万葉集』でもすでに示されていた。

『古今和歌集』が新たに生み出したのは、暦に則った季節の移り変わり。
より具体的に言えば、春の巻から冬の巻を通して、立春から年の暮れまでという、一年を通した季節の変化を明確に意識し、時間の流れに四季という枠組みを付け加えたということになる。

では、それによって何か変わるのか? 

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『万葉集』を通してみる日本的感受性

『万葉集』に収められた和歌は、飛鳥時代から奈良時代にかけての日本的感性がどのようなものだったかを教えてくれる。

当時の日本人の心は、次の時代と共通する一つの一つの表現法を持っていた。
それは、『古今和歌集』の「仮名序」で、「心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり」と言われるように、心の中の思いを「見るもの聞くもの」という知覚対象に「つけて」、つまり「託して」、表現するという方法。

他方、そこで表現された心のありさまは、平安時代の『古今和歌集』の和歌によるものとはある違いがある。
時の経過、季節の移り変わりから現実の生の空しさを感じ取ることは共通しているのだが、その事実に対する感じ方が同じというわけではなかった。

法隆寺が創建され、大化の改新が行われ、『古事記』や『日本書紀』で大和朝廷が神話によって自らの正当性を確立しようとしていた時代、人々はどのような心を持ち、何をどのように感じていたのだろうか?

(1)「心もしのに」から「うら悲し」へ

まず最初に、初期の歌人である柿本人麻呂と後期を代表する大伴家持の句を読んでみよう。

近江(あふみ)の海(み) 夕波千鳥(ゆふなみちどり) 汝(な)が鳴けば 心もしのに 古(いにしへ)思ほゆ  (柿本人麻呂)

春の野に 霞(かすみ)たなびき うら悲し この夕かげに 鶯(うぐいす)鳴くも (大伴家持)

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日本的感受性 『古今和歌集』の「仮名序」 

今から1000年以上前に書かれた『枕草子』の有名な一節、「春はあけぼの。夏は夜。秋は夕ぐれ。冬はつとめて。」を目にすると、現代の私たちでも思わず肯いてしまう。
日本的な感受性は、それほど自然に対する親和性が強く、四季の変化に敏感に反応する。

その『枕草子』よりも約100年前に書かれた『古今和歌集』の「仮名序」は、そうした日本人の心のあり方の起源がどのようなものかを、彼らの遠い子孫である私たち現代の日本人に、こっそりと明かしてくれる。

冒頭の一節は、日本人の心と言葉の関係を、これ以上ないほど美しい言葉で語り始める。

 やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、事業(ことわざ)、繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは歌なり。

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