青木繁 「朝日」 穏やかな静寂の情景

たまたま青木繁の「朝日」を目にした。
絵画を鑑賞する際には、描かれた世界の中に入り込むのが一番なので、まずは絵そのものを見つめてみよう。

ここに描かれているのは、雄大にうねる波と赤く染まりゆく空が、今にも溶け合おうとする姿。

(1)色彩

海は、群青色や紫で描かれた波がゆったりとたゆたい、物質的な重みと底知れぬ静寂をたたえている。その重厚な感覚に対して、波頭の白さと射し始めた光が、海面に確かな生命感を与えている。
一方の空は、金色から淡いピンク、そして薄紫へと色彩が変化し、おぼろげながらも、今まさに昇りつつある太陽の温かさを伝えている。

(2)筆致(タッチ)

海は、短く力強い筆致によって絵具の質感が際立っている。色彩に「物質としての重み」が加わることで、波の振動が直接的に響いてくる。
対照的に空は、薄く層を重ねるように描かれ、大気の軽やかさと広がりのある光が表現されている。

(3)グラデーションによる境界の消失

海の「冷色(青・紫)」と空の「暖色(黄・橙)」、そして重厚さと軽やかさという二つの対比は、水平線付近で鮮やかに溶け合う。太陽の光が海面へと滴り、海の青が空の低い位置に霞として立ち上るその様は、まさに色彩の境界が調和し、溶け合っていくかのようだ。

「朝日」という画題は、昇りゆく太陽が暗い海を照らし始め、闇から光へと移り変わる「瞬間のドラマ」を捉えている。それこそが、この絵に刻まれた情景に他ならない。


では、この「朝日」にどのような印象を抱くだろうか。それは、この絵を見る一人一人の鑑賞者の自由に委ねられている。何一つ、印象を強いられることはない。

ここで取り上げていることからも明らかなように、私はこの絵画に強く惹かれるものがあった。全体としては暗い印象を受けるのだが、その奥底に、どこか穏やかな静寂が漂っているように感じられたからだ。

そうした印象を持った後で、私はこの絵が青木繁の絶筆、すなわち死の直前に描かれた最後の作品であることを知った。

青木繁は明治15年(1882年)に福岡県久留米市に生まれ、明治44年(1911年)、わずか28歳で亡くなった。その短い生涯において、彼は家族の反対を押し切り画家としての矜持を貫いたが、放浪の末に肺を患い、志半ばでこの世を去ることとなった。

死の床にあった1910年(明治43年)11月、彼は家族に宛てて、自らの不甲斐なさを詫びる痛切な手紙を残している。(以下、現代語訳)

これまで私は、自分の志を果たすためとはいえ、皆さんに心配や苦労ばかりかけてきました。それなのに、未だ志を成し遂げることも、修行の成果を世に示すこともできないまま、こうして命が尽きてしまうこと、どれほど悔しく無念であるか分かりません。
しかし、諦めて考えてみれば、これも前世からの因縁(さだめ)なのでしょう。私が苦しみ抜いてきた二十数年の生涯も、磨いてきた技能も、輝くことなく水の泡のように消えてしまう。これもまた、不幸な星の下に生まれた私の宿命なのでしょう。ですから、これらのことについて、もう今さら言うべきことはありません。
ただ、最後に残るのは私の亡骸(なきがら)だけです。もし皆さんに引き取っていただけないのであれば、どうすることもできません。私は死にゆく身ですから、あとのことは分かりません。どうか、よろしくお願いいたします。
火葬代くらいのお金は、必ず枕の下に入れておきます。そのお金を使って当地で火葬し、遺骨や灰は、何かのついでで構いませんので、高良山の奥にある『けしけし山』の松の木の根元に埋めていただきたいのです。
私は、あの山の寂しい頂から、思い出深い筑紫平野を眺めながら、この世への恨みや憤り、呪わしい気持ちをすべて捨て去り、静かに永遠の安らかな眠りにつきたいと考えています。これだけは、因縁あって家族として生まれたあなた方の不運だと思って諦めていただき、不運な一生を送った『繁』へのせめてもの同情として、どうか、どうか取り計らってくださるよう、幾重にもお願い申し上げます

この言葉からは、二つの強烈な感情を読み取ることができる。
一つは、「未だ志を成し遂げられぬまま、技能も輝くことなく水の泡として消えていく」という、身を切るような無念さである。この重苦しさは、「朝日」の海が湛える暗い重量感と響き合っている。

もう一つは、「この世への恨みや憤りをすべて捨て去り、静かに眠りたい」という、諦念にも似た祈りである。現世に対する激しい感情を、死を前にして一つひとつ手放し、安らぎへと向かおうとする意思。それは彼が晩年に詠んだ短歌にも通じている。

流れては またもかへらぬ  濁(にごり)に深む わが運命(さだめ)かな

川の表面を滑る水が、一度過ぎ去れば二度と戻らぬ「時の移ろい」を象徴するように、人生の時間は容赦なく先へと流れていく。しかし、激しい流れの下には、それに取り残された砂泥が堆積し、光の届かぬ「濁った淀み」が生まれる。

青木繁は、自らをその華やかな表面の流れではなく、底に沈殿する「濁り」の中に求めた。彼は「深む」という言葉を用いている。それは、濁流に呑み込まれ受動的に溺れるのではなく、自らの意志でその重く暗い底へと沈潜(しんせん)していくような、峻烈な自発性を感じさせる。

表面を流れる時間が「他者の目に映る華やかな成功」だとすれば、底に沈む濁りは「誰にも顧みられない孤独な自己の真実」かもしれない。その濁りさえも自らの運命として甘受し、深く潜っていく。その静かな覚悟が、この一首には刻まれている。

こうした青木繁の心象風景は、「朝日」が描く光景と見事に対応しているように思えてならない。 その確信は、彼がまだ死を意識せず、修行の成果を世に問おうと野心に燃えていた時期の作品と比較すると、より一層強くなる。


1906年に制作された連作『旧約聖書物語 光あれ』の一枚。
創世記の天地創造を描いたこの絵には、天から海へと垂直に突き刺さる強烈な光の柱がある。それは、画家が名声を得ようとする意気込みそのものの現れのようにも見える。

その放散される力強さと比較するとき、「朝日」の光がいかに穏やかであるかが際立つ。
そこにあるのは、短い生涯の果てにたどり着いた、魂の故郷へと戻るような安らぎだ。単なる悔恨を超えた、静かな、あまりに静かな「諦念」の情景が、そこには描かれている。


青木繁の「朝日」は、修行途中の野心的な光が潰え、死の直前に辿り着いた「魂の帰郷」の記録だといえる。
重く沈む海と穏やかに溶け合う空の色彩は、無念ささえも自らの運命として深く受け入れた、一人の画家の心の安らぎを静かに物語っている。

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