議員は選挙民を「代表」するか? 柄谷行人 「代表するもの」は「代表されるもの」から束縛されない

政治は選挙によって選ばれた議員たちによって行われる。たとえ、政策の立案に関しては、選挙によって選ばれてはいない官僚によって行われるとしても、決定権は議会にある。
そして、その議会は、普通選挙によって「民意を得た」とされる代議士たちによって構成されるため、「民主主義」的な政治が行われると見なされる。

こうした仕組みは、「日本国憲法前文」で規定される基本的な考え方に基づいている。
「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、(後略)」。

しかし、政治家たちの発言や行動からは、彼らが本当に選挙で投票した人々の「代表」であるのかどうか疑われることがある。

柄谷行人は、投票する側と選ばれる側のつながりの曖昧さを指摘する。

真に代表議会制が成立するのは、普通選挙によってであり、さらに、無記名投票を採用した時点からである。秘密投票は、ひとが誰に投票したかを隠すことによって、人々を自由にする。しかし、同時に、それは誰かに投票したという証拠を消してしまう。そのとき、「代表するもの」と「代表されるもの」は根本的に切断され、恣意的な関係になる。したがって、秘密投票で選ばれた「代表するもの」は「代表されるもの」から束縛されない。(『トランスクリティーク』)

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日本を民主主義政治から読む

現代の社会において、議会制民主主義は正常に機能しているのだろうか。それとも、古代ギリシアのように、衆愚政治と見なされる政治制度になってしまっているのだろうか。
その問いは、政治をよりよく機能させ、人々の日々の暮らしをよりよくするために、今こそ必要とされると考えたい。

国会議員の選挙にしろ、地方議員の選挙にしろ、選挙がある度に投票が呼びかけられる。そして、一定数の人々は、自分たちの権利として、あるいは義務感に駆られて、投票所に足を運ぶ。
同調できる意見を持つ人を自分たちの「代理」として選択し、選ばれた人々がその意見を反映した政治を行うことを前提とした「議会制民主主義」が日本の政治制度である以上、投票しないことは選択の権利を放棄することを意味する。だからこそ、投票は義務なのだと言われることもある。

議会制民主主義は、デモ(古代ギリシア語で「民衆」を意味する)+クラシー(支配)を実現することを可能にする一つの制度であり、一つの共同体において多数の意見を実現する政治を行うために適したものといえる。

ただし、その制度が適切に機能するためには、投票する側の人間に二つのことが求められる。
1)一定の知見と判断力
2)選択された人々の実現する政治を検証する意識

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