
小泉八雲(Lafcadio Hearn)の一生を知るには、八雲自身が記した履歴書を参照するのが最も確実だろう。
それは、1903(明治36)年に東京帝国大学の講師を退職させられた翌年、早稲田大学に提出したものである。
なお、東京帝国大学を退職することになったのは、後任として夏目漱石が採用されることが決まっていたためだが、学生たちは八雲の授業を好み、留任を求める運動が起きたことも知られている。
小泉八雲(ラフカディオ・ヘルン)英国臣民。一八五〇年、イオニア列島リュカディア(サンタ・マウラ)に生る。アイルランド、英国、ウェールズ、(及び一時は仏国)にて成人す。一八六九年、アメリカに渡り、印刷人及び新聞記者となり、遂にニューオーリンズ新聞の文学部主筆となる。ニューオーリンズにて当時ニューオーリンズ博覧会の事務官、後兵庫県知事なる服部一三(はっとり いちぞう)氏にあう。一八八七年より一八八九年まで仏領西印度のマルティニークに滞在。一八九〇年、ハーパー兄弟書肆(しょし)より日本に派遣される。当時の文部次官(注:実際には普通学務局長)服部氏の好意により、出雲松江の尋常中学校に於て英語教師の地位を得。一八九一年の秋、熊本に赴き、第五高等中学校に教えて一八九四年に到る。一八九四年、神戸に赴き、暫時(ざんじ)『神戸クロニクル」の記者となる。一八九五年、日本臣民となる。一八九六年、東京帝国大学に招かれて講師となり、一九〇三年まで英文学の講座を担任す。— その間六年七ヶ月。日本に関する著書十一部あり。
(田部隆二『小泉八雲 ラフカディオ・ヘルン』より)
この履歴書に従い、ラフカディオ・ハーンの生涯は大きく三つの時期に分けることができる。
- 1850年の誕生から1869年まで
ギリシアで生まれ、アイルランドやイギリスで成長した。ある時期にはフランスに滞在したとされる。
(フランスでの滞在については不明な点が多く、彼が通学したとされるカトリックの学校や、当時の住民表などにも痕跡は残されていない。) - 1869年から1890年まで
アメリカで新聞記者として活動したほか、西インド諸島のマルティニーク島に滞在した。 - 1890年から1903年まで
日本に滞在。松江や熊本では英語教師、神戸では新聞記者として活動した。1895年に日本国籍を取得し、1896年から1903年まで東京帝国大学で英文学講師を務めた。
その後、1904(明治37)年3月から早稲田大学文学部で講師として教壇に立ったが、同年9月26日、狭心症のため54歳で亡くなった。
日本国籍を取得した際に小泉八雲と改名したラフカディオ・ハーンは、「耳なし芳一」「雪女」「むじな」などの怪談を通して、現代の日本でも広く知られている。
他方、欧米では、19世紀後半に明治時代の日本文化を紹介した最も影響力のある作家の一人であり、怪談にとどまらず、『知られぬ日本の面影 (Glimpses of Unfamiliar Japan)』などの著作を通して日本の風俗を紹介し、西洋の読者に日本の神秘的で異国的なイメージを伝え、ジャポニズムブームにも貢献したとされる。
その神秘的で異国的な日本のイメージとは、一体どのようなものなのか。
怪談を読めばある程度は想像することはできる。しかし、その根底に流れる思想を明確に把握することは、それほど容易ではない。
ここではまず、哲学者の西田幾多郎が小泉八雲について論じた短い解説を紹介し、次に八雲自身の「偶像崇拝」という思い出の記をたどることで、欧米人にとってのUnfamiliar(身近ではない)日本が、どのような思想に基づいて描かれているのかを探っていくことにする。
西田幾多郎の解説文は、田部隆二『小泉八雲 ラフカディオ・ヘルン』の「序」として付されたもので、大正3年(1914年)3月の日付が記されている。
ヘルン氏は万象の背後に心霊の活動を見るといふ様な一種深い神秘思想を抱いた文学者であった。かれは我々の単純なる感覚や感情の奥に過去幾千年来の生の脈を感じたのみならず、肉体的表情の一々の上にも祖先以来幾世の霊の活動を見た。氏に従へば、我々の人格は我々の一代のものではなく、祖先以来幾代かの人格の複合体である、我々の肉の底には祖先以来の生命の流が波立って居る、我々の肉体は無限の過去から現世に連るはてしなき心霊の柱のこなたの一端に過ぎない、この肉体は無限なる心霊の群衆の物質的標徴である。
小泉八雲の神秘思想では、あらゆる物質に生命が宿るだけでなく、その生命には「祖先以来幾世の霊の活動」があると考えられる。
人間についても同様で、私たち一人一人の命は先祖から連綿と受け継がれる生命の一部である。
こうした考え方は、仏教の輪廻思想に由来していると考えていいだろう。
その思想の中で、西田はさらに霊的側面を強調する。
氏の眼には、この世界は固定せる物体の世界ではない、過去の過去から未来の未来に亙(わた)る霊的進化の世界である、不変なる物と物との間に於ける所謂(いはゆる)自然科学的法則といふ如きものは物の表面的関係に過ぎないので、その裏面には永遠の過去より永遠の未来に互る霊的進化の力が働いて居るのである。斯(か)くして氏にはこの平凡なる世界も濃い深い神秘の色を以て彩どられた。所謂詩人の空想なるものも氏には実在其物であった。
自然科学的な世界観は、物質の表面しか視野に入れていないにすぎず、その裏面では霊が働いている。そのため、詩人の空想といった、一般には実在しないと考えられるものも、霊の働きによって生み出され、実在するものとして認められる。
八雲の語る怪談には実在感があり、だからこそ現代においても人々を恐れさせる。そして心に深い印象を与えるのは、読者にお化けが現実に存在する感覚を抱かせるからである。その理由は、八雲の描く世界では、物には霊が宿り、空想が実在するからなのだ。
ここでいう「霊的進化」とは、霊の働きが過去から現在を通して未来へと進むものであるという八雲の思想を示している。小泉八雲は、この「進化」の概念をイギリスの学者ハーバート・スペンサーの著作から学んだ。スペンサーは、ダーウィンの『種の起源』を読み、「自然選択説」を「適者生存」に置き換え、その考えを生物の進化にとどまらず、社会学や倫理学にも適用したことで知られている。
西田は、八雲にとっての「進化」とは、スペンサーの物質的な「進化」に留まるのではなく、そこに霊の活動を見出すものであり、だからこそ「霊的進化」と呼ぶ。
続く一節では、スペンサーとの関係を明らかにしながら、小泉八雲の思想と文学的特色について言及される。
ヘルン氏の考は哲学で云へば所謂物活論に近い考とも云へるであらうが、所謂普通の物活論と同一視することはできない、氏が万象の奥底に見た精神の働きは一々人格的歴史を有った心霊の活動である。氏は此考をスペンサーから得たと言って居るが、スペンサーの進化といふのは単に物質力の進化をいふので、有機体の諸能力が一様より多様に進み不統一から統一に進むといふ類に過ぎない。文学的気分に富める氏は之を霊的進化の意義に変じ仏教の輪廻説と結合することによって、その考が著しく詩的色彩の宗教の香味とを帯ぶるに至った。生物進化の論を精神的意義に解して、浪漫的色彩を帯びたものは前にニーチェがあったが、ベルグソンも此種の人と見ることができるであらう。ヘルン氏の考は後者に似た所もあるが単に感傷的で空想的なることはいふまでもない。
「物活論(hylozoism)」とは、すべての物質が本質的に生命を宿していると考える思想を指す。
生物・無生物を問わず、岩や川、木、動物など、特定の個々の存在に魂や霊が宿ると考える「アニミズム」と類似するが、物活論では、すべての存在が同じ生命力でつながっていると考える点で異なる。
小泉八雲は、全ての物質に心霊が宿ると考える点で物活論的であり、その霊には過去から未来までの連続性があると見る点でスペンサー的な「進化」に基づいている。しかし西田は、それだけに留まらないと指摘する。
その意味では、こうした点において八雲は、ドイツの哲学者ニーチェやフランスの哲学者ベルグソンと比較することも可能である。しかし八雲はそこに仏教的な輪廻思想を加え、詩的かつ宗教的な味わいをもった思想を抱くに至ったと西田は言う。
「感傷的で空想的」という表現は、小泉八雲の描く世界が抒情性に富み、読者の心に深く響くものであることを示していると考えていいだろう。
西田幾多郎のこうした考察は、小泉八雲的な「Unfamiliar Japan」が、どのような思想に基づくものかを私たちに教えてくれる。
ラフカディオ・ハーンの「万象の背後に心霊の活動を見るといふ様な一種深い神秘思想」は、どのようにして彼の心に宿ったのだろう? それを教えてくれるのが、「 Idolatry(偶像崇拝)」と題された随筆である。
ハーンは子ども時代の思い出の中で、彼の保護者である大叔母サラ・ブレナンから押しつけられたカトリックの教えへの反発を物語っている。(ちなみに、サラは家庭内では「カズン・ジェーン(Cousin Jane)」と呼ばれていた。)
幼いハーンは、キリスト教から見ると悪魔とされる異教の神々を知り、そこに親近感を抱き、美を見出すところまで至る。
The early Church did not teach that the gods of the heathen were merely brass and stone. On the contrary she accepted them as real and formidable personalities—demons who had assumed divinity to lure their worshippers to destruction. It was in reading the legends of that Church, and the lives of her saints, that I obtained my first vague notions of the pagan gods.
(…)
But in spite of their indifference, my sympathy with the enemies of Cousin Jane’s God steadily strengthened; and my interest in all the spirits that the Church History called evil, especially the heathen gods, continued to grow. And at last one day I discovered, in one unexplored corner of our library, several beautiful books about art,—great folio books containing figures of gods and of demi-gods, athletes and heroes, nymphs and fauns and nereids, and all the charming monsters—half-man, half-animal—of Greek mythology.
How my heart leaped and fluttered on that happy day! Breathless I gazed; and the longer that I gazed the more unspeakably lovely those faces and forms appeared. Figure after figure dazzled, astounded, bewitched me. And this new delight was in itself a wonder,—also a fear. Something seemed to be thrilling out of those pictured pages,—something invisible that made me afraid. I remembered stories of the infernal magic that informed the work of the pagan statuaries. But this superstitious fear presently yielded to a conviction, or rather intuition—which I could not possibly have explained—that the gods had been belied because they were beautiful.
(Life and Letters of LAFCADIO Hearn, Vol. 1, ch. I, « Idolatry » 1906.)
(日本語訳)
初期の教会は、異教徒の神々が単なる青銅や石でできた偶像にすぎないとは教えていなかった。むしろその反対で、教会は彼らを実在し、恐るべき存在――すなわち、自らを神として装い、信者を滅びへと誘う悪霊――として受け入れていた。私は、そうした教会の伝説や聖人たちの生涯を読むうちに、ぼんやりとではあるが、異教の神々についての最初の観念を得たのである。(中略)
だが、彼らの無関心にもかかわらず、私は「ジェーン叔母の神」の敵たちへの共感を次第に強めていった。教会史が「悪」と呼ぶあらゆる霊的存在――とりわけ異教の神々――への関心も、ますます深まっていった。そしてついにある日、家の図書室のまだ探したことのない片隅で、いくつかの美しい美術書を見つけた。巨大なフォリオ版の書物で、そこには神々や半神、競技者や英雄、ニンフやファウヌス、ネレイドたち、そして人と獣のあいだにあるような魅惑的な怪物たち――ギリシア神話に登場するあらゆる姿――が描かれていた。
その幸せな日に、私の心はどれほど高鳴り、震えたことだろう!
息をのんで見つめれば見つめるほど、それらの顔や姿は言葉にできないほど美しく思われた。次々と現れる像が私を眩惑し、驚かせ、魅了した。そして、この新しい喜びそのものが、驚きであり、また恐れでもあった。その絵のページの奥から、目に見えぬ何かが震えるように伝わってくる――そんな感覚に襲われ、私は恐ろしくなった。異教の彫刻家たちの作品には地獄の魔力が宿っているという話を思い出したのだ。しかし、この迷信的な恐れはやがて消え、私はある確信――いや、むしろ説明のつかぬ直感――にとらえられた。
すなわち、「神々はその美しさゆえに、偽りの悪名を着せられたのだ」という感覚である。
(『ラフカディオ・ハーンの人生と手紙』、第一巻、1章、「偶像崇拝」、1906年)
キリスト教で排除された異教の神々への思い入れを語るこの部分で、とりわけ注目すべきは、「その絵のページの奥から、目に見えぬ何かが震えるように伝わってくる」という一節である。物質の間に目に見えない何かが動いている、そしてそれが私を恐れさせるという感覚は、物質の背後に生命が息づいているという「八雲的神秘主義」の目覚めを示している。
こうした子ども時代の記憶を思い返しながら、すでに感じた感覚の再現として、ハーンは「進化」について自らの言葉で語り始めるのである。
The first perception of beauty ideal is never a cognition, but a recognition. No mathematical or geometrical theory of æsthetics will ever interpret the delicious shock that follows upon the boy’s first vision of beauty supreme. He himself could not even try to explain why the newly-seen form appears to him lovelier than aught upon earth. He only feels the sudden power that the vision exerts upon the mystery of his own life,—and that feeling is but dim deep memory,—a blood-remembrance.
Many do not remember, and therefore cannot see—at any period of life. There are myriad minds no more capable of perceiving the higher beauty than the blind wan fish of caves—offspring of generations that swam in total darkness—is capable of feeling the gladness of light. Probably the race producing minds like these had no experience of higher things,—never beheld the happier vanished world of immortal art and thought. Or perhaps in such minds the higher knowledge has been effaced or blurred by long dull superimposition of barbarian inheritance.
But he who receives in one sudden vision the revelation of the antique beauty,—he who knows the thrill divine that follows after,—the unutterable mingling of delight and sadness,—he remembers! Somewhere, at some time, in the ages of a finer humanity, he must have lived with beauty. Three thousand—four thousand years ago: it matters not; what thrills him now is the shadowing of what has been, the phantom of rapture forgotten. Without inherited sense of the meaning of beauty as power, of the worth of it to life and love, never could the ghost in him perceive, however dimly, the presence of the gods.
美の理想に対する最初の感覚は、認識(cognition)ではなく、再認(recognition)である。いかなる数学的・幾何学的な美学の理論をもってしても、少年が初めて「至高の美」を目にしたときに受けるあの甘美な衝撃を解釈することはできない。彼自身もまた、なぜ目にしたばかりの姿が、この世の何よりも美しく見えるのかを説明することなどできない。彼が感じるのはただ、その幻影が自らの生命の神秘に及ぼす突然の力であり――その感覚とは、ただかすかで深い記憶、すなわち「血の記憶」にほかならない。
多くの人々はその記憶をもたず、ゆえに生涯のどの時期においても「見る」ことができない。無数の心は、「高次の美」を感受する能力をもたぬまま――ちょうど、何世代にもわたって完全な闇の中を泳ぎ続けてきた洞窟魚が、光の喜びを感じることができないように。おそらく、そうした心を生む人種は、かつて「より高きもの」を経験したことがなく――不滅の芸術と思索が栄えた幸福な世界を一度も見たことがないのだろう。あるいは、そうした心のうちでは、高次の知識が、野蛮な遺伝の長く鈍い重なりによって、かき消され、ぼやかされてしまったのかもしれない。
だが、もし誰かが、ある瞬間に「古代の美」の啓示を受け、そののちに続く神的な戦慄――言葉にしがたい喜悦と悲哀の入り混じり――を知るならば、彼は「思い出す」のである。
ある時代、ある場所で――より繊細な人間性が生きていた時代に――彼はかつて「美」と共に生きていたに違いない。三千年前でも、四千年前でもよい――それは問題ではない。彼を今震わせるのは、かつて存在したものの影、忘れられた陶酔の幻である。美を力として理解する感覚、美が生命と愛にとって持つ価値の意味を受け継いでいなければ、彼のうちなる幽霊は、たとえかすかにであっても、神々の存在を感じ取ることなど決してできなかったであろう。
ここでの「再認」という言葉は、重要なキーワードである。美を感じる人は、「その幻影が自らの生命の神秘に及ぼす突然の力」を記憶し、それを再び感覚として味わうことができる。一方、その記憶を失った人は、美を再認することができない。それは過去から現在への連続する「霊的進化」を感じ取れるかどうか、ということにもつながる。この感覚が、ここでは「遺伝」という言葉で表現されているのである。
ラフカディオ・ハーンは、ギリシア人の母から生まれ、その血の中にはキリスト教以前の神々の美の記憶が流れている。
そして、「ある時代、ある場所で――より繊細な人間性が生きていた時代に――彼はかつて「美」と共に生きていた」とするなら、その美を、日本に来て松江の地で再び見出したと考えてもよいのではないだろうか。
彼が語る怪談の亡霊たちは、キリスト教以前の異教の神々でもあり、「美を力として理解する感覚、美が生命と愛にとって持つ価値の意味を受け継いで」いるからこそ、日本の亡霊たちの実在を認めたに違いない。
Now after I had learned to know and to love the elder gods, the world again began to glow about me. Glooms that had brooded over it slowly thinned away. The terror was not yet gone; but I now wanted only reasons to disbelieve all that I feared and hated. In the sunshine, in the green of the fields, in the blue of the sky, I found a gladness before unknown. Within myself new thoughts, new imaginings, dim longings for I knew not what were quickening and thrilling. I looked for beauty, and everywhere found it: in passing faces—in attitudes and motions,—in the poise of plants and trees,—in long white clouds,—in faint-blue lines of far-off hills. At moments the simple pleasure of life would quicken to a joy so large, so deep, that it frightened me. But at other times there would come to me a new and strange sadness,—a shadowy and inexplicable pain.
I had entered into my Renaissance.
(日本語訳)
こうして私は古の神々を知り、彼らを愛することを学んだのち、世界はふたたび私のまわりで輝き始めた。長くその上に垂れこめていた陰鬱は、ゆっくりと薄れていった。恐れはまだ去ってはいなかったが、私はもはや、それらすべて――自らが恐れ、憎んできたもの――を信じないための理由だけを求めていた。陽光の中に、野の緑の中に、空の青の中に、私はかつて知らなかった喜びを見いだした。心の奥では、新しい思考、新しい想像、そして名も知らぬ何かへのかすかな憧れが、息づき、震えていた。私は美を探し求め、至るところでそれを見つけた――通りすがりの人の顔に、姿勢や動作の中に、草木の佇まいに、長く伸びた白い雲に、遠くかすむ山々の淡い青の線に。時には、ただ生きているという単純な喜びが、あまりにも大きく、深い歓喜へと高まり、私はその大きさに恐れを感じるほどであった。だがまた別の時には、新しく奇妙な悲しみ――ぼんやりとして説明のつかぬ痛み――が、私のもとを訪れることもあった。
私は、自らのルネサンスに入ったのである。
この一節で、ハーンは「私は美を探し求め、至るところでそれを見つけた」と記し、その一つとして「長く伸びた白い雲(long white clouds)」を挙げている。
その雲は、ラフカディオ・ハーンが日本に帰化した際、自らの名前として選んだ「八雲」を思わせる。
その名前は、『古事記』の中で、スサノヲノミコトが妻クシナダヒメを伴って出雲国に宮を建てたとき歌った歌に由来する。
八雲立(やくもたつ) 出雲八重垣(いづもやへがき) 妻(つま)ごみに 八重垣つくる その八重垣を
幾重にも出雲の雲をめぐらして垣と成し、妻をその中に置こう
こうして、ハーンの中を流れる血を通して、出雲と古代ギリシアがつながり、小泉八雲という作家の「ルネサンス」を促したも考えられる。
なぜ小泉八雲はこれほどまでに日本を愛し、古い伝統を理解し、自らのものとして語ることができたのか。
その秘密を、『偶像崇拝』と題された自伝的随筆は教えてくれる。また、西田幾多郎の解説文は、八雲の語る「再び認める」美が、「万象の背後に心霊の活動を見る」という思想に基づいていることに気づかせてくれる。
『怪談』に収められた数々の幽霊譚や、明治の日本を紹介した文章。それらの根底にある思想がここで明かされており、小泉八雲という作家を理解する上で、非常に貴重な手がかりとなる。