議員は選挙民を「代表」するか? 柄谷行人 「代表するもの」は「代表されるもの」から束縛されない

政治は選挙によって選ばれた議員たちによって行われる。たとえ、政策の立案に関しては、選挙によって選ばれてはいない官僚によって行われるとしても、決定権は議会にある。
そして、その議会は、普通選挙によって「民意を得た」とされる代議士たちによって構成されるため、「民主主義」的な政治が行われると見なされる。

こうした仕組みは、「日本国憲法前文」で規定される基本的な考え方に基づいている。
「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、(後略)」。

しかし、政治家たちの発言や行動からは、彼らが本当に選挙で投票した人々の「代表」であるのかどうか疑われることがある。

柄谷行人は、投票する側と選ばれる側のつながりの曖昧さを指摘する。

真に代表議会制が成立するのは、普通選挙によってであり、さらに、無記名投票を採用した時点からである。秘密投票は、ひとが誰に投票したかを隠すことによって、人々を自由にする。しかし、同時に、それは誰かに投票したという証拠を消してしまう。そのとき、「代表するもの」と「代表されるもの」は根本的に切断され、恣意的な関係になる。したがって、秘密投票で選ばれた「代表するもの」は「代表されるもの」から束縛されない。(『トランスクリティーク』)

続きを読む

「国際」とは? 発見と無主地・占有 台湾出兵

「国際法(International law)」では、領土の取得について、「無主地」(terra nullius)に対する「先占」という考え方が認められている。
それは、非常に単純化して言えば、主権が確立していないと考えられる土地に関しては、「発見」した主体が所有権を獲得できる、という原理に基づいている。

その原則は、15世紀から始まったいわゆる大航海時代以来、新大陸や新航路「発見」に続き、「文明国」が世界各地を支配下に置いていく過程で成立したものであり、様々な利害関係が交錯する中でも、常に「国際法」の土台となってきた。
(歴史的な展開については、島田征夫「国際法上の無主地先占の法理 : 続・19世紀慣習国際法の研究」に詳しく記載されている。)

日本においても、江戸時代後期から明治維新直後にかけて、へンリー・ホイートンの原書を北京で活動していたアメリカ人宣教師ウィリアムス・マーチンが漢訳した『万国公法(Elements of International Law )』や、セオドア・D・ウールジー著・箕作麟祥訳『国際法 一名万国公法(Introduction to the Study of International Law)』などを通し、「国際法」の理解が進んでいった。

「無主地」とは、ある土地に人間が住んでいたとしても、主権が確立していないと見なされる未開の土地を指す。
「占有」とは、領有する意図を持ち、他の国よりも先に「無主地」を実行支配すること。

1874年(明治7年)、明治政府が行った台湾出兵は、「無主地・占有」の概念を巧みに利用したものであり、日本が支配される側から支配する側へと移行する最初の一歩だったと考えることができる。

続きを読む

1492年 コロンブス以降の「世界史」

自分たちがどのような時代を生きているなのかを知るのは難しい。今起こっていることが当たり前すぎて、その状況を相対化する視点から物事を見ることが難しいからだ。
そして、過去を探る場合にも、現在の視点から考察することが多く、過去が現在の世界観、価値観によって書き直されることが多い。

ジャック・アタリの『1492 西欧文明の世界支配』(ちくま学芸文庫)は、1492年のコロンブスによる「新大陸の発見」という出来事の意味を問い直し、その後の世界全体が一つの世界観の下にあり続ける、その起源を描き出す。
あまりにも詳細な記述が行われるために、読みやすいとはいえないのだが、とりわけ非西欧の読者が今の世界を知るために、これほど説得力のある歴史書はないのではないかと思われる。

その要旨を一言で言えば、「新大陸の発見」という表現自体が、すでに欧米中心の世界支配を表しているということ。
その大陸は「発見」される以前にすでに人々が住み、生活していたのだ。コロンブスのサン・サルバドル島到達は、西欧世界が描いた世界史の中での、象徴的な出来事に他ならない。

その事件の後、スペイン、ポルトガル、さらにはオランダ、フランス、イギリスといった国々が、アメリカ大陸だけではなく、アフリカやアジアに「進出」していくことになるのだが、支配の仕方はそれぞれの大陸によって異なっていた。
ジャック・アタリは、その違いを次のように説明する。

続きを読む

日本を民主主義政治から読む

現代の社会において、議会制民主主義は正常に機能しているのだろうか。それとも、古代ギリシアのように、衆愚政治と見なされる政治制度になってしまっているのだろうか。
その問いは、政治をよりよく機能させ、人々の日々の暮らしをよりよくするために、今こそ必要とされると考えたい。

国会議員の選挙にしろ、地方議員の選挙にしろ、選挙がある度に投票が呼びかけられる。そして、一定数の人々は、自分たちの権利として、あるいは義務感に駆られて、投票所に足を運ぶ。
同調できる意見を持つ人を自分たちの「代理」として選択し、選ばれた人々がその意見を反映した政治を行うことを前提とした「議会制民主主義」が日本の政治制度である以上、投票しないことは選択の権利を放棄することを意味する。だからこそ、投票は義務なのだと言われることもある。

議会制民主主義は、デモ(古代ギリシア語で「民衆」を意味する)+クラシー(支配)を実現することを可能にする一つの制度であり、一つの共同体において多数の意見を実現する政治を行うために適したものといえる。

ただし、その制度が適切に機能するためには、投票する側の人間に二つのことが求められる。
1)一定の知見と判断力
2)選択された人々の実現する政治を検証する意識

続きを読む

日本を経済的側面から読む

日本の現状について様々な情報がもたらされるが、しばしばそれぞれが特定の話題に特化しているために、総合的な視点から現在の日本の現状を把握することがけっこう難しかったりする。

ここでは、いくつかの経済的な視点をまとめながら、今の日本を読んでみたい。
経済に視点を置くのは、家庭の経済的な格差が子供の学力に影響し、その結果、社会的格差が固定化される傾向が強いと考えるからである。

もちろん、これは一般的な傾向であり、例外があることは当然のことである。
しかし、この結果が例外的な例ではないことは、日本の相対的貧困率の高さが示している。

この悪循環から抜け出すためには、社会の構造を変えない限り、学歴を上げるしかないというのが現状である。

続きを読む

AIと倫理

ChatGPTが爆発的な普及をしたために、AIの倫理が話題になっている。ところが、実際に何か問題なのかは、必ずしも明快ではない。

2023年5月に、AI開発の中心人物とされるジェフリー・ヒルトンが、AIの危険性を自由に訴えるために、Google社を退社したというニュースが流れた。
ヒルトンは、AIの危険性として、人間の制御を超えて予測不可能な振る舞いを示す可能性、人間の様々な判断において人間に取って代わる可能性、人間の雇用を奪う可能性、AIによって作り出される情報や画像の真実性とフェイクの区別の困難さなどをあげ、「社会と人類に深刻なリスクをもたらす」可能性があるとし「AIを制御できる方法を見つけるまで技術を拡大させるべきではない」と指摘した。

この主張は、2023年3月「AIを制御できる方法」を模索するために半年間の開発中止の訴えを行ったイーロン・マスクたちの発想と軌を一にしている。
ただし、マスクはその1ヶ月後には、巨額の予算を投入してAI開発のための会社を立ち上げた。
そのことは、2000人以上の署名を集めた公開書簡の意図が、「社会や人類に深刻なリスク」を検討するためではなく、「半年間の開発中止」だったことを明らかにしている。

AIの倫理を考える際に、ジャフリー・ヒルトンとイーロン・マスクの例をあげたのは、同様の言葉を前にして、どのように読み取るかは私たち一人一人にかかっているということを示すためである。

続きを読む

数字を読む コロナによる死者数 出生者数

試験で18点だったと言えば、フランスではよくできると驚かれるし、日本だったら落第だ。というのも、フランスでは満点は20点で、日本では100点なのが一般的。18という数字は、20に対してなのか、100に対してなのかで、価値が変化する。

こんな当たり前のことが、しばしば忘れられる。

コロナの死者の累計は、厚生労働省の発表によれば、2023年3月22日の時点で、7万3562人。(最初の死者が確認されたのは2020年2月。)

この数字をどのように考えるかは個人の考え方にかかっているが、相対化するためには、年間の総死者数の知ることが一つの指標となる。
2020年 137万2648
2021年 143万9809
2022年 158万2033
計    439万4490

二つの統計の間の期間が少しズレるが、大まかに見ると、3年間の全死者数が約440万人、そのうちのコロナによる死者数は約7万4000人となる。
逆に言えば、コロナ以外の死者数は、430万人以上。そのうちの約10分の1は老衰によるというデータもある。

続きを読む

情報の読み方 二極化しつつある世界を前にして

2023年3月20日はアメリカ軍がイラクの首都バクダットに空爆を始めた日から20年、というニュースが流れていた。
戦争の大義は、サダム・フセインが大量破壊兵器(核兵器)を所有しているというものだったが、兵器は見つからず、フセイン政権が打倒されただけで、結局は、イスラム過激派(IS)が中東やアフリカに拡散する結果になった。

2001年9月11日にニューヨークで起きた同時多発テロをきっかけにして行われたアフガニスタン侵攻でも、アルカイダの指導者ウサマ・ビン・ラディンを標的にし、アメリカ軍がアフガニスタンに侵攻、タリバン政権を崩壊させた。
しかし、20年後の2021年アメリカ軍が完全撤退すると、タリバン政権が復活し、現在に至っている。

この2つの戦争は、1990年の湾岸戦争で、クエートを併合したイラクに対し、多国籍軍がサウジアラビアを拠点にして攻撃し、イラクを撤退させた戦争に端を発している。

2011年に起こったリビアの内戦においては、カダフィ大佐率いる政府軍と反体制派の戦いが激しさを増す中で、最終的にはアメリカ、イギリス、フランス軍が介入し、NATO軍が激しい空爆を行い、政権を崩壊させた。

こうした出来事は、第二次世界大戦後、そして、とりわけ湾岸戦争と同じ1991年にソビエト連邦が崩壊した後から、パクス・アメリカーナ(アメリカによる平和)が続いていたことを示すいくつかの例だといえる。

日本でも、アメリカ軍によって守られているという意識、あるいは現実がある。
「自由で開かれたインド太平洋」という表現は、パクス・アメリカーナを別の表現にしたもの。
「国際社会」という表現も、同じことを指している。ただし、こちらの表現になると、世界の大部分の国が「同じ価値観を共有する」のだと見なし、共有しない少数を反対勢力とする。

以上のような状況は、アメリカの圧倒的な軍事力と経済力によって可能になったものだが、中国の経済力が増すに従い、不確定要素が増しているというのが、現在の世界全体の情勢だと考えられる。

続きを読む

議会制民主主義の費用対効果 日本の場合

年金制度をめぐるフランス国内の混乱における政治家たちの姿、日本の国会議員選挙の結果などを見ていると、議会制民主主義という政治制度が今日において機能しうるのかどうか、疑問に思えてくる。
問題は、それに代わる制度が提案されないことなのだが、その一方で、「議員報酬が高すぎる」とか「政治には金がかかる」といった言葉の中身を具体的に知っておくことも必要だろう。

衆議院と参議院から構成される国会は、行政府(政府)、司法府(裁判所)とともに三権分立の柱をなす立法府であり、その職務の中心は、法律の制定、予算の議決と決算など。
その職務に値する議員を選ぶために行われるのが選挙であり、国民は投票権を持つことで、国会議員を選ぶ権利を有する。

この当たり前を前提として、国会議員に対して、国民が負担する金額をざっと数えてみよう。

1)議員1人に一年間でかかる金額 ー 約1億円

続きを読む

アンヌ・二ヴァ(Anne Nivat) ロシアとウクライナ紛争の事実を伝えるジャーナリストのインタヴュー

アンヌ・ニヴァ(Anne Nivat)は、チェチェン、イラク、アフガニスタンなどの戦争を取材したジャーナリスト。
彼女は英語、ドイツ語、イタリア語、チェチェン語、ポーランド語、アラビア語を使いこなすだけではなく、両親がロシア関係の専門家だったためにロシア語が堪能で、ロシアとウクライナの戦争の取材にもあたっている。

インタヴューの中で、司会のヤン・ヴァルテス(Yann Barthès)が、今回のウクライナでの戦争の特色は何かと質問したのに対して、彼女はまず最初に、「戦争はみんな同じ。罪のない若者が死んでいる。」と答えている。
これが戦争の第一の現実なのだ。

その上で、今回の戦争の特色は、情報戦争(guerre informationnelle)だという。

彼女は、その情報戦の一方の視点に偏ることなく、現場の事実を事実として伝えようとする。
以下のURLでインタヴューを見ることができる。

https://www.tf1.fr/tmc/quotidien-avec-yann-barthes/videos/invitee-anne-nivat-analyse-la-guerre-en-ukraine-partie-1-15257307.html

https://www.tf1.fr/tmc/quotidien-avec-yann-barthes/videos/invitee-anne-nivat-analyse-la-guerre-en-ukraine-partie-2-76038157.html