マラルメ 「墓」 (ポール・ヴェルレーヌの) Stéphane Mallarmé « Tombeau » (de Paul Verlaine) 2/3

「墓」の第2四行詩では、前半で、ヴェルレーヌの詩想が、小枝に止まる鳩(le ramier)の鳴き声と非物質的な喪(cet immatériel deuil)という表現によって暗示される。
後半では、ヴェルレーヌの死後、それらの詩句が、生前は彼の詩も彼の人間性も理解しなかった一般の人々を照らすという予想、あるいは希望が続く。
死は未来の栄光への転回点なのだ。

Ici presque toujours si le ramier roucoule
Cet immatériel deuil opprime de maints
Nubiles plis l’astre mûri des lendemains
Dont un scintillement argentera la foule.

(朗読は23秒から)

もし枝に止まる鳩がさえずるとしても ここでは ほとんどいつも 
その非物質的な喪が 出現を妨げる 数多くの
結婚適齢期の襞によって 近いうちに熟する星を
その星の輝きは 銀色に染めるだろう 群衆を。

(1)構文と動詞の時制

4行の詩句の中心を成すのは、« Cet immatériel deuil opprime l’astre. »という主語・動詞・直接目的語からなる構文。
opprimerは、ここでは、「抑圧する」ではなく、「あるものが出現するのを妨げる」(Empêcher quelque chose de se manifester )という意味だと考えられる。
従って、主文は、「非物質的な喪が星の出現を妨げる」という意味になる。

その状態は、opprimeは直説法現在形の活用であることから、現在であることがわかる。
他方、« un scintillement argentera la foule »の動詞は単純未来形。「星のきらめきが群衆を銀色に染める」のは現在ではなく、未来の想定である。

(2)le ramier 鳩のさえずり

ramierはモリバトと日本語では呼ばれる種類の鳩だが、森よりも、むしろ街中の公園で普通に見られる鳩。
パリ市内にあるヴェルレーヌの墓を歌う詩であれば、ramierがクークー鳴く(roucoule)のは自然なことかもしれない。

しかし、このramierには、ある秘められた意味が込められているとも考えられる。

ヴェルレーヌが『呪われた詩人たち』の中でマラルメを紹介した際、全部で7編の詩を引用した。それらの詩を選んだのは、ヴェルレーヌではなく、未発表の詩を送るように依頼されたマラルメ自身だと考えられている。

そして、それらすべてに共通するテーマが確認される。それは、詩作について自問自答する詩であること。泉に映った自分の姿を見つめるナルシスのように、マラルメは「理想」を探究し不毛な夜を過ごす詩人の苦闘を描いた。

その姿は、マラルメの代表作とされる「エロディアード」でも、エロディアードが「おお鏡よ!(O miroir !)」と叫んだ後、鏡の中の自分に向かい独白を続ける場面とも対応する。

その鏡像のテーマが、ヴェルレーヌの「忘れられたアリエッタ その9」で取り上げられている。そこでのヴェルレーヌは、現実にある木々を歌うのではなく、小川の中に映った木々に注目する。

L’ombre des arbres dans la rivière embrumée
Meurt comme de la fumée
Tandis qu’en l’air, parmi les ramures réelles,
Se plaignent les tourterelles.

Combien, ô voyageur, ce paysage blême
Te mira blême toi-même,
Et que tristes pleuraient dans les hautes feuillées
Tes espérances noyées !

木々の影が、霧に霞む小川の中で、
儚く消える、煙のように。
空に浮かぶ、現実の枝の間で、
嘆いているのは、山鳩たち。

どれほど、旅人よ、この色あせた風景が
お前自身を色あせて映し出したことか、
この高い木立の中で、悲しく涙したことか、
溺れてしまったお前の希望が!

(参照:ヴェルレーヌ 忘れられたアリエッタ その9 Verlaine « Ariettes oubliées IX » 風景と人の心

ここで姿を現す鳥は山鳩(tourterelle)で、鳥たちは現実の枝(les ramures)にとまっている。
あくまでも推測だが、そのramureという言葉から、マラルメはramierを導き出してきたのではないだろうか。
そのことにより、マラルメにとって中心的な主題である詩人の鏡像が、ヴェルレーヌの主題でもあることが暗示される。

ただし、マラルメであれば詩人の不毛な夜の苦闘として表現されることが、ヴェルレーヌでは死とか悲しみの涙という形で表現される。
小川に映る木々の影は煙のように「死に(meure)」、色あせた風景に自らを投影する旅人=詩人の希望は悲し涙を流す(pleuraient)。

「墓」のramierのさえずりがヴェルレーヌのアリエッタだと考えると、そこから聞こえてくるのは死や涙。「非物質的な喪(immatériel deuil)」という表現は、そうしたヴェルレーヌ的な感情を、マラルメ的に表したものだといえる。

(3)近いうちに熟する星( l’astre mûri des lendemains)

ヴェルレーヌが死んだ時点で、評価が十分になされているとはいえず、若い詩人たちにとってはリーダー的な存在と見なされていたとしても、一般の人々からの認知度は低かった。ヴェルレーヌの栄光はこれから訪れるはずだし、そうならなければならない。それがマラルメの認識だった。

ヴェルレーヌの死から1年後、詩人を記念する像をリュクサンブール公園に建立する計画が持ち上がり、マラルメは募金を呼びかける一文を雑誌に寄稿した。

Ici la gloire était mûre, dès la mort ; et, tout de suite, cette radieuse figure peut renaître, par le marbre, dans le Jardin du Luxembourg – cimetière, sans dépouille et léger, des Poëtes.

死の直後から、栄光が熟してきました。その光輝く姿が、間もなく、大理石によって、リュクサンブール公園の中に甦ることができるのです。—「詩人たち」の、遺体がなく軽快な、墓地です。

栄光がmûre(熟した)という表現は、「墓」では、星と関係するmûriと対応する。
「死の直後から(dès la mort)」という時間の指摘は、今後近いうち(les lendemaints)と同様、ヴェルレーヌの死後に起こることを指す。
その二つの対応から、近いうちに熟する星(l’astre)が栄光(la gloire)と並行関係にあることが理解できる。

その栄光の輝きが、いつか一般の群衆(la foule)を銀色に染める(agrentera)だろうと、「墓」の中では予想される。

理想を追求して苦悩する詩人と、詩人に対して常に無理解な世俗的な群衆。その対比はボードレール以来の詩人たちの一般大衆に対する姿勢であり、「呪われた詩人」は選ばれた存在として大衆を見下ろす存在でもあった。

その断絶を常に意識していたマラルメが、「墓」において、ヴェルレーヌの栄光が群衆を照らす可能性に言及することは、ヴェルレーヌの詩であれば一般の人々にも理解されることが来る可能性を考えていたのかもしれない。
あるいは、リュクサンブール公園に立てられるはずのヴェルレーヌの彫像が、そうした役割を果たして欲しいという秘められた望みが、「群衆を銀色に染めるだろう」という詩句をマラルメに書かせたのだろうか。

(4)結婚適齢期の襞(Nubiles plis)

ヴェルレーヌの葬儀の際、ミサが行われたカルチエ・ラタン地区の教会からパリ北西部にあるバティニョル墓地まで、数多くの詩人や学生たちが列をなして歩き、口々にヴェルレーヌの詩を朗唱したという。

しかし、一般の人々の間での認知度は低く、ヴェルレーヌの生活は常に困窮を極め、慈善病院を転々とするような日々を送り、最期はホテルの一室で病死するほどだった。
星が姿を現すのを妨げられているという「墓」の詩句は、栄光がまだ訪れていない状況を反映していると考えられる。

Cet immatériel deuil opprime de maints
Nubiles plis l’astre mûri des lendemains

その非物質的な喪が 出現を妨げる 数多くの
結婚適齢期の襞によって 近いうちに熟する星を

では、星の出現を妨げる襞(plis)とは何だろう? その襞には、結婚適齢期の(nubiles)という形容詞が付けられている。

A. 襞(plis)

その答えのヒントを、『叡智』に収められた「この優しい歌を聴いて(Écoutez la chanson bien douce)」で始まる詩の中に探してみたい。

Écoutez la chanson bien douce
Qui ne pleure que pour vous plaire,
Elle est discrète, elle est légère :
Un frisson d’eau sur de la mousse !

La voix vous fut connue ( et chère ?)
Mais à présent elle est voilée
Comme une veuve désolée,
Pourtant comme elle est encore fière,

Et dans les longs plis de son voile
Qui palpite aux brises d’automne,
Cache et montre au cœur qui s’étonne
La vérité comme une étoile.

この優しい歌を聞いて
この歌が涙を流しているのは あなたに好きになってほしいから。
それは、密やかで、軽やか。
苔の上に滴る水の震え!

その声をあなたは知っていた(そして、愛しいものだった?)
でも、今、声はヴェールに包まれている
悲しむ寡婦ように、
でも、誇りを今も保っている寡婦のように、

そして、ヴェールの長いの中
秋の微風の中でひらめくヴェールの襞の中、
(声は)隠したり、見せたりする、驚いている心に向かい、
真実を、一つの星のように。
              (ポール・ヴェルレーヌ『叡智』 I, xvi)

愛する女性によく知られ、そして愛されていた歌。その繊細さは、苔の上に落ちかかる水の震えのようだった。
その歌を歌う声が、今は、以前のようにはっきりとは聞こえない。寡婦(une veuve)が被るヴェールのようなヴェールがかかっている。

しかし、その声は、秋のそよ風に揺れるヴェールの長い襞(plis)の中に真実(la vérité)を秘め、それを隠したり見せたりする(Cache et montre)。ちょうど星(une étoile)が雲に隠れたり、そこから出て姿を現すように。

この詩句に出てくる寡婦の存在は、マラルメの詩句の喪(deuil)を連想させる。
もしその喪の襞が星の出現を妨げるとしたら、ヴェルレーヌの襞が真実を隠したり見せたりするように、時には星を見せることがあるかもしれない。

実際、ヴェルレーヌの詩は大衆に受け入れられてこなかったかもしれないが、若い詩人たちにとってはすでに指針となっていた。としたら、星を見ることができない人々だけではなく、星を目に入れ、星に向かって進む人々もいたことになる。
そうしたニュアンスが襞に秘められていると考えることができる。

B. 結婚適齢期の(nubiles)

では、その襞に付けられた結婚適齢期の(nubiles)という形容詞は何を暗示するのだろう?

nubileという単語が、ラテン語のnubes(雲)やフランス語のnue, nuée(雲)を連想させるとして、nubiles plisを「雲の襞」と見なすことがある。
しかし、その意味であれば、nuageuxという形容詞があり、nubilesと同じ3音節なので、nuageux plisとしても問題ない。
従って、無理に語源でない言葉と関連付け、解釈を強いることは避けたい。

ここでは、「この優しい歌を聴いて」に戻り、第5詩節を参照したい。その歌声は、栄光や幸福、そして結婚について語る。

Elle (la voix) parle aussi de la gloire
D’être simple sans plus attendre
Et de noces d’or et du tendre
Bonheur d’une paix sans victoire

その声は 栄光を語る、
もうこれ以上待つことなく 素直であることの栄光を、
黄金の婚礼を、そして 優しく
勝ち誇ることのない平和の幸福を。             
                  (ポール・ヴェルレーヌ『叡智』 I, xvi)

ここで言う栄光(la gloire)とは、ためらったりじらしたりすることなく、素直な気持ちで(simple)愛し、愛を受け入れること。
勝ち誇ることのない平和な幸福(le bonheur d’une paix sans victoire)とは、二人のうちのどちらかが勝ち、もう一方が負けるといったことがなく、戦いのない静かな時を過ごすことが幸福であることを意味する。
その栄光と幸福の間に、婚礼(noces)が置かれる。しかもその婚礼は黄金(d’or)だとされる。

この声が聞こえてくるのは、前の詩節と同様に、ヴェールの長い襞の中( dans les longs plis de son voile)から。
その襞と婚礼のつながりから、マラルメが結婚適齢期の襞( Nubiles plis)という表現を導き出した可能性がある。もしそうだとすれば、襞から聞こえてくるのは栄光や幸福のはず。言い換えれば、現在でもすでに、星が喪の襞の間から時に姿を見せる可能性がある。


以上のように読み説いてくると、「墓」の第2詩節は、ヴェルレーヌの評価に対する現状と、将来の期待が伝えられていることが分かってくる。

今はまだ詩人の栄光ははっきりと形になっていないが、その兆しがないわけでもない。
しかし、近い将来になれば、機が熟し、無理解だった大衆でさえも彼の詩句の輝きによって照らされ、ヴェルレーヌの真価を理解できるようになるだろう。
そうしたマラルメの思いがそこには込められている。

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