ヴェルレーヌ 忘れられたアリエッタ その9 Verlaine « Ariettes oubliées IX » 風景と人の心

19世紀の後半、フランスでは浮世絵が大流行し、日本趣味(ジャポニスム)が広がった。ヴェルレーヌがそうした流行とどのようにかかわり、日本の精神から何かを学んだのかどうかはわからない。
しかし、ヴェルレーヌの詩は、日本語を母語とし、日本的感性を持っている人間であれば、すぐに理解できる側面を持っている。逆に言うと、フランス的な感性を持った人間には、理屈で説明しないといけないのかもしれない。

巷に雨の降るごとく わが心にも涙降る
Il pleure dans mon cœur / Comme il pleut sur la ville
(「忘れられたアリエッタ その3」)
https://bohemegalante.com/2019/07/26/verlaine-ariettes-oubliees-iii/

この詩句は、和歌に親しんでいる私たちには、そのまま心に入ってくる。

奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき
                          (詠人知らず)

この句を読むと、私たちは、紅葉や鹿が秋をつげ、どこかもの悲しい感じ、つまり、もののあわれを自然に感じる。

擬人法などではなく、自然は人間の心の表現、あるいは心の別の姿と感じられる。
はっきりと意識しているわけではないが、心の中と外の世界はつながっている。さらに言えば、外と内はもともと一つで、外界が意識化される時、それを感じる人間(=「私」)の存在も意識される。

ヴェルレーヌはこうした感性を、フランス語を母語としながら、生まれながらに備えていたのではないか?

『言葉なき恋愛』に収められた「忘れられたアリエッタ その9(Ariettes oubliées, IX)」は、そんな思いを抱かせてくれる詩。
自然と人間の感情的なつながりが、人間の心を映し出す水=鏡のイメージに託して歌われている。

「鏡の中の自己を見る」テーマは、19世紀の後半から20世紀にかけて、自己意識の探求の一つの形式で、詩においてもナルシスの神話が取り上げられたりした。
ヴェルレーヌはその流行を追いかけているようにも見えるのだが、彼の詩には哲学的であったり、深層心理を探るような思索の跡はない。
彼の感じた自然の印象と心の中の感情は一つであり、それをそのまま詩に綴っている。
その彼の詩句は非常に音楽的で、美しい響き奏でている。

「忘れられたアリエッタ その9(Ariettes oubliées, IX)」の最初には、17世紀の作家シラノ・ド・ベルジュラックから取られたエピグラフが置かれている。

Le rossignol qui du haut d’une
branche se regarde dedans, croit être
tombé dans la rivière. Il est au sommet
d’un chêne et toutefois il a peur de se noyer.
               (Cyrano de Bergerac)

鶯は、高い枝の上から
自分の内面を見つめ
小川の中に落ちたと思い込む。その鶯は
樫の木の上にいるのに、溺れるのを怖がっている。
         (シラノ・ド・ベルジュラック)

シラノ・ド・ベルジュラックは、17世紀の作家、哲学者、科学者であり、『月世界旅行』『物理学概論』などの著作がある。
上の引用は、内面を見つめすぎると偽りの自己像を持つ危険があることを警告する、17世紀フランスのモラリスト的箴言だろう。

ヴェルレーヌはこの詩句から、鳥、枝、小川、溺れるといった要素を借用する。
しかし、彼の詩句に教訓的な要素はない。自然は、和歌の世界のように、人間の心模様を映し出す。

L’ombre des arbres dans la rivière embrumée
Meurt comme de la fumée
Tandis qu’en l’air, parmi les ramures réelles,
Se plaignent les tourterelles.

Combien, ô voyageur, ce paysage blême
Te mira blême toi-même,
Et que tristes pleuraient dans les hautes feuillées
Tes espérances noyées !

木々の影が、霧に霞む小川の中で、
儚く消える、煙のように。
空に浮かぶ、現実の枝の間で、
嘆いているのは、山鳩たち。

どれほど、旅人よ、この色あせた風景が
お前自身を色あせて映し出したことか、
この高い木立の中で、悲しく涙したことか、
溺れてしまったお前の希望が!

第2詩節の最初に出てくる「この色あせた風景(ce paysage blême)」という言葉が、第1詩節で描かれる情景。

森の中、高い梢(hautes feuillées)の上では山鳩(tourterelles)が鳴いている。
その下では、木々が靄のかかった小川(rivière embrumée)の水面に映し出され、煙(de la fumée)のように、儚く消えそうに(mourir)なっている。

和歌であれば、この情景を描くだけで、すでに一つの作品として成り立っている。言われなくても、それが歌う人の心の内の情景だとわかる。

ヴェルレーヌもそのように感じているに違いない。しかし、彼はフランス語の詩人。もう一歩説明しないと、読者の納得は得られない。

そこで、鏡のテーマを用い、外の景色を人間の心持ちの映像として示す。
その道具として、mirerという動詞を用いる。
mirerは本来、注意深く見るとか、ある目的を持って観察するという意味だが、鏡に映すという意味も持ち、そこからmiroir(鏡)という単語が派生した。

ヴェルレーヌは、そうしたニュアンスを最大限に活用し、お前と呼びかけられる旅人(voyageur)を、風景が映し出した(ce paysage te mira)とする。
その上で、悲しい(triste)、泣く(pleurer)、溺れた希望(espérances noyées)という言葉を付け加え、その光景が伝える情感を説明していく。
この部分は、日本的な感性であれば、そこまで言わなくてもわかる、と言いたくなるところだろう。

しかし、ヴェルレーヌの詩の特色は、そうした説明的な部分ではなく、詩句そのものの言葉遣いにある。さらに言えば、詩句の音楽性。音を巧みに使い、見事な音色とリズム感が産み出される。

映す(mirer)を含む詩句を例に取れば、言葉が鏡に映しだされるように配置されている。

[…] ô voyageur, ce paysage blême
Te mira blême toi-même,

東山魁夷 緑響く

miraを挟み、風景のblèmeがお前のblèmeとして映しだされる。

もう一つの仕掛けは、旅人に呼びかける際の ô。その音は、水(eau)を連想させる。風景(paysage)が水(eau – ô)に映り、それが旅人(voyageur – toi)の心情を映し出す。

miraの [ m ]の音は、blêMe が反復されることで2度響き合い、さらにMêMeと音の波紋を広げる。
しかも、blêmeとmêmeは、[ e ]の音も共有する。

そうした共鳴に耳を澄ましてみると、いつしか旅人(voyageur)と外界の世界の風景(paysage)の中でも[ y ]や[ag]が共鳴し、人間と自然の融合が音として感じられるようになってくる。

詩句全体のリズムは、12音節と7音節の詩句の組み合わせを特色としている。
12音節は安定し、7音節はフランス語では不安定な音節とされる。
ヴェルレーヌは、「詩法(Art Poétique)」の中で、詩句を音楽的にするために、不安定な奇数の音節の詩句を推奨した。
「何よりも先に、音楽を。/そのために、奇数を好むこと。/おぼろげで、大気に溶け込みやすく、/奇数の中には、重さも、固定した感じもない。」
https://bohemegalante.com/2019/06/16/verlaine-art-poetique/

「忘れられたアリエッタ その9」では、12音節の詩句の後ろに7音節の詩句が続き、不安定なリズムを産み出す。
その不安定さが、霞の煙る(embrumée)、煙(de la fumée)色あせた(blême)、溺れた(noyées)という言葉で意味される儚さ、悲しみを表現する。
この情景が不安定で、このまま消え去ってしまうように、人の心も儚く、悲しい。

この詩に曲を付けたクロード・ドビュシーは、楽譜の最初に、「ゆっくり、悲しげに(Lent et triste)」と記していた。(5分46秒から)


ヴェルレーヌの詩句は、ボードレールやマラルメのように、知的に構築されたものではないだろう。
彼は、感じるままを詩句にした。するとそのまま音楽になった、という印象を受ける。
鏡や水に映る像のテーマを使ったとしても、哲学的にも、神秘的にも、理屈っぽくもならず、風景がそのまま人の心の様を映し出すというにすぎない。
しかし、詩句はこの上もなく音楽的で、心地いい。
その意味では和歌に近いと感じられ、私たちをほっとさせてくれる。

ヴェルレーヌの詩をフランス語で読めることは、なんと幸せなことだろう!



別の作曲家たちも、「忘れられたアリエッタ その9」に曲を付けている。
ドビュシーも含め、自分の好きな演奏を探すのも楽しい。

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