ギヨーム・アポリネール 二十世紀芸術への第一歩を踏み出した詩人 2/2

1870年前後に生まれたポール・ヴァレリー、マルセル・プルーストたちと、1880年に生まれたギヨーム・アポリネールには、約10歳の違いしかない。しかし、ヴァレリーやプルーストの作品が19世紀後半の面影を色濃く残しているのに対して、アポリネールのある時期からの作品になると、明らかに新しい時代の文学に足を踏み入れたことが理解できる。

その新しさは、1907年にマリネッティが発表した「未来派宣言」としばしば関係付けられ、20世紀初頭の科学技術の進歩によってもたらされた自動車や飛行機など最先端のテクノロジーを謳い、同時代の社会を芸術の対象とするところから来ているように思われる。
しかし、文学や芸術が同時代の事象を取り上げることは、19世紀初頭に、ルイ・ド・ボナルドが「文学は社会の表現である」と述べたように、ロマン主義や写実主義を通して100年に渡り、芸術の原則となっていたことだった。

アポリネールも確かに20世紀前半の新しい事物、例えばエッフェル塔や飛行機を題材にしているが、そのこと自体が新しさではなかった。
彼の試みは、対象に対する姿勢を変化させたこと。その変化を一言で言えば、対象を自然に見えるように再現するのではなく、対象を多元的に捉え、その本質的な存在のあり方を明らかにし、「新しい現実を創造する」ことだった。
その芸術観は、アポリネールと同時代の画家、パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックが開拓したキュビスムの絵画と対応している。

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ギヨーム・アポリネール 二十世紀芸術への第一歩を踏み出した詩人 1/2

ピカソ「アポリネールの肖像」

ギヨーム・アポリネールは、20世紀初頭の「エスプリ・ヌーヴォー(新しい精神)」を体現し、19世紀までの伝統を受け継いだ上で、20世紀芸術への扉を開いた最初の作家だといえる。

恋人であったマリー・ローランサンとの恋愛を歌った「ミラボー橋」は日本でもよく知られているが、彼の活動は詩だけではなく、小説や演劇、文学批評、美術評論など多様な分野に及んだ。
とりわけピカソを始めとするキュビスムの画家たちを理論的に支えたことは、アポリネール自身の作品にも反映し、19世紀芸術とは明確に異なる芸術観に基づく詩の創造へと繋がっていった。

その新しさを感じるためには、キュビスムの開始を告げるジョルジュ・ブラックの「グラン・ニュ(巨大な裸体)」とパブロ・ピカソの「アヴィニョンの娘たち」を見るといいだろう。
これらの絵画は、モデルとなった対象の再現を前提とした伝統的な絵画とは明らかに違う。モデルがあるにしても、それらを素材として使い、私たちの現実感とは異なる「新しい現実」とも呼べる独自の世界を作り出している。
アポリネールはこうした芸術を、ミメーシス(模倣)ではなく、ポイエシス(創造)と見なした。

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アポリネール 「ゾーン」 Guillaume Apollinaire « Zone » 新しい精神の詩 7/7 四次元の現実

「ゾーン」第121-134行の詩節では、サン・ラザール駅や、ロジエ通り、エクフ通りという、パリに実在する建物や地名に言及され、アポリネールにとって身近な現実に基づき、さまよえるユダヤ人を思わせる移民たちについて語られていく。

アポリネールもローマ生まれの外国人であり、フランス国籍を取得したのは、1916年になってからだった。そのためもあり、1911年にモナリザ盗難事件に巻き込まれた際には、激しい差別的な攻撃を受けた。そのことは、アポリネールに、自らも移民者(émigrant)であることを強く感じさせたことだろう。

Tu regardes les yeux pleins de larmes ces pauvres émigrants
Ils croient en Dieu ils prient les femmes allaitent des enfants
Ils emplissent de leur odeur le hall de la gare Saint-Lazare
Ils ont foi dans leur étoile comme les rois-mages
Ils espèrent gagner de l’argent dans l’Argentine
Et revenir dans leur pays après avoir fait fortune
Une famille transporte un édredon rouge comme vous transportez votre cœur
Cet édredon et nos rêves sont aussi irréels
Quelques-uns de ces émigrants restent ici et se logent
Rue des Rosiers ou rue des Écouffes dans des bouges
Je les ai vus souvent le soir ils prennent l’air dans la rue
Et se déplacent rarement comme les pièces aux échecs
Il y a surtout des Juifs leurs femmes portent perruque
Elles restent assises exsangues au fond des boutiques (v. 121-134)

(朗読は8分52秒から)
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アポリネール 「ゾーン」 Guillaume Apollinaire « Zone » 新しい精神の詩  6/7 旅の思い出から「もう一つの現実」へ

「ゾーン」の89行目の詩句からは、世界各地への旅が始める。それはアポリネールの現実の体験に基づいていると考えられるが、そこから出発して、「もう一つの現実」が創造されていく過程だと考えてもいいだろう。

Maintenant tu es au bord de la Méditerranée
Sous les citronniers qui sont en fleur toute l’année
Avec tes amis tu te promènes en barque
L’un est Nissard il y a un Mentonasque et deux Turbiasques
Nous regardons avec effroi les poulpes des profondeurs
Et parmi les algues nagent les poissons images du Sauveur (v. 89-94)

(朗読は6分42秒から)
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アポリネール 「ゾーン」 Guillaume Apollinaire « Zone » 新しい精神の詩 5/7 パリの街の中を通り過ぎる美

「ゾーン」の71行目の詩句から始まる詩節になると、詩人の思いは再びパリに戻り、群衆の中を一人で孤独に歩く「お前(tu)」の姿が描き出される。
パリを背景とするその心象風景は88行目まで続くのだが、そこでは失恋の苦しみが画面全体の主な色調となりながら、美の姿へと焦点が向けられていく。

Maintenant tu marches dans Paris tout seul parmi la foule
Des troupeaux d’autobus mugissants près de toi roulent
L’angoisse de l’amour te serre le gosier
Comme si tu ne devais jamais plus être aimé
Si tu vivais dans l’ancien temps tu entrerais dans un monastère
Vous avez honte quand vous vous surprenez à dire une prière
Tu te moques de toi et comme le feu de l’Enfer ton rire pétille
Les étincelles de ton rire dorent le fond de ta vie
C’est un tableau pendu dans un sombre musée
Et quelquefois tu vas le regarder de près ( v. 71-80)

(朗読は5分18秒から)
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アポリネール 「ゾーン」 Guillaume Apollinaire « Zone » 新しい精神の詩 4/7 飛翔するものたちの群

「ゾーン」の42-70行で構成される詩節では、飛翔のイメージを軸として、アポリネールの自由な空想が羽ばたく。そこで繰り広げられるイメージは断片的で、それぞれの間に論理的な繋がりが見えない。

その一方で、単語の多義性や音の類似を利用した言葉遊びが多用され、キュビスムの絵画を思わせる不思議な世界が描き出されている。

Pupille Christ de l’œil
Vingtième pupille des siècles il sait y faire
Et changé en oiseau ce siècle comme Jésus monte dans l’air
Les diables dans les abîmes lèvent la tête pour le regarder
Ils disent qu’il imite Simon Mage en Judée
Ils crient s’il sait voler qu’on l’appelle voleur
Les anges voltigent autour du joli voltigeur
Icare Enoch Elie Apollonius de Thyane
Flottent autour du premier aéroplane
Ils s’écartent parfois pour laisser passer ceux que transporte la Sainte-Eucharistie
Ces prêtre qui montent éternellement élevant l’hostie. (v. 42-52)

(朗読は3分21秒から)
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アポリネール 「ゾーン」 Guillaume Apollinaire « Zone » 新しい精神の詩  3/7 飛翔の世界記録保持者 キリスト

アポリネールの「ゾーン(Zone)」の25行目からは、直前に出てきた「通り(la rue)」を連想の糸として、子ども時代の思い出が思い起こされる。

その際、1880年にローマで生まれたアポリネールが、母や弟と共にモナコに移住し、1888年から1895年まで通った学校で知り合いになったルネ・ダリーズ(本名ルネ・デュピュイ、ダリーズは文筆名)の名前が出てくることから、実際の体験がかなり反映していると考えられる。

Voilà la jeune rue et tu n’es encore qu’un petit enfant
Ta mère ne t’habille que de bleu et de blanc
Tu es très pieux et avec le plus ancien de tes camarades René Dalize
Vous n’aimez rien tant que les pompes de l’Église
Il est neuf heures le gaz est baissé tout bleu vous sortez du dortoir en cachette
Vous priez toute la nuit dans la chapelle du collège
Tandis qu’éternelle et adorable profondeur améthyste
Tourne à jamais la flamboyante gloire du Christ. (v. 25-32)

これが若い通り そして お前はまだ小さな子どもでしかない
かあさんがお前に着せる服は いつも青と白
お前はひどく信心深い そして 一番古くからの友だちルネ・ダリーズと一緒
お前たちが何よりも好むのは 教会の豪華な飾り
9時に ガス塔の炎が弱まり真っ青になる お前たちは寝室からこっそりと抜け出す
お前たちはお祈りを捧げる 夜の間中 学校の礼拝堂で
その一方で 永遠で 愛すべき アメジスト色の深みとなり
キリストの燃え上がる栄光が 永遠に回転する

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アポリネール 「ゾーン」 Guillaume Apollinaire « Zone » 新しい精神の詩 2/7 キュビスムとモデルニテ

「ゾーン(Zone)」は新しい精神(Esprit nouveau)に基づく詩の宣言として、アポリネールが詩集『アルコール(Alcools)』(1913)の冒頭に置いた詩であり、実際、19世紀後半のボードレールやマラルメ、その流れを汲むポール・ヴァレリーの詩と比べても、「新しさ」を感じさせる。

ここでは、7行目から14行目まで、そして15行目から24行目までの二つの詩節を読み、アポリネールが彼の生きている時代の素材をどのように詩の中に取り込んでいったのか見ていこう。

Seul en Europe tu n’es pas antique ô Christianisme
L’Européen le plus moderne c’est vous Pape Pie X
Et toi que les fenêtres observent la honte te retient
D’entrer dans une église et de t’y confesser ce matin
Tu lis les prospectus les catalogues les affiches qui chantent tout haut
Voilà la poésie ce matin et pour la prose il y a les journaux
Il y a les livraisons à 25 centimes pleines d’aventures policières
Portraits des grands hommes et mille titres divers            (v. 7-14)

ヨーロッパでただ一人、お前は古くさくない おお キリスト教よ
もっとも近代的なヨーロッパ人 それはあなた 教皇ピウス10世です
そして お前を窓たちが見張っている 恥がお前を捉え
教会の中に入いり 告解をしないようにする 今朝
お前が読むのは 広告 カタログ ポスター それらは大きな声で歌っている
そこに詩がある 今朝 そして 散文としては 新聞がある
25サンティームの週刊誌がある 刑事事件が満載だ
偉人たちの肖像もある 数多くのタイトルがついた三面記事もある

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アポリネール 「ゾーン」 Guillaume Apollinaire « Zone » 新しい精神の詩 1/7 エッフェル塔と自動車と

ギヨーム・アポリネールが1913年に発表した『アルコール(Alcoocls)』は、フランス詩の伝統を受容した上で、新しい時代の詩へと一歩を踏み出した詩集。その冒頭を飾る「ゾーン(Zone)」は、新しい詩とはどのようなものかを具体的に表現している。

その新しさは、最初の3行を読むだけですぐに気付くことができる。つまり、
どこにも句読点がない、いくつかの詩行で一つの詩節を形作るという形式が無視されている、12音節の詩句と散文のような詩句が混在している、詩の伝統的なテーマだけではなく、新しい時代の事物が取り上げられている、など、すぐにいくつかの点が指摘できる。

À la fin tu es las de ce monde ancien

Bergère ô tour Eiffel le troupeau des ponts bêle ce matin

Tu en as assez de vivre dans l’antiquité grecque et romaine (v. 1-3)

結局 お前はあの古い世界に疲れている

羊飼いの娘よ ああ エッフェル塔よ 橋たちの群がメーメー鳴いている 今朝

お前は 生きるのにうんざりしている ギリシアとローマの古代に

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アポリネール 「月曜日、クリスティーヌ通り」 Guillaume Apollinaire « Lundi rue Christine » 2/2

「月曜日、クリスティーヌ通り」の25−33行の詩節では、会話が完全に断片化され、誰が何を話しているのかよくわからない言葉がバラバラに並んでいる。

例えば、フランス語の所有形容詞 son は、彼なのか彼女なのか区別できない。そのために、コンテクストなしで ses ongles(爪)と言われても、「彼の爪」なのか「彼女の爪」なのかわからない。

また、誰が誰に話しているのかわからないために、一つ一つの言葉がどのような調子で話されているのかも分からない。

日本語で、語尾が「ます」であれば丁寧、「だ」であれば乱暴などといったように、会話をする人間の関係により表現が変化する。
例えば、「本当です。」と「本当。」は、相手によって変える必要がある。
他方、フランス語では、誰に対しても、« C’est vrai. »と言える。

フランス語で相手に対して丁寧に話す場合、一つのやり方として、« Voici monsieur. »(はい、ここにあります。どうぞ。)のように敬称を付け加えることがある。
もし親しい相手であれば、« Voici, Jacques. »とファーストネームを言い足し、親しみを込めることもある。
しかし、« Voici. »だけの場合、「どうぞ。」(丁寧)なのか、「ほら。」(普通)なのか、日本語のようには区別がつかない。

このように、フランス語では、言葉が状況から自立し、話者たちの関係によって表現が変化することは少ない。
そのために、状況なしで言葉だけ見た場合、意味が限定できないことも多々ある。
アポリネールはそうした言葉の不明確さ、あるいは多義性を利用し、読者が様々に解釈できる可能性を提示していく。

Ces crêpes étaient exquises
La fontaine coule
Robe noire comme ses ongles
C’est complètement impossible
Voici monsieur
La bague en malachite
Le sol est semé de sciure
Alors c’est vrai
La serveuse rousse a été enlevée par un libraire

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