芥川龍之介に教えてもらう 芭蕉の俳句 「調べ」の美しさ

芥川龍之介が芭蕉の俳句について書いたエセーの中に、俳句の言葉が奏でる音楽の美しさに触れた章がある。
その章は「耳」と題され、次のように始まる。

 芭蕉の俳諧を愛する人の耳の穴をあけぬのは残念である。もし「調べ」の美しさに全然無頓着(むとんじゃく)だったとすれば、芭蕉の俳諧の美しさもほとんど半ばしかのみこめぬであらう。

耳の穴が塞がっていては、音が聞こえない。芭蕉の俳句を読む時、「調べ」の美しさに耳を塞いでいるのでは、あまりにもったいない。
芥川は、俳句の美しさの半分が「意味」にあるとしたら、後の半分は「調べ」にあると考えている。

その後、芥川は、3つの俳句を取り上げる。

夏の月 御油(ごゆ)より出でて 赤坂(あかさか)や

年(とし)の市(いち) 線香買ひに 出(い)でばやな

秋ふかき 隣は何を する人ぞ

私たちの耳に、これらの言葉の美しい調べが聞こえてきたら、どんなに幸せな気分になることだろう。


日本の文学的な伝統は、和歌に始まるといっていい。
和歌は名称の通り、5/7/5 7/7で構成される「歌」だ。それに比べると、5/7/5の俳句は「調べに乏しい」ものだと芥川は言う。

 俳諧は元来(がんらい)歌よりも「調べ」に乏しいものでもある。僅々(きんきん)十七字の活殺(かっさつ=生き死に)の中に「言葉の音楽」をも伝へることは大力量の人を待たなければならぬ。
のみならず「調べ」にのみ執(しゅう)するのは俳諧の本道を失したものである。芭蕉の「調べ」を後(のち)にせよと云ったのは、この間(かん)の消息を語るものであらう。
しかし芭蕉自身の俳諧は滅多(めった)に「調べ」を忘れたことはない。

調べに乏しい俳句によって、和歌に匹敵する音楽を生み出すことは難しい。その一方で、音楽だけを追究した俳句では、「本道を失したもの」になる。
芥川によれば、芭蕉はその二つの困難を乗り越えた俳人ということになる。

最初の俳句の俳句に出てくる御油(ごゆ)、赤坂(あかさか)は、現在の愛知県に位置する東海道五十三次の宿場の名前。

いや、時には一句の妙を「調べ」にのみ託したものさへある。

    夏の月 御油より出でて 赤坂や

 これは夏の月を写すために、「御油」「赤坂」等の地名の与える色彩の感じを用いたものである。この手段は少しも珍らしいとは云はれぬ。むしろ多少陳套(ちんたう)の譏(そしり)を招きかねぬ技巧であらう。
しかし耳に与へる効果はいかにも旅人の心らしい、悠々とした美しさに溢(あふ)れている。

夏に東海道を旅しながら、月が出てくるのを目にする。
その光景を前にして、「ゴユ」や「アカサカ」という宿場の名前の音色が旅情を生み出す役割を果たす。

その二つは単に宿場の名前であり、意味を多く含んでいるわけではない。その意味で、芥川の耳には、この句は「調べのみに託す」傾向に聞こえたのだろう。
しかし、それゆえにこそ、「旅人の心らしい、悠々とした美しさ」が感じられる。

次は、意味と音が見事に調和した句。

    年の市 線香買ひに 出でばやな
 
仮(かり)に「夏の月」の句をリブレツトオ(台本、歌詞)よりもスコアア(楽譜)のすぐれている句とするならば、この句の如きは両者ともに傑出したものの一例である。
年の市に線香を買ひに出るのは物寂(ものさ)びたとは云ふものの、懐(なつか)しい気もちにも違ひない。
その上「出でばやな」とはずみかけた調子は、宛然(えんぜん=そっくりそのまま)芭蕉その人の心の小躍(こおどり)を見るやうである。
更にまた下(しも)の句などを見れば、芭蕉の「調べ」を駆使するのに大自在を極めていたことには呆気(あっけ)にとられてしまふほかはない。

「年の市」とは、お正月に使う品々を人々が買いにいく、年の暮れに開かれる「市」のこと。
その言葉だけで、年の瀬のせわしなさと、新年を迎える浮き浮きした感じが伝わってくる。

芭蕉は隠者であり、世間の騒々しさとは距離を置いているが、それでも何となく懐かしさもあり、そうした気持ちにつられてお線香を買いに出かけようかと思ったりもする。

そうした映像が浮かんでくる中で、芥川はとりわけ「出でばやな」の音が奏でる音楽に注目する。
もしそこで、言葉を分解し、「出で」は「出かける」、「ばや」は願望や意思を表す終助詞で「・・・しよう」、「な」は詠嘆の終助詞で「・・・なあ」、従って、「出かけたいものだなあ」という意味。
そんな理解の仕方をするのであれば、この俳句の美はことごとく消え去ってしまう。

それに対して、芥川は、「出でばやな」という言葉の調べに「芭蕉その人の心の小躍」を感じ、芭蕉が言葉の音楽性を駆使する達人であることに読者の注意を引く。

3番目は、芭蕉が生前最後に詠んだ句。

    秋ふかき 隣は何を する人ぞ

 かう云ふ荘重の「調べ」を捉(とら)へ得たものは茫々(ぼうぼう)たる三百年間にたった芭蕉一人である。

芭蕉の数多くの俳句の中でも最もよく知られたこの俳句に関して、芥川は、その素晴らしさをくどくどと説明する必要はないと考えたのかもしれない。
そこで、「荘重の調べ」にのみ言及し、晩秋の心に滲みいるような寂しさと、そうした中で隣人に思いをはせ人間的な触れあいを求める心が、言葉の調べによって奏でられることを、わずかな言葉で読者に伝える。

以上3つの句の「調べ」に言及した後、芥川龍之介は、「耳」の章を次の言葉でしめくくる。

芭蕉は子弟を訓(おし)えるのに「俳諧は万葉集の心なり」と云つた。この言葉は少しも大風呂敷ではない。
芭蕉の俳諧を愛する人の耳の穴をあけねばならぬ所以(ゆえん)である。

私たちの耳の穴があき、芭蕉の句だけではなく、日本語で書かれた文学作品、さらにはフランス語の詩や小説の調べに関しても、美しさを聞き取ることができれば、私たちは芥川龍之介に教えを授けられた弟子の一人ということになる。

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