石川淳 「山櫻」 フランス語訳の試み 3/6  ISHIKAWA Jun, « Le Cerisier de montagne », essai de traduction en français 3 / 6

Voici le quatrième paragraphe.
Comme pour les paragraphes précédents, je divise le texte à chaque point afin de mieux saisir le style d’Ishikawa Jun.


森の涯というよりも森の一部を仕切った粗い柵の中にその家は建っているのだが、ひとは道を行きながらついそこに迷い入り、向うにエスパニヤ風の玄関を望むまでは大きい自然木の門を通り過ぎたことに気がつかないくらいだ。

Ce n’est pas tant à la lisière de la forêt, mais dans un enclos grossier, délimité à l’intérieur même du bois, que cette maison est construite ; et, alors que l’on marche sur le chemin, on s’y engage presque sans le remarquer, et tant qu’on n’a pas aperçu l’entrée de style espagnol au loin, on ne réalise pas qu’on a franchi le grand portail en bois naturel.

ここに、わたしはその門内の立木のあいだを歩きつつ先刻から奇怪にも額がじりじり焦げつくような感じに責め立てられ、太陽に近づくイカルさながら進むにつれて髪の根が燃えるばかりの苦しさに頭を一ふり揺り上げると、前面の二階に張り出した露台の上で、欄干にいかぶさる葉ごもりを透して二つの眼が爛爛とこちらを睨んでいた。

Alors que je marchais entre les arbres plantés à l’intérieur de ce portail, depuis un moment déjà, j’étais, de manière étrange, assailli au front par une sensation de brûlure lancinante ; avançant tel une pie qui s’approche du soleil, la douleur à la racine de mes cheveux devint si intense que je secouai vivement la tête, et c’est alors qu’à ce moment précis, à travers le feuillage recouvrant la rampe, deux yeux brillants me fixèrent d’un regard incandescent.

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石川淳 「山櫻」 フランス語訳の試み 2/6  ISHIKAWA Jun, « Le Cerisier de montagne », essai de traduction en français 2 /6

Voici le deuxième paragraphe.
Comme pour le premier paragraphe, je divise le texte à chaque point afin de mieux saisir le style d’Ishikawa Jun.


もっとも多少の因縁といえば、わたしはもう十二年ばかり前青山の判事の家で庭にただ一本の山桜の下に判事の娘の京子を立たせて写真をとったことがあるのだ。

S’il s’agit d’un certain lien, aussi mince soit-il, il y a environ douze ans déjà, j’ai pris une photo de Kyōko, la fille du juge d’Aoyama, debout sous un cerisier de montagne dans le jardin de la maison du juge.


当時わたしは写真に凝って三脚の附いた重いのをやたらにかつぎ廻ったものだが京子をとったのはそれ一度きり、たぶん京子がその春結婚する前に、これもわたしの遠縁にあたる吉波、現在は予備の騎兵大佐で某肥料会社の重役をつとめている善作のもとへ嫁ぐ前に記念のためというのでもあったか、父親の判事も縁先に出てうしろから眺めていたと思う。

À cette époque, je me passionnais pour la photographie, et je transportais mon appareil lourd avec trépied un peu partout, mais en ce qui concerne Kyōko, je ne l’ai photographiée qu’une seule fois ; sans doute était-ce juste avant son mariage ce printemps-là — elle devait épouser Yoshinami, un parent éloigné à moi, aujourd’hui colonel de cavalerie de réserve et directeur dans une certaine société d’engrais —, et je pense que c’était pour en garder un souvenir et que le père, le juge, était lui aussi sorti jusqu’au bout de la véranda japonaise pour observer la scène depuis l’arrière.

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石川淳 「山櫻」 フランス語訳の試み 1/6  ISHIKAWA Jun, « Le Cerisier de montagne », essai de traduction en français 1 / 6

石川淳(1899-1987)は、昭和を代表する小説家の一人であり、大変に魅力的な作品を多く残しているのだが、しかし、彼の和漢洋にわたる博識と凝りに凝った文体のために、現代の日本人には読みにくいと言わざるをえない。

Ishikawa Jun (1899-1987) est l’un des romanciers les plus représentatifs de l’ère Shōwa, et il a laissé une œuvre d’une grande richesse et d’un charme certain. Cependant, il faut bien reconnaître que, de nos jours, ses écrits sont difficiles à lire pour les Japonais contemporains, en raison de son érudition couvrant la tradition japonaise, chinoise et occidentale, ainsi que de son style extrêmement travaillé.

1936(昭和11)年に発表された「山櫻」もそうした作品の一つである。
最初の一文から複雑な構文の日本語が続き、しかも、第一段落が非常に長い。もちろん石川淳は、文の主語が明記されなくてもいいし、主語と述語が対応しなくても理解が可能な日本語の特色を十分に利用し、独自の文体を練り上げ、現実と心的真実が混在する「山櫻」の独特な世界を作り出している。

« Le Cerisier de montagne », publié en 1936, est l’un de ces ouvrages. Dès la première phrase, la langue japonaise y déploie des structures complexes, et le premier paragraphe, notamment, est d’une longueur remarquable. Bien sûr, Ishikawa Jun exploite pleinement les particularités du japonais, langue dans laquelle le sujet d’une phrase n’a pas besoin d’être explicitement exprimé, et où le prédicat peut être compris sans correspondance directe avec un sujet clair. Il a ainsi élaboré un style unique, donnant naissance à l’univers particulier du « Cerisier de montagne», où réalité et vérité intérieure se confondent.

ここではそうした石川淳の文章のニュアンスが、少しでもフランス人の読者に伝わるように心掛けながら、フランス語への翻訳を試みたい。
「その1」で翻訳するのは「山櫻」の第一段落のみで、改行はいっさいないのだが、石川淳の文体をよりよく知るためにも、句読点の丸が出てくる毎に文を分けて、少しづつ翻訳していくことにする。

Dans ce qui suit, je tenterai une traduction en français, en essayant de transmettre au mieux les nuances de l’écriture d’Ishikawa Jun, afin que les lecteurs francophones puissent en saisir ne serait-ce qu’une part.
Ci-dessous, je traduis uniquement le premier paragraphe du « Cerisier de montagne ». Celui-ci ne comporte aucune coupure, mais afin de mieux appréhender le style d’Ishikawa Jun, je diviserai le texte à chaque point final pour le traduire phrase par phrase.

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夏目漱石 夢十夜 第六夜 運慶と文明開化

夏目漱石の『夢十夜』(1908年)は、題名の通り、10の夢から構成される短編小説集である。そのうちの4編は「こんな夢を見た」という言葉で始まり、「夢」で見た出来事が語られているという印象を読者に強く刻みつける。

ここで注意したいのは、夢はしばしば、荒唐無稽な出来事が現実の秩序とは無関係に展開する非現実的なものと考えられがちだが、しかし、実際には極めて直接的で生々しい体験だとということだ。現実であれば、見たくないものは目をつぶれば見えず、耳を塞げば声も音も聞こえない。しかし夢の中では、私たちの意志では何ひとつコントロールできず、そこから逃れるには目を覚ますしかない。「夢」とは、私たちの内的な体験そのものなのである。

一方で、目が覚めた後に語られる夢には、「見た」という表現が示すように、生の体験とのあいだに距離があることが前提となっている。「見る」ためには、何らかの距離が必要だからだ。したがって、夢を語るという行為は、現実感覚を取り戻した意識が、夢の非現実性に戸惑いながら、内的な世界を再構成しようとする試みであると言える。

第六夜の夢では、鎌倉時代の仏師・運慶が明治時代に姿を現し、鑿(のみ)をふるって仁王像を刻む。にもかかわらず、周囲の誰もその異常さに驚こうとはしない。その驚きのなさが、「夢」の世界であることを示している。
語り手である「自分」は、その世界の中で、運慶に倣い、木材に仁王像を彫ろうとする。しかし、うまくいかず、「明治の木には仁王が埋まっていない」と悟り、そのことで「運慶が生きている」理由を理解する。
その内的な体験は、何を語るのだろう。

短い夢なので、朗読を聞きながら全文を読んでみよう。

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芥川龍之介 「蜜柑」 「沼地」  ある芸術家の肖像

一見うまくやっているように見えながらも、どこか周囲の雰囲気になじめない。はっきりとした理由や特別な原因があるわけではないのに、漠然とした居心地の悪さを感じる。自分自身であることさえ、時に違和感を覚える。── そうした人々が、社会の中には一定数存在する。

彼らは、表面的には決して社会から排除されているわけではない。けれども心の奥では、自分の価値観と社会一般の価値観とのズレを常に感じている。そして、社会からの圧力に押しつぶされそうになる中で、周囲との温度差に擦り切れ、苛立ち、言葉にならない悪態をつき、時には自らの無力さに疲れ果てて、爆発しそうになることさえある。

「蜜柑」と「沼地」は、そうした人間を代表する「私」(わたくし)が、偶然に遭遇した出来事を語るという形式を取った短編作品である。
どちらの作品でも、起承転結のある物語が展開されるわけではない。「蜜柑」では、汽車の中で出会った少女の振る舞いを目撃した出来事が語られるのみであり、「沼地」では、展覧会で出会った美術記者とのやり取りが記されるにすぎない。

しかしそこからは、社会の一般的な価値観と葛藤する「私の肖像」が描き出され、その肖像を通して、「私にとって価値あるもの」が浮かび上がってくる。
「蜜柑」と「沼地」に共感を寄せる読者は、その「価値あるもの」を、芥川龍之介と共有することになる。

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鈴木大拙 宗教とは何か?

鈴木大拙は、禅の思想が世界的に知られるようになる上で、最も大きな役割を果たした宗教学者。

「世界人としての日本人」という自己認識を持つ大拙は、東洋と西洋を対立させる二元論に立つのではなく、二元論の根底にある「無」の思想を中心に置き、禅をはじめ日本の文化や思想を西洋に伝えた。
コロンビア大学で彼の講義を聴いた中には、作曲家のジョン・ケージや小説家のJ. D. サリンジャーがいた。サリンジャーの『フラニーとズーイ』の「鈴木博士」は、鈴木大拙のことだと言われている。

「宗教とは何か?」という問いに「正しい無限を感じること」と答える鈴木大拙の宗教観を、10分程度のインタヴューで知ることができる。

中村元 仏教の本質

中村元は、日本で初めて、初期仏教の仏典を原典から日本語に翻訳したインド哲学者、仏教学者。
「学ぶこと少ない者は牛のように老いる。その肉は増えるけれど、知恵は増えない。」(ダンマパダ)から始まり、「自己に頼れ、法に頼れ。」で終わるわずか10分のビデオだが、「学問は人々の役に立つ、生きたものでなければならない。」という言葉を実践した中村の言葉を通して、仏教の本質に触れることができる。

芥川賞とAI 

第170回芥川賞に九段理江の「東京都同情塔」が選ばれ、その受賞会見で、著者が「文書生成AIを駆使して書いた小説」だと明かし話題になった。そのニュースをフランスではどのように伝えたのか知るのも興味深い。

Une autrice lauréate d’un prix révèle avoir eu recours à l’intelligence artificielle

La lauréate de l’équivalent japonais du prix Goncourt a expliqué avoir écrit à 5% environ son livre avec une intelligence artificielle. Une révélation qui fait débat, et déplaît vivement à Jean-Baptiste Andrea, vainqueur du Goncourt en 2023.

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中島敦「山月記」 自尊心の心理分析

中島敦の「山月記」は、唐の時代の李景亮(りけいりょう)が編纂したとされる「人虎伝」を再話したものであり、「人虎伝」の主人公の詠じる漢詩がそのまま「山月記」の中に書き移されていることは、再話という創作技法を中島があえて明確に示していることの証だといえる。

では、人間が虎に姿を変える変身譚を物語の枠組みとして用いながら、中島は何を目指したのだろうか?

その問いに答えるためにも、まずは「山月記」の全文を読んでみよう。幸いなことに、あおぞら文庫で全文を読むことができるし、youtubeでは朗読(約21分)を聞くこともできる。
漢文の素養を駆使した中島敦の散文は難しいと思われるかもしれないが、朗読を聞きながら文章に目を通すと、リズムが心地よく、日本語の美を感じることができる。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/624_14544.html

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『古今和歌集』 暦の季節と3つの時間意識 

10世紀初頭に編纂された『古今和歌集』は、現代の私たちが当たり前だと思っている四季折々の美しさを感じる感受性を養う上で、決定的な役割を果たした。
そのことは、全20巻で構成される歌集の最初が、春2巻、夏1巻、秋2巻、冬1巻という、季節をテーマに分類された6巻で構成されていることからも推測することができる。

自然の美に対する感受性や、時間の経過とともに全てが失われていくこの世の有様に空しさを感じる感受性は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された『万葉集』でもすでに示されていた。

『古今和歌集』が新たに生み出したのは、暦に則った季節の移り変わり。
より具体的に言えば、春の巻から冬の巻を通して、立春から年の暮れまでという、一年を通した季節の変化を明確に意識し、時間の流れに四季という枠組みを付け加えたということになる。

では、それによって何か変わるのか? 

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