「疑う」ことの難しさ

昭和15(1940)年8月、小林秀雄は、日本が日支事変、つまり日中戦争に突入していく中で、「事変の新しさ」という記事を書き、次のように記している。

前に、事変の本当の新しさを知るのは難しいと申しました。何か在り合わせ、持ち合わせの理論なり方法なりえ、易しく事変はこういうものと解釈して安心したい、そういう心理傾向から逃れることは容易ではないと申しました。つまり疑うという事は、本当に考えてみますと、非常に難しい仕事なのであります。
      (小林秀雄「事変の新しさ」『小林秀雄全集 13』新潮社、p. 117.)

実際、自分がごく当たり前だと思うことを一端カッコに入れ、疑ってみることは、思っている以上に難しい作業だといえる。
その理由は、視野がある一点に向かうと、それだけを見て納得してしまうということがしばしばあるからだと思われる。

その例として、最近の国際情勢を見ていきたい。

アメリカがウクライナに対する軍事支援を中止する動きがトランプ大統領によって示されて以来、少なくともヨーロッパ・アメリカを中心とする世界において、平和に関する議論が変化しつつある。
そうした中で、核兵器に関する話題も取り上げられているのだが、日本とフランスで全く違った議論がなされている。


日本では、2025年3月3日から、核兵器禁止条約の3回目の締約国会議が国連で始まったというニュースが流れている。

核兵器禁止条約 締約国会議始まる 日本被団協も訴え

核兵器の開発や保有、使用などを禁止した、核兵器禁止条約の3回目の締約国会議が、国連本部で始まりました。初日の会合では、去年ノーベル平和賞を受賞した日本被団協の代表が「原爆は悪魔の兵器だ」と核兵器の廃絶を訴えました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250304/k10014738781000.html

この運動に対して、本当に核兵器が禁止できるのかという「疑い」を持つことはあるだろう。現在の世界の情勢の中で、核抑止力を無視することはできないからだ。

だが、フランスではリアルに戦争について語り、核兵器の使用に言及する議論まで行われていることなど想像もできないにちがいない。そんな議論があると「疑う」ことはないだろう。

フランスでは、核兵器についての議論が真剣になされるようになっている。
例えば、La dissuasion nucléaire française peut-elle s’étendre à l’Europe ?

この議論に参加している一人は、フランスの核兵器でロシアを攻撃し、それに対してロシアがパリに核兵器を打ち返すといった架空の状況にまで言及する。
そうした言葉はあくまでも仮定的なものだが、それが現実を準備する可能性を発言者が「疑う」様子はない。

3年前にウクライナでの戦争が始まった時、誰がここまで戦争に対する意識がエスカレートすることを予測しただろうか? 誰もこんなところまで来ると「疑う」ことはなかった。


小林秀雄の「事変の新しさ」が『文學界』に掲載された昭和15(1940)年8月の翌月、日本はヒットラーのナチス・ドイツ、ムソリーニのイタリアと日独伊三国同盟に調印する。その目的は、第二次世界大戦におけるアメリカの参戦を防ぐためだった。

しかし、日本はアメリカと戦うことになり、昭和20(1945)年、広島、長崎への原爆投下という結果を招くことになった。

こうした結果を、戦争が激化する以前に誰が予想しただろうか?

小林は次のようにも書いていた。

現代に生きて現代を知るという事は難しい。平穏な時代にあっても難しい。まして歴史の流れが、急湍(きゅうたん=流れの速い浅瀬)にさしかかり、非常な速度で方向を変えようとしている時、流れる者流れを知らぬ。
(小林秀雄「事変の新しさ」『小林秀雄全集 13』新潮社、p. 111.)

自分の置かれた状況を知らないとしたら、それは「疑う」がないからだ。

現代私たちが置かれている状況で言えば、一方では国連で核軍縮のための会議が行われ、他方では核を使用する議論がリアルな切迫性を持って語られている。そのどちらか一つの流れだけを知っているという状況では、その流れが当たり前であるために、世界の現実を知ることはできない。
その流れを疑ってみることで、別の流れがあり、二つの流れがズレていることを知る。そして、その差への眼差しが、現実を垣間見ることを可能にする。

残念ながら、疑い、知ることで、現実の問題を解決できるわけではない。しかし、少なくとも、国連における核軍縮の会議とフランスにおける核兵器使用の議論、その両者を知ることで、核のない世界の実現の困難さをより強く意識するとともに、安易に第三次世界大戦などと口にする人々に対する抑止力になることを期待したい。

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