
「記憶」とは、過去の体験が保存され、その経験が後になって思い出される現象だと定義される。
では、思い出された「記憶内容」は、過去に属するのだろうか? それとも現在に属するのだろうか?
その問いに対して、マルセル・プルーストであれば、何のためらいもなく、「現在に属する」と答えるに違いない。
確かに、思い出される出来事は、すでに過ぎ去ってしまった過去に属する。過去の出来事は、現在においてすでに存在しないし、誰も過去に遡り、何かを変えることはできない。
その一方で、思い出すという行為を行う時点は現在であり、記憶内容は”現在の意識の中”で想起される。つまり、思い出す限りにおいて、その内容は「現在の出来事」だという見方もできる。
そのように考えると、私たちの生きる現在という時間帯には、五感が知覚する現象世界だけではなく、記憶が呼び起こす様々な出来事も含まれていることになる。
そして、それらの出来事は、たとえ過去に起こった事実だとしても、思い出される時点では実在するものではなく、夢の中での出来事や、想像力が作り出す空想世界と同じものだといえる。
時計によって計測される「時間」は一定の速度で前に進むが、しかし、私たちの意識は過去へと戻ることもあれば、未来へと飛ぶこともある。しかも、思い出や予測は、時間の前後関係とは関係なく出現する。その全体が、私たちの生きる現実の時間に他ならない。
マルセル・プルーストは、そうした「生きた時間」を、『失われた時を求めて』という大建造物として提示したのだった。
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