
アポリネールの「ゾーン(Zone)」の25行目からは、直前に出てきた「通り(la rue)」を連想の糸として、子ども時代の思い出が思い起こされる。
その際、1880年にローマで生まれたアポリネールが、母や弟と共にモナコに移住し、1888年から1895年まで通った学校で知り合いになったルネ・ダリーズ(本名ルネ・デュピュイ、ダリーズは文筆名)の名前が出てくることから、実際の体験がかなり反映していると考えられる。
Voilà la jeune rue et tu n’es encore qu’un petit enfant
Ta mère ne t’habille que de bleu et de blanc
Tu es très pieux et avec le plus ancien de tes camarades René Dalize
Vous n’aimez rien tant que les pompes de l’Église
Il est neuf heures le gaz est baissé tout bleu vous sortez du dortoir en cachette
Vous priez toute la nuit dans la chapelle du collège
Tandis qu’éternelle et adorable profondeur améthyste
Tourne à jamais la flamboyante gloire du Christ. (v. 25-32)
これが若い通り そして お前はまだ小さな子どもでしかない
かあさんがお前に着せる服は いつも青と白
お前はひどく信心深い そして 一番古くからの友だちルネ・ダリーズと一緒
お前たちが何よりも好むのは 教会の豪華な飾り
9時に ガス塔の炎が弱まり真っ青になる お前たちは寝室からこっそりと抜け出す
お前たちはお祈りを捧げる 夜の間中 学校の礼拝堂で
その一方で 永遠で 愛すべき アメジスト色の深みとなり
キリストの燃え上がる栄光が 永遠に回転する
「若い通り(la jeune rue)」の「若い」は、次に続く「小さな子ども(un peit enfant)」と連想させる形容詞であり、代変法(hypallage)と呼ばれる修辞学の用法が用いられている。つまり、若いのは通りではなく、子どもなのだ。
アポリネール少年は、聖シャルル校(collège Saint-Charles)に通っている間、成績が優秀なだけではなく、宗教活動にも熱心な敬虔な(pieux)子どもであり、「処女懐胎信徒の会」(Congrégation de l’Immaculée Conception)の書紀をしていたことが知られている。


La Congrégation de l’Immaculée Conception du collège
母が子どもの白と青の服しか着せないという記述は、現実にそうであったというのではなく、キリスト教において、白はキリストを象徴し、青は聖母マリアを象徴するからに違いない。
「お前(tu)」は、夜になると、友人のルネ・ダリーズと一緒に寄宿舎の寝室(le dortoir)を抜け出し、礼拝堂(la chapelle)で一晩中祈りを捧げる。
そこで「お前たち(vous)」と呼ばれる少年たちが夢中になっているのは、信仰心というよりも、教会装飾の豪華さ(les pompes )といっていいだろう。その豪華さと同じほど(tant que)好きな物は何もない(vous n’aimez rien)。
礼拝堂の美しい装飾の視覚的な刺戟が、それほどまでに強く彼らの心を動かす。

ガス塔の炎が弱められる(le gaz est baissé)と、赤く燃えていた火が青色に変わる。それが出発の合図になる。
礼拝堂の中での祈りが高揚するにつれて、キリストの栄光(la gloire du Christ)が視覚的に燃え上がる( flamboyante)ように感じられる。
その栄光が深みを帯びたアメジスト(profondeur améthyste)の色として、永遠に(éternelle)燃え続け、熱愛(adorable)すべきものになる。
このイメージは、マティアス・グリューネヴァルトの「イーゼンハイム祭壇画」(第2面)の右翼の映像を思わせると指摘されることがある。

この祭壇画を前にして、« Tandis qu’éternelle et adorable profondeur améthyste /
Tourne à jamais la flamboyante gloire du Christ »という詩句を読んでみると、まず最初にprofondeur améthysteと色彩が最初に浮かび上がり、その色を纏ったla gloire du Christが回転しながら炎のように燃え上がる姿を、イメージとして目にすることができる。
しかも、éternel, à jamaisと永遠を意味する言葉が連ねられることで、profondeur(深み)が無限である感覚が伝わり、信仰が美の源泉となりうることが、2行の詩句を通して感じられてくる。
33-41行にかけて、冒頭にc’est列挙され、同じ言葉を反復すアナフォール(anaphore)という詩法が用いられる。
C’est le beau lys que tous nous cultivons
C’est la torche aux cheveux roux que n’éteint pas le vent
C’est le fils pâle et vermeil de la douloureuse mère
C’est l’arbre toujours touffu de toutes les prières
C’est la double potence de l’honneur et de l’éternité
C’est l’étoile à six branches
C’est Dieu qui meurt le vendredi et ressuscite le dimanche
C’est le Christ qui monte au ciel mieux que les aviateurs
Il détient le record du monde pour la hauteur (v. 33-41)
それは 最も美しい百合の花 私たちみんなが手入れする
それは 赤毛の松明 風にも消えない
それは 青白く真っ赤な息子 苦痛に満ちた母親の
それは 常に生い茂る木 全ての祈りが
それは 二重の絞首台 栄光と永遠の
それは 6つの枝のある星
それは 神様 金曜日に死に 日曜日に生き返る
それは キリスト 飛行士たちよりも素晴らしく空に昇る
彼は持っている 飛翔の世界記録を
ここで注目したいのは、美しい百合(le beau lys)から始まり、苦痛に満ちた母親(la douloureuse mère)を経て、絞首台(la potence)へと移行していくこと。
しかし、そこで終わるのではなく、死(meurt)は復活(ressuscite)へとつながる。
イエス・キリストの死と復活は、キリスト教の最も本質にかかわる出来事であり、だからこそ、絞首台(l potence)は、栄光(l’honneur)でもあり、永遠(l’éternité)でもある。

6つの枝のある星(l’étoile à six branches)は、ユダヤ教の印であるダヴィデの星を思わせるが、白い百合との関係もあり、アポリネールがここでユダヤ教を特別に取り上げたというよりも、キリスト教も含め、宗教的な祈りを捧げているのだと考えられる。
実際、c’estで始まる詩句の反復は、連祷(litanie)を思わせる。それは、礼拝堂に忍び込んだ子どもの祈りでもあるし、大変に敬虔な(très pieux)子どもの気持ちを詩人が思い返し、祈りの詩句を綴っているのだと考えることもできる。
ただし、アポリネールは新しい精神の詩人であり、伝統的な形で祈りだけで終わることなく、常に読者を驚かせる要素を準備している。
ここでは、40-41行目の詩句がそれにあたる。
連祷で高揚した精神は、キリスト(le Christ)と飛行士たち(les aviateurs)との比較によって一気に沈静化され、現実世界へと引き戻される。

飛行機は、1903年にアメリカでライト兄弟が有人飛行を行って以来活発な開発が進み、フランスでも1906年にサントス・デュモンがヨーロッパ初の飛行を行った。
約20年度の1927年には、チャールズ・リンドバーグが、アメリカからパリまでの大西洋横断飛行を成功させる。
そうした時代にあって、飛行機は科学技術の進歩を象徴する産業物であり、文学の中で飛行機を取り上げることは、近代性(モデルニテ)をテーマとすることだった。

アポリネールは、最新のテクノロジーの産物よりも、キリストの昇天は素晴らしく、世界記録(le record du monde)を保持していると言う。
もちろんそれは軽口であり、そこまで盛り上げてきた宗教的な高揚感を一気に冷ましてしまうのだが、その一方で、科学技術を持ってしても宗教心を超えることはできない、というメッセージも込められている。
どんな飛行機乗りよりもキリストの方が巧み(mieux)に飛翔するのだ。
その比較がどんなに滑稽であろうと、宗教が科学に勝るという意味であることに変わりはない。
ただし、宗教という場合、キリスト教という特定の宗教を指すのではなく、宗教心あるいは現実を超えたものに対する思いだと見なす方が適切だと考えられる。
また、キリストとの比較が科学を否定するものではなく、キリストと比較することで、現代社会における宗教の一つとして機能しうる可能性を暗示していると考えることもできる。
25-41行の一節は、アポリネールの少年時代を思わせる内容を持ち、宗教への思いが中心になり、祈りのような詩句が連ねられる。その最後に、近代性を表現する飛行機が何の脈絡もなく出現する。
その意外性も、アポリネールの目指す新しい詩の特色の一つを構成する。