英語の仮定法をエリック・クラプトンの Tears in Heaven でマスターする

英語の仮定法が日本人にはどうして難しく感じられるのか? 
その理由ははっきりしている。英語と日本語が本質的に違うからだ。しかし、どのように違うのか、あまり意識化できていないように思われる。

日本語では「もし・・・」という場合、その仮定が実現するか実現しないか明確に意識していない。他方、英語ではその区別をはっきりとする。その違いは大きい。

さらに、仮定法はif で先導される条件を示す部分ではなく、その結果を示す部分のこと。しかし、仮定法という用語は、どうしても「もし・・・」という条件を提示する部分を連想させてしまう。そのために、if以下の文がが仮定法だと思う誤解を生んでいる。

ここでは、エリック・クラプトンの« Tears in Heaven »を聞きながら、仮定法をマスターしてしまいたい。

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アンドレ・ブルトン ナジャ André Breton Nadja シュルレアリスム的語りの方法

アンドレ・ブルトンの『ナジャ(Nadja)』がシュルレアリスムを代表する文学作品であり、ブルトンの代表作の一つであることは、広く認められている。

『ナジャ』の中心を占めるのは、ブルトンが1926年10月4日にパリの街角で偶然出会ったレオナ・デルクール(https://fr.wikipedia.org/wiki/Léona_Delcourt)との交流を記録したかのように語られる部分。
彼女は自らをナジャと名乗り、アンドレ・ブルトンだと思われる「私(je)」を、現実でありながら現実を超えた独特の世界=超現実へと導くミューズの役割を果たす。

10月5日の記述では、ナジャが「私」にシュルレアリスム的な語りの方法を伝える言葉が記録されている。
シュルレアリスムの定義はしばしば専門用語が用いられ、一般の読者の理解を拒むような説明がなされることが多いのだが、このナジャの言葉はいわゆる専門的な解説とは対極にあり、すっと理解できる。

Un jour, dis quelque chose. Ferme les yeux et dis quelque chose. N’importe, un chiffre, un prénom. Comme ceci ( elle ferme les yeux) : Deux, deux quoi ? Deux femmes. Comment sont ces femmes ? En noir. Où se trouvent-elles ? Dans un parc… Et puis, que font-elles ? Allons, c’est si facile, pourquoi ne veux-tu pas jouer ? Eh bien, moi, c’est ainsi que je me parle quand je suis seule, que je me raconte toutes sortes d’histoires. Et pas seulement de vaines histoires : c’est même entièrement de cette façon que je vis.

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アンドレ・ブルトン  ひまわり  André Breton Tournesol シュルレアリスムの詩

アンドレ・ブルトンは、ギヨーム・アポリネールに続き、伝統的な芸術の革新を目指した文学者であり、1924年に発表した「シュルレアリスム宣言」によって、シュルレアリスムという文学・芸術様式を定着させた。

シュルレアリスムという用語もアポリネールが使い始めたものであり、ブルトンはアポリネールに多くのものを負っている。ここでは1923年に発表された詩「ひまわり(Tournesol)」を読みながら、ブルトンが先行する詩人の跡を辿りながら、どのようにして自らの詩的表現を見出していったのか探っていくことにする。

アポリネールからブルトンへの移行は、キュビスム絵画からシュルレアリスム絵画への移行と並行関係にある。
キュビスムでは、立方体(キューブ)を並置することによって新しい空間=現実を創造したが、その際、画家の主体性は保たれ、創造された空間には一定の秩序が存在していた。
それに対して、シュルレアリスムにおいては、フロイトの精神分析理論に基づいた無意識の働きが強調され、自動筆記(écriture automatique)においてのように、画家の主体性は消滅する。そのために、画布の上に作り出された「もう一つの現実」=「超現実」に秩序立ったものは感じられない。

「ひまわり」は、アポリネールの詩「ゾーン」を下敷きにしていると考えられる。
詩句は短く単純な文であり、それらが句読点なしで列挙される。
詩句が伝える内容も、現実のパリを前提にしながら、論理的な関連性の不透明な事象が連なっていく。

Tournesol

La voyageuse qui traversa les Halles à la tombée de l’été
Marchait sur la pointe des pieds
Le désespoir roulait au ciel ses grands arums si beaux
Et dans le sac à main il y avait mon rêve ce flacon de sels
Que seule a respirés la marraine de Dieu   (v. 1-5)

朗読

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フランス的優美さの誕生 16世紀ルネサンスの絵画

フランスでは、16世紀にイタリア・ルネサンスの文化の影響の下でフランス・ルネサンスが花開き、絵画においては初めてフランス的と呼べる美が誕生した。
その美しさを一言で言えば、優雅な美。
それが、後の時代のフランス的な美の原型ともいえる。

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ひとはなぜ戦争をするのか  アインシュタインとフロイトの書簡

第一次世界大戦と第二次世界大戦に挟まれた1932年、国際連盟がアルベルト・アインシュタイン(1879-1955)に、今の文明の中で最も大切だと思われる事柄を取り上げ、一番意見を交わしたい相手と書簡を交換して欲しいと依頼した。

そこでアインシュタインは「人間はなぜ戦争をするのか」という問いを立て、対話の相手にジークムント・フロイト(1856-1939)を選択した。そして、フロイトがアインシュタインの要請に応え、一回限りだが、二人の間で書簡が交換されたのだった。

その日本語訳が、A・アインシュタイン、S・フロイト『ひとはなぜ戦争をするのか』(浅見昇吾訳、講談社学術文庫)として出版されている。

20世紀はアインシュタインの相対性理論とフロイトの深層心理学に基づく精神分析学が大きな影響を持った時代であり、第一次世界大戦を経た時点で、二人の優れた学者が戦争について語り、どのようにしたら人類が戦争をなくしうるかという問いに対する答えを模索する往復書簡は、戦争を止めることのない人間という存在を考える上で大変に興味深い。

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ロンサール ガティーヌの森の樵に反対して Pierre de Ronsard Contre les bûcherons de la forêt de Gastine 3/3

ロンサールは、「さらば(Adieu)」という言葉を3度反復しながら、ガティーヌの森を3つの視点から描き出していく。
最初は、詩人にとっての森。二つ目は、過去の森と現在の森の対比。三つめは、古代ギリシアの神託の地としての森。

そして、こうした側面を浮かび上がらせた後、最後に、一つの哲学が提示される。その哲学の根本は、「素材(la matière)は残り、形(la forme)は失われる」というもの。
アリストテレスにおける質料/形相を思わせるこの最後の詩句には、どのような意図が込められているのだろう?


41-48行で歌われる「詩人にとっての森」に関しては、「最初に(premier)」という言葉が反復され、詩人としての「私」の起源がガティーヌの森にあることが示される。

Adieu, vieille forest, le jouet de Zephyre,
Où premier j’accorday les langues de ma lyre,
Où premier j’entendi les flèches resonner
D’Apollon, qui me vint tout le cœur estonner ;
Où premier admirant la belle Calliope,
Je devins amoureux de sa neuvaine trope,
Quand sa main sur le front cent roses me jetta,
Et de son propre laict Euterpe m’allaita. (v. 41-48)

(朗読は1分21秒から)
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ロンサール ガティーヌの森の樵に反対して Pierre de Ronsard Contre les bûcherons de la forêt de Gastine 2/3

「哀歌(Élégie)」第24番の第19 – 26行の詩句では、樵(bûcheron)に向かい、木を切るのは殺人と同じことだと、激しい言葉を投げかける。

それらの詩句を読むにあたり、16世紀と現代でつづり字が違うことがあるので注意しよう。
es+子音 → é  : escoute – écoute ; arreste – arrête ; escorce – écorce ; destresse – détresse ; meschant – méchant
e → é : degoute – dégoute ; Deesse – Déesse ;
oy → ai : vivoyent – vivaient
d – t : meurdrier – meurtrier

 Escoute, Bucheron, arreste un peu le bras.
Ce ne sont pas des bois que tu jettes à bas,
Ne vois-tu pas le sang lequel degoute à force
Des Nymphes qui vivoyent dessous la dure escorce ?
Sacrilège meurdrier, si on pend un voleur
Pour piller un butin de bien peu de valeur,
Combien de feux, de fers, de morts, et de destresses
Merites-tu, meschant, pour tuer nos Deesses ? (v. 19 – 26)

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ロンサール ガティーヌの森の樵に反対して Pierre de Ronsard Contre les bûcherons de la forêt de Gastine 1/3

ピエール・ド・ロンサール(1524-1585)の「エレジー(Élégie)」第24番は、森で木を切る樵に向かい、木から血が流れているのが見えないのかと詰問し、手を止めるように命じる内容の詩であるために、現在ではエコロジー的な視点から解釈されている。
そのために、しばしば詩の前半部分が省略され、樵に手を止めるようにと命じる詩句から始まり、「ガティーヌの森の樵に反対して」という題名で紹介されることが多い。

しかし、ヨーロッパにおいて、18世紀後半になるまで山や森は人間が征服すべき対象であり、16世紀に自然保護という思想は存在していなかった。
ロンサールも決してエコロジー的な考えに基づいていたわけではなく、アンリ・ド・ナヴァール(後のアンリ4世)が彼らの故郷にあるガティーヌの森を開墾し、売却することに反発するというのが、「エレジー」第24番に込められた意図だった。

ロンサールが悲しむのは、木を切る行為そのものではなく、旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)の対立の時代に翻弄され、1572年のサン・バルテルミの虐殺を逃れたアンリ・ド・ナヴァールが、宮廷で生き延びていくための資金を得るために、ガティーヌの森を伐採することだった。
あるいは、旧教側を信奉するフランス国王の宮廷詩人だったロンサールが、新教側のアンリ・ド・ナヴァールを批難する意図を持って書かれたエレジー(哀歌)だとも考えられる。

そうした歴史を知ると、ロンサールが詩に込めた意味と、後の時代の解釈との間にずれが生じていることが明らかになる。
では、そうしたズレた解釈は、後世の誤りだと考えるべきだろうか?

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ロンサール ベルリの泉に Ronsard À la fontaine Bellerie 故郷の泉への祈祷

フランスでは16世紀半ばまで公用語はラテン語だった。フランス語が公用語になったのは、1539年に国王フランソワ1世がヴィレル=コトレで勅令を発布した時のこと。
それ以降、ピエール・ド・ロンサール(1524-1585)やジョアシャン・デュ・ベレー(1522-1560)たちは、地方語であるフランス語がラテン語に劣る言葉ではないと主張し、フランス語をラテン語に匹敵しうる優れた言語となるように努めた。

ロンサールがとりわけ注力したのは、言葉と音楽の融合だった。人物や事物を褒め称えることを目的としたオード(ode)においても、シャンソン(chanson)においても、リラを伴って歌われることを原則とした。詩句の音節数を一定にすることや、様々な押韻の規則は、現代の言葉で言えば歌詞となるようにするためだった。

『オード集』(1550)に収められた「ベルリの泉に(À la fontaine Bellerie)」では、ローマの詩人ホラティウスの「バンドゥリアの泉」に倣い、故郷にあるベルリの泉への愛と賛美を綴った。

その詩句は、一行が7音節に整えられ、韻はAABCBCB、しかもAとB女性韻でBは男性韻というように女性韻と男性韻が交互に続く。
それ以外にも、詩句のリズムや音色に精巧な仕組みが施され、ホラティウスのラテン語の詩句に劣らないフランス語の詩句が練り上げられている。

ロンサールの時代にはフランス語のつづり字がまだ定まっていなかった。そのために現代フランス語と多少違うところがあるが、ここでは古い時代のつづり字のままで、ロンサールの詩句を読んでいこう。

O Fontaine Bellerie
Belle fontaine cherie
De nos Nymphes, quand ton eau
Les cache au creux de ta source
Fuyantes le Satyreau,
Qui les pourchasse à la course
Jusqu’au bord de ton ruisseau.

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