英語の仮定法をエリック・クラプトンの Tears in Heaven でマスターする

英語の仮定法が日本人にはどうして難しく感じられるのか? 
その理由ははっきりしている。英語と日本語が本質的に違うからだ。しかし、どのように違うのか、あまり意識化できていないように思われる。

日本語では「もし・・・」という場合、その仮定が実現するか実現しないか明確に意識していない。他方、英語ではその区別をはっきりとする。その違いは大きい。

さらに、仮定法はif で先導される条件を示す部分ではなく、その結果を示す部分のこと。しかし、仮定法という用語は、どうしても「もし・・・」という条件を提示する部分を連想させてしまう。そのために、if以下の文がが仮定法だと思う誤解を生んでいる。

ここでは、エリック・クラプトンの« Tears in Heaven »を聞きながら、仮定法をマスターしてしまいたい。

1986年、クラプトンが41歳の時、息子のコナーが生まれたが、それほどいい父親ではなかったらしい。しかし、1991年3月、初めてクラプトン一人でコナーを連れてサーカスを見に行き、その時、子供を持ち、父親になるということはこういうことなんだと気がついたという。
しかし、その翌日、コナーは住んでいた高層マンションから転落し、死んでしまう。
その息子を思って作ったのが、Tears in Heaven。

Tears In Heaven

Would you know my name
If I saw you in Heaven?
Would it be the same
If I saw you in Heaven?
I must be strong
And carry on
‘Cause I know I don’t belong
Here in Heaven

最初のフレーズ« Would you know my name, if I saw you in Heaven ?  »で、youと話しかける相手は、息子のコナー。彼はもう死んでいるだから、決して現実に会うことはできない。
だから、「もし会えたとしたら」という仮定は、if I saw。動詞は過去形で活用し、現実には会えないことを示す。
もし現実に会えると思っていれば、if I seeと現在形で活用するはず。

ここが、日本語の「もし」とは違うところ。日本語で「もし会えたら」と言う場合、会えると思っているのかどうかはわからない。

そして注意しないといけないことは、この条件を提示する部分は条件法ではないこと。条件法はその結果を示す部分
天国で会えたら、父親であるぼくの名前を覚えているだろうか。
Would you know my name ?

今のこと、あるいは未来のことでありながら、それが現実でないことを示すために、wouldと過去形で活用される。そして、それが仮定法と呼ばれる。

繰り返すことになるが、もし息子が名前を覚えていると思うのであれば、willと未来形を示す助動詞が現在形で活用される。

そのことがわかると、« if I saw you »がなくても、« Would it be the same »だけで、仮定法の文であることがわかる。it = my nameは、コナーにはとって、同じまま(the same)でいるのだろうか?
その問いかけは、would you know my name ?と同じことだ。

その後に続く、自分は強くなければいけない(I must be strong)、今のまま生き続けなければいけない(carry on)、自分が天国にいるのでないことはわかっている( I know I don’t belong here in Heaven)という言葉は、現実のことを言っているので、動詞は現在形で活用されている。

その違いが、一方は条件法のwould you know、would it be、他方は、I must be, carry on, I know, I don’t belongと現在形というように、動詞の活用によってはっきりと示されている。


Would you hold my hand
If I saw you in Heaven?
Would you help me stand
If I saw you in Heaven?
I’ll find my way
Through night and day
‘Cause I know I just can’t stay
Here in Heaven

Time can bring you down
Time can bend your knees
Time can break your heart
Have you begging please
Begging please

最後の« Have you begging please »は少し説明が必要かもしれない。
have + O + 現在分詞は俗語的な表現で、「Oを・・・させておく」といった意味。
従って、(Time can ) have you beggingは、(時間が)youを祈るままにさせておく、つまり、「いつまでも祈らせてくれる」くらいの意味になる。


Beyond the door
There’s peace, I’m sure
And I know there’ll be no more
Tears in Heaven

Would you know my name
If I saw you in Heaven?
Would it be the same
If I saw you in Heaven?
I must be strong
And carry on
‘Cause I know I don’t belong
Here in Heaven

クラプトンは、天国にいけるわけでもないし、息子のコナーにもう1度会えるわけでもない。そうした中で、would you know my name, would it be the same, Would you hold my hand, Would you help me stand と様々な願いを繰り返す。
このwould youが仮定法だとわかると、英語の仮定法の最も基本的な感覚を身に付けたことになる。


日本人にとって英語の文法がなかなか理解できない最大の理由は、英語と日本語の考え方が決定的に違うことだが、文法教育にも問題がある。

英語圏の考え方と日本における英文法の考え方が異なる。その違いがこんな風に説明されることがある。

(1)If we play tennis,  I will win.
英語圏の英文法の用語: first conditional (第1条件文)
日本における英文法 : indicative mood (直説法)

(2) If we played tennis,  I would win.
英語圏の英文法の用語: second conditional (第2条件文)
日本における英文法 : subjunctive mood (仮定法過去 )

(3) If we had played tennis,  I would have won.
英語圏の英文法の用語: third conditional (第3条件文)
日本における英文法 : subjunctive mood (仮定法過去完了)

英語母語話者に尋ねてみると、条件節の形態上の違いで文の発話内容に対する心的態度を表現しているだけであって、仮定法の存在がそれほどはっきり意識していないと言うことがある。そのために、日本の英語教育においても、仮定法と直説法の区別は不要といった考察さえなされたりする。

また、英米式文法では、If I was…は第1条件文の過去形であるのに対して、If I were…は第2条件文だが、日本における英文法では前者が直説法、後者が仮定法と呼ばれる。その結果、conditionalとsubjunctive moodという用語の混乱も起こる。

こうした議論の根本にあるのは、日本人が英語を学ぶ際にどこがポイントかが明確でないことにある。
その結果、例えば、仮定法は難しいので、公立高校の入試問題において、« If I were you, I would go.»(私だったら行くけど)といった、ネイティブの話者にとってはナチュラルな文を出題してはいけないといった事態まで起こっているらしい。

そうした状況を変えるためには、文法を難しく考えるのではなく、仮定法であれば、クラプトンのTears in Heavenを聞きながら感覚的に身に付けることが効果的なことは間違いない。
死んでしまった息子にもう会うことはできない。でも、会えたらあれもしたい、こうあって欲しいと思うのは、父親として当たり前のこと。その思いがwouldに込められている。
その感覚が分かれば、仮定法の感覚が感じられる。それだけのことだ。

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