真理に達する道は一つではない — シンマクスによる多様性と寛容の勧め

「ただ一つの道によって、これほど大いなる神秘に到達することはできない。」

力で相手を打ち倒せばすべてが解決する、そんな発想からなのか、自己の正義を振りかざした戦争という愚かな暴力が、いまも世界各地で繰り返されている。
だからこそ、この言葉はいっそう強く心に響く。

Nous contemplons les mêmes astres, le ciel nous est commun, le même univers nous enveloppe.
Qu’importe par quelle sagesse chacun cherche la vérité ?
On ne peut parvenir par un seul chemin à un si grand secret.

私たちは同じ星を仰ぎ見ている。空はすべての人に共通であり、同じ宇宙が私たちを包んでいる。
いったい何が重要だろう、どのような叡智によって、人それぞれが真理を求めるのか、ということが。
ただ一つの道によって、これほど大いなる神秘に到達することはできない。

英語だとこんな風に訳される。

We look up at the same stars; the sky is common to us all; the same universe encompasses us.
What does it matter by what path each of us seeks the truth?
We cannot arrive at so great a secret by one route alone.

原文のラテン語。

Eadem spectamus astra, commune caelum est, idem nos mundus involvit.
Quid interest qua quisque prudentia verum requirat?
Uno itinere non potest perveniri ad tam grande secretum.

これは、西暦4世紀後半、古代ローマで市長を務めたクィントゥス・アウレリウス・シンマクスが残した有名な一節である。
21世紀の今もなお、大切にしたい思想がここには語られている。


ここで簡単に、古代ローマにおいてキリスト教が国教化される過程を辿ってみよう。

313年
コンスタンティヌス1世が「ミラノ勅令」を発し、それまで迫害されてきたキリスト教に信仰の自由が認められた。

361年
ユリアヌス帝はキリスト教の特権を剥奪し、多神教の復興を試みる。しかし、わずか2年足らずで戦死する。
この失敗をきっかけに、キリスト教側は「二度と主導権を渡さない」という姿勢を強めていく。

380年代
ミラノ司教アンブロシウスのような有力な聖職者が台頭し、皇帝に働きかけて異教祭祀の廃止を進めていく。

そして382年、グラティアヌス帝はローマ元老院から、古来の神々を祀る「勝利の女神の祭壇」を撤去した。
これに対して再設置を求めたのが、ローマ市長シンマクスである。
「私たちは同じ星を仰ぎ見ている。」で始まるあの演説は、このときのものだ。

392年
テオドシウス1世は、キリスト教以外の宗教儀礼を禁止し、キリスト教を事実上の国教とした。
こうして、かつて迫害されていた側は、今度は異教を排除する側へと転じた。


しかし、シンマクスの主張は、異教が正しくキリスト教が誤っている、というものではない。
そうではなくて、どのような宗教を信じていようと、私たちは同じ星を見上げ、同じ空のもとに生き、同じ世界に包まれている。
この事実は変わらない、という点にあった。

私たちは共通の世界に生きながら、同時に多様でもある。
宗教も、民族も、国家も、言語も、それぞれ異なっている。
だとすれば、真理へ至る道が一つしかないと考える必要はない。
むしろ、多様な道がありうるし、実際に存在しているはずだ。
シンマクスは、そのことを訴えたのである。

彼の言葉は、現代の欧米社会でも語り継がれ、「良心の自由」や「寛容」を象徴するものとして評価されているという。
日本ではあまり知られていないが、忘れないためにも、ここに書き留めておきたい。

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