
ギヨーム・アポリネールが1913年に発表した『アルコール(Alcoocls)』は、フランス詩の伝統を受容した上で、新しい時代の詩へと一歩を踏み出した詩集。その冒頭を飾る「ゾーン(Zone)」は、新しい詩とはどのようなものかを具体的に表現している。
その新しさは、最初の3行を読むだけですぐに気付くことができる。つまり、
どこにも句読点がない、いくつかの詩行で一つの詩節を形作るという形式が無視されている、12音節の詩句と散文のような詩句が混在している、詩の伝統的なテーマだけではなく、新しい時代の事物が取り上げられている、など、すぐにいくつかの点が指摘できる。
À la fin tu es las de ce monde ancien
Bergère ô tour Eiffel le troupeau des ponts bêle ce matin
Tu en as assez de vivre dans l’antiquité grecque et romaine (v. 1-3)
結局 お前はあの古い世界に疲れている
羊飼いの娘よ ああ エッフェル塔よ 橋たちの群がメーメー鳴いている 今朝
お前は 生きるのにうんざりしている ギリシアとローマの古代に
一行の詩句の後に一行の空白が入るこの3行は、伝統的な詩の形式から外れたものであり、冒頭から読者を驚かせる。しかも、「驚き」は、それ以外の要素によっても引き起こされる。
(1) À la fin tu es las de ce monde ancien
詩の最初の言葉が「最後に(À la fin)」で始まることは、読者を困惑させると同時に驚かせもする。しかも、次に出てくる「お前(tu)」が誰なのかもわからない。
その古い世界(ce monde ancien)に疲れた(las)ということが、詩の最後に置かれているのであれば理解できるだろうが、結論がいきなり最初に置かれているために、読者は不意打ちを受けることになる。
その一方で、この詩句は12音で構成され、しかも、6/6という区切りがなされている。
À la fin tu es las (6) // de ce monde ancien (6) ( an/ci/en : ci-enはdiérèse(分音)で数えられる。)
こうした伝統的なリズムを持つ詩句が先頭に置かれることで、それ以降に出てくる詩法を無視した詩句を際立たせることになる。
(2)Bergère ô tour Eiffel le troupeau des ponts bêle ce matin
この詩句は16音であり、ほぼ散文であり、前の行のアレクサンドラン(12音)の詩句と明かな対照をなす。
内容的には、羊飼いの娘(bergère)とエッフェル塔(la tour Eiffel)が同格に置かれ、その連想を通して、セーヌ河にかかる複数の橋(les ponts)と羊の群(le troupeau des moutons)との類似(アナロジー)が生み出される。
その結果、橋の群(le troupeau des ponts)がメーメー鳴く(bêle)という隠喩的な表現が成立する。
ただし、新しい時代精神に基づいた詩として問題になるのは、隠喩表現ではなく、エッフェル塔を詩の中で取り上げることだった。
同時代の事象を文学で取り上げることは、19世紀前半のロマン主義から始まり、19世紀後半のボードレールも近代性という言葉を使い、強く主張した。
アポリネールも、1889年の万国博覧会の際に巨大な鉄の怪物として大きなスキャンダルを引き起こしたエッフェル塔を取り上げることで、新しい現実を詩の対象としたのだった。
その傾向は、アポリネールが強く共鳴した点描画のジョルジュ・スーラ、キュビスムのロベール・ドロネー、マルク・シャガールたちとも共通している。



20世紀の初頭においてエッフェル塔は産業社会の象徴であり、その塔に向かい、「おお( ô )」と感嘆の叫びを上げることは、近代文明を賞賛する意図を表明することになる。
かつては、伝統的な田園詩の中で、羊飼いの娘に見守られた羊たちが鳴き声を上げる牧歌的な風景が歌われた。その風景を現代社会の中で再現するとしたら、エッフェル塔という羊飼いに見守られる都市の情景になる。
「今朝(ce matin)」という言葉は、単にその日の始めというだけではなく、近代文明の夜明け、そして、近代をテーマとした新しい詩の始まる時を暗示していると考えられる。
そのように考えると、「ゾーン」という詩が、新しい時代精神を歌う新しい詩の宣言(マニフェスト)であることがわかってくる。
(3)Tu en as assez de vivre dans l’antiquité grecque et romaine
この詩句は、1行目の詩句の内容を散文で再び説明するといってもいい。どちらも、「お前」は古い世界(=ギリシアとローマの古代)に疲れている(=うんざりしている)という内容。
tu es las → tu en as assez
ce monde ancien → l’antiquité grecque et romaine
違いは、伝統的な韻文にふさわしい12音節の詩句から、散文に変わっていること。それはちょうど、羊飼いの娘がエッフェル塔へと姿を変えたのと対応している。
その変容は、伝統を破棄するという宣言ではなく、伝統を時代にふさわしい姿に変更するという暗示でもある。
4行目から6行目までは一つの塊を成し、新しい時代を象徴する自動車と飛行機が取り上げられると同時に、宗教についても語られる。
Ici même les automobiles ont l’air d’être anciennes
La religion seule est restée toute neuve la religion
Est restée simple comme les hangars de Port-Aviation (v. 4-6)
ここでは 自動車さえ 古びた様子をしている
宗教だけが まったく新しく残っていた 宗教は
シンプルなままだった ポール・アヴィアシオン飛行場の格納庫のように
ここで形式的に注意を引かれるのは、la religion est restéeという表現が反復され、照応(anaphore)という詩法を思わせること。
さらに、2行目の詩句の最後に置かれたla religion(宗教)は、次の行の動詞(est restée)の主語であり、こうした構造は「逆送り語(contre-rejt)」という詩法と対応する。
しかも、« la religi-on seule (6) / est restée toute neuve (6) »は、religionのi-onを分音(diérèse)して音節数を数えると6/6と12音節(アレクサンドラン)の詩句になる。
句読点が付けられず、直後にla religionと続くために12音の詩句が隠蔽されているのだが、逆に言えば、韻文詩に親しむ読者であれば、句読点がなくても、自然にアレクサンドランのリズムを感じるはずである。
このように、韻文詩ではないにもかかわらず、韻文詩の技法を思わせる配置がなされていることは、アプリネールが新しい詩の形式を作り出そうとしたことを示している。
内容を見ていくと、自動車が古びた様子をしているというのは何を意味するのだろう?
20世紀の初頭、自動車は新しさの象徴だった。それが古く見えるということに対して、二つの解釈が提示されうる。


a. 最初の時代の自動車は、馬車の動力を馬からエンジンに変えたにすぎず、姿は馬車のままだった。そのために古い姿に見えたという可能性がある。
b. すでに飛行機も登場していて、自動車は飛行機と比べると古いように見える。それほど時代の変化は早く激しいという意識を反映していると考えることもできる。

6行目の詩句の最後に、パリの南に作られたポール・アヴィアシオンという飛行場の名前が出てくる。そこで、二つ目の解釈の方が、アポリネールの意図に近いかもしれない。
実際、ポール・アヴィアシオンの空港は1909年に作られ、アポリネールが「ゾーン」を書いたと考えられる1912年頃には最新の飛行場だった。従って、その近代性はエッフェル塔以上だといえる。
それに対して、キリスト教は2000年近い歴史がある。その宗教に関して、真新しい(toute neuve)のままだったというのは逆説的だし、矛盾している。
また、複雑な儀礼があるにもかかわらず、シンプルな(simple)ままだったという。しかも、その宗教を、出来たばかりの飛行場の格納庫(les hangars)と並行関係に置く。
その比較が読者を驚かせるし、謎をかけることにもなる。宗教が飛行機格納庫と同じようにシンプルとはどういうことなのか?

「ゾーン」は155行の詩句からなる長い詩だが、最初の6行を読むだけで、アポリネールの目指す新しい時代精神に基づく詩のあり方の一端が垣間見えてくる。
伝統的な詩の形式にはとらわれず、あたかも散文のような詩句が次々と連結されていく。しかも、近代社会を特徴付ける自動車や飛行機などが取り上げられ、さらにはエッフェル塔やポール・アヴィアシオンという固有名詞が用いられ、それれが伝統的な詩のテーマと類似関係に置かれ、新しい時代にふさわしい変容が行われる。
そうした詩句を通して、逆説的な思考や謎かけが投げかけられ、読者は驚き、困惑しているうちに、いつしか興味を掻き立てられ、同時代を歌う詩の世界に入り込んでいく。
冒頭の6行を読んだだけでは、「お前」とは誰かも、宗教と近代産業の産物との関係もわからない。これから、少しづつではあるが155行まで読み続け、「ゾーン」がマニフェストとなる新しい時代精神の詩がどのようなものか探っていくことにしよう。