江戸時代を代表する浮世絵が17世紀の後半に描かれるようになるまでには、室町時代後半からの絵画の伝統があった。
その流れを辿ってみると、平安時代に確立した大和絵と、鎌倉時代以降に大陸から移入された漢画が融合され、新しい時代の美意識を生み出していく様子を見ることができる。

「うき世」とは、元来は、「憂世」と記され、日々の生活の過酷さを表す言葉だった。
来世に極楽「浄土」に行くことが理想であり、この世は「穢土(えど)」であり、厭わしく、憂うべき場所。
そうした現実感は、地獄絵等によって表現されている。
地獄の絵とされているが、実際には、現実の過酷さの実感を伝えるものだったと考えられる。
その「憂世」が「浮世」に変わる。
現実の厳しさは変わらない。しかし、束の間の一生だからこそ、昨日の苦しさを忘れ、明日の労苦を思い煩わず、今日この時を、浮き浮きと楽しく生きようと考える。
最先端をいくファッションを楽しみ、最新の話題や風俗を享受する。
そうした時には、官能性を隠すことなく、悪所と言われた遊里と芝居町を住み処とする美女や役者たちをモデルにして、美人画や役者絵が描かれる。


浮世絵は、現実を「浮世」と思い定めた時代精神を表現する絵画なのだ。
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