ボードレール 「恋人たちの死」  Baudelaire « La Mort des amants » 現実から理想へ

「死(la mort)」という言葉は不吉な印象を与えるが、「恋人たちの死(La Mort des amants)」において、ボードレールは「死」に肯定的な役割を与えたと考えられる。
では、その肯定的な役割とは何か? そしてどのようにしてその逆転を行ったのだろう?

その疑問の答えを考えていくことで、ボードレールの世界において、恋人たち(les amants)を結び付ける愛(エロス)がどこにつながるのかを知ることができる。

まず最初に「恋人たちの死」は非常に形式が整った定型詩であることを確認しておこう。
2つの四行詩節と2つの三行詩節で構成されるソネ(4/4/3/3)で、一行の詩句は10音節、しかも多くの詩句は5/5の区切りが意味の区切れと対応する。
韻の連なりは、ABAB / ABAB / CCD EDE.

動詞は全て単純未来形で活用され、未来のこと、あるいは今頭の中で考えていることが未来に投影して語られている。そのことは、このソネを理解する上で重要な意味を持っている。


第1詩節の最初の言葉はnous。詩の題名から、「私たち」は恋人であると推測することが求められる。

Nous aurons des lits pleins d’odeurs légères,
Des divans profonds comme des tombeaux,
Et d’étranges fleurs sur des étagères,
Écloses pour nous sous des cieux plus beaux.

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ヴィクトル・ユゴー 「魔神たち」 Victor Hugo « Les Djinns » 詩法を駆使した詩句を味わう 2/2

第9詩節(1行8音節)になると、魔神たち(Djinnns)は悪魔(démons)と見なされ、私(je)は予言者(Prophète)に救いを求める。

その予言者とは、「魔神たち」が含まれる『東方詩集(Les Orientales)』の中では、マホメットのことだと考えられている。
また、「私(Je)」は剃髪(chauve)なのだが、それはメッカに向かう巡礼者たちが出発前に髪の毛を剃る習慣を前提にしている。
「魔神たち」の背景にあるのは、『千一夜(アラビアン・ナイト』の世界なのだ。

Prophète ! si ta main me sauve
De ces impurs démons des soirs,
J’irai prosterner mon front chauve
Devant tes sacrés encensoirs!
Fais que sur ces portes fidèles
Meure leur souffle d’étincelles,
Et qu’en vain l’ongle de leurs ailes
Grince et crie à ces vitraux noirs!

予言者よ! お前の手が私を救ってくれるなら、
夕方にやってくる不純な悪魔たちから、
私は剃髪の頭を地面にこすりつけよう、
お前の神聖な香炉の前で!
なんとなかして、この忠実な扉の上で、
消してくれ、奴らの火花散る息吹を。
なんとかして、空しいものにしてくれ、奴らの翼の爪が
ギシギシと音をたてようとも、そして、この暗いステンドグラスの窓で叫び声を上げようとも!

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ヴィクトル・ユゴー 「魔神たち」 Victor Hugo « Les Djinns » 詩法を駆使した詩句を味わう 1/2

ヴィクトル・ユゴー(1802-1885)。日本では『ノートル・ダム・ド・パリ』や『レ・ミゼラブル』の作者として知られているが、ロマン主義を代表する詩人であり、フランスで最も偉大な詩人は誰かという質問に対して、ユゴーの名前を挙げる人も数多くいる。

無限ともいえる彼の詩的インスピレーションは驚くべきものだが、それと同時に、詩法を駆使した詩句の巧みさにも賛嘆するしかない。
そのことを最もよく分からせてくれるのが、« Les Djinns »(魔神たち)。

8行からなる詩節が15で構成されるのだが、最初の詩節の詩句は全て2音節、2番目の詩節の詩句は全て3音節。そのように一音節づつ増えていき、第8詩節では、10音節の詩句になる。その後からは、詩句の音節数が規則的に減り始め、最後は2音節の詩句に戻る。
つまり、詩句の音節数は、2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 10, 8, 7, 6, 5, 4, 3, 2と、規則的に増減する。

詩の内容も音節数の増減に対応する。
死んだ様な港町から始まり、一つの音が聞こえる。続いて、音節の数の増加に応じて音の大きさが徐々に強まり、10音節の詩句が構成する第8詩節で最も強くなる。
その後、8音節、7音節と減少していくにつれて、音も収まっていく。

ユゴー以外に誰がこれほどの詩的テクニックを駆使できるだろう。どんな詩人も彼と肩を並べることなどできない。
そのことは、第1詩節を見るだけですぐに分かる。8行全てが2音節の詩句で、韻を踏んでいる。 (しかも、ABABCCCBという韻の連なりは、15の詩節全てで繰り返される。)

Les Djinns

Murs, ville,
Et port,
Asile
De mort,
Mer grise
Où brise
La brise,
Tout dort.

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英語の時制の基本的な概念をマスターする — 日本語の時間表現との違い

英語の勉強を始めた頃、過去と現在完了の違いがよくわからなかったし、過去完了はなんとなくわかるけれど、未来完了はうまく理解できなかった。
その時、なぜだろうと考えることはなく、過去と現在完了の使い方は一緒に使う副詞で区別するとか、未来完了は難しいとか思ったりしただけだった。

しかし、今になってみれば、その原因が英語と日本語の時間表現に関する根本的な違いにあることがわかる。
では、その根本的な違いとは何か? 

日本語では、現在は「る、ます」で、過去は「た、ました」で表現すると言われる。
では、未来はどうだろう。外国人に日本語を教える教科書には、日本語に未来形はないと書かれている。実際、« I’ll go tomorrow.»という未来形の英文を日本語に訳そうとすると、「明日行くだろう。明日行きます。」くらいになる。「行くだろう」は推測、「行きます」は意志の表明であり、未来を示すわけではない。

同じ教科書で、「ます」は非過去、「ました」は過去と説明されている。しかし、「た」は本当に過去だろうか?
「この本を読み終わっら、そっちに行くよ。」この場合、「た」は過去ではなく、時間としては未来に置かれる。とすると、「た」に関する認識にも問題がありそうだ。

このような例を見ると、日本人は母語として日本語を使いこなしているのだが、日本語についての理解は怪しいということがわかってくる。
そして、日本語の時間表現についてよくわかっていないために、英語の時間表現を学ぶ際に、どのようなことに注意をしないといけないのかもはっきりとしない。その結果、ただ規則を覚えようとして、はっきり理解しないままになってしまっているのではないか。

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アンドレ・ブルトン ナジャ André Breton Nadja シュルレアリスム的語りの方法

アンドレ・ブルトンの『ナジャ(Nadja)』がシュルレアリスムを代表する文学作品であり、ブルトンの代表作の一つであることは、広く認められている。

『ナジャ』の中心を占めるのは、ブルトンが1926年10月4日にパリの街角で偶然出会ったレオナ・デルクール(https://fr.wikipedia.org/wiki/Léona_Delcourt)との交流を記録したかのように語られる部分。
彼女は自らをナジャと名乗り、アンドレ・ブルトンだと思われる「私(je)」を、現実でありながら現実を超えた独特の世界=超現実へと導くミューズの役割を果たす。

10月5日の記述では、ナジャが「私」にシュルレアリスム的な語りの方法を伝える言葉が記録されている。
シュルレアリスムの定義はしばしば専門用語が用いられ、一般の読者の理解を拒むような説明がなされることが多いのだが、このナジャの言葉はいわゆる専門的な解説とは対極にあり、すっと理解できる。

Un jour, dis quelque chose. Ferme les yeux et dis quelque chose. N’importe, un chiffre, un prénom. Comme ceci ( elle ferme les yeux) : Deux, deux quoi ? Deux femmes. Comment sont ces femmes ? En noir. Où se trouvent-elles ? Dans un parc… Et puis, que font-elles ? Allons, c’est si facile, pourquoi ne veux-tu pas jouer ? Eh bien, moi, c’est ainsi que je me parle quand je suis seule, que je me raconte toutes sortes d’histoires. Et pas seulement de vaines histoires : c’est même entièrement de cette façon que je vis.

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アンドレ・ブルトン  ひまわり  André Breton Tournesol シュルレアリスムの詩

アンドレ・ブルトンは、ギヨーム・アポリネールに続き、伝統的な芸術の革新を目指した文学者であり、1924年に発表した「シュルレアリスム宣言」によって、シュルレアリスムという文学・芸術様式を定着させた。

シュルレアリスムという用語もアポリネールが使い始めたものであり、ブルトンはアポリネールに多くのものを負っている。ここでは1923年に発表された詩「ひまわり(Tournesol)」を読みながら、ブルトンが先行する詩人の跡を辿りながら、どのようにして自らの詩的表現を見出していったのか探っていくことにする。

アポリネールからブルトンへの移行は、キュビスム絵画からシュルレアリスム絵画への移行と並行関係にある。
キュビスムでは、立方体(キューブ)を並置することによって新しい空間=現実を創造したが、その際、画家の主体性は保たれ、創造された空間には一定の秩序が存在していた。
それに対して、シュルレアリスムにおいては、フロイトの精神分析理論に基づいた無意識の働きが強調され、自動筆記(écriture automatique)においてのように、画家の主体性は消滅する。そのために、画布の上に作り出された「もう一つの現実」=「超現実」に秩序立ったものは感じられない。

「ひまわり」は、アポリネールの詩「ゾーン」を下敷きにしていると考えられる。
詩句は短く単純な文であり、それらが句読点なしで列挙される。
詩句が伝える内容も、現実のパリを前提にしながら、論理的な関連性の不透明な事象が連なっていく。

Tournesol

La voyageuse qui traversa les Halles à la tombée de l’été
Marchait sur la pointe des pieds
Le désespoir roulait au ciel ses grands arums si beaux
Et dans le sac à main il y avait mon rêve ce flacon de sels
Que seule a respirés la marraine de Dieu   (v. 1-5)

朗読

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ロンサール ガティーヌの森の樵に反対して Pierre de Ronsard Contre les bûcherons de la forêt de Gastine 3/3

ロンサールは、「さらば(Adieu)」という言葉を3度反復しながら、ガティーヌの森を3つの視点から描き出していく。
最初は、詩人にとっての森。二つ目は、過去の森と現在の森の対比。三つめは、古代ギリシアの神託の地としての森。

そして、こうした側面を浮かび上がらせた後、最後に、一つの哲学が提示される。その哲学の根本は、「素材(la matière)は残り、形(la forme)は失われる」というもの。
アリストテレスにおける質料/形相を思わせるこの最後の詩句には、どのような意図が込められているのだろう?


41-48行で歌われる「詩人にとっての森」に関しては、「最初に(premier)」という言葉が反復され、詩人としての「私」の起源がガティーヌの森にあることが示される。

Adieu, vieille forest, le jouet de Zephyre,
Où premier j’accorday les langues de ma lyre,
Où premier j’entendi les flèches resonner
D’Apollon, qui me vint tout le cœur estonner ;
Où premier admirant la belle Calliope,
Je devins amoureux de sa neuvaine trope,
Quand sa main sur le front cent roses me jetta,
Et de son propre laict Euterpe m’allaita. (v. 41-48)

(朗読は1分21秒から)
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ロンサール ガティーヌの森の樵に反対して Pierre de Ronsard Contre les bûcherons de la forêt de Gastine 2/3

「哀歌(Élégie)」第24番の第19 – 26行の詩句では、樵(bûcheron)に向かい、木を切るのは殺人と同じことだと、激しい言葉を投げかける。

それらの詩句を読むにあたり、16世紀と現代でつづり字が違うことがあるので注意しよう。
es+子音 → é  : escoute – écoute ; arreste – arrête ; escorce – écorce ; destresse – détresse ; meschant – méchant
e → é : degoute – dégoute ; Deesse – Déesse ;
oy → ai : vivoyent – vivaient
d – t : meurdrier – meurtrier

 Escoute, Bucheron, arreste un peu le bras.
Ce ne sont pas des bois que tu jettes à bas,
Ne vois-tu pas le sang lequel degoute à force
Des Nymphes qui vivoyent dessous la dure escorce ?
Sacrilège meurdrier, si on pend un voleur
Pour piller un butin de bien peu de valeur,
Combien de feux, de fers, de morts, et de destresses
Merites-tu, meschant, pour tuer nos Deesses ? (v. 19 – 26)

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ロンサール ガティーヌの森の樵に反対して Pierre de Ronsard Contre les bûcherons de la forêt de Gastine 1/3

ピエール・ド・ロンサール(1524-1585)の「エレジー(Élégie)」第24番は、森で木を切る樵に向かい、木から血が流れているのが見えないのかと詰問し、手を止めるように命じる内容の詩であるために、現在ではエコロジー的な視点から解釈されている。
そのために、しばしば詩の前半部分が省略され、樵に手を止めるようにと命じる詩句から始まり、「ガティーヌの森の樵に反対して」という題名で紹介されることが多い。

しかし、ヨーロッパにおいて、18世紀後半になるまで山や森は人間が征服すべき対象であり、16世紀に自然保護という思想は存在していなかった。
ロンサールも決してエコロジー的な考えに基づいていたわけではなく、アンリ・ド・ナヴァール(後のアンリ4世)が彼らの故郷にあるガティーヌの森を開墾し、売却することに反発するというのが、「エレジー」第24番に込められた意図だった。

ロンサールが悲しむのは、木を切る行為そのものではなく、旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)の対立の時代に翻弄され、1572年のサン・バルテルミの虐殺を逃れたアンリ・ド・ナヴァールが、宮廷で生き延びていくための資金を得るために、ガティーヌの森を伐採することだった。
あるいは、旧教側を信奉するフランス国王の宮廷詩人だったロンサールが、新教側のアンリ・ド・ナヴァールを批難する意図を持って書かれたエレジー(哀歌)だとも考えられる。

そうした歴史を知ると、ロンサールが詩に込めた意味と、後の時代の解釈との間にずれが生じていることが明らかになる。
では、そうしたズレた解釈は、後世の誤りだと考えるべきだろうか?

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ロンサール ベルリの泉に Ronsard À la fontaine Bellerie 故郷の泉への祈祷

フランスでは16世紀半ばまで公用語はラテン語だった。フランス語が公用語になったのは、1539年に国王フランソワ1世がヴィレル=コトレで勅令を発布した時のこと。
それ以降、ピエール・ド・ロンサール(1524-1585)やジョアシャン・デュ・ベレー(1522-1560)たちは、地方語であるフランス語がラテン語に劣る言葉ではないと主張し、フランス語をラテン語に匹敵しうる優れた言語となるように努めた。

ロンサールがとりわけ注力したのは、言葉と音楽の融合だった。人物や事物を褒め称えることを目的としたオード(ode)においても、シャンソン(chanson)においても、リラを伴って歌われることを原則とした。詩句の音節数を一定にすることや、様々な押韻の規則は、現代の言葉で言えば歌詞となるようにするためだった。

『オード集』(1550)に収められた「ベルリの泉に(À la fontaine Bellerie)」では、ローマの詩人ホラティウスの「バンドゥリアの泉」に倣い、故郷にあるベルリの泉への愛と賛美を綴った。

その詩句は、一行が7音節に整えられ、韻はAABCBCB、しかもAとB女性韻でBは男性韻というように女性韻と男性韻が交互に続く。
それ以外にも、詩句のリズムや音色に精巧な仕組みが施され、ホラティウスのラテン語の詩句に劣らないフランス語の詩句が練り上げられている。

ロンサールの時代にはフランス語のつづり字がまだ定まっていなかった。そのために現代フランス語と多少違うところがあるが、ここでは古い時代のつづり字のままで、ロンサールの詩句を読んでいこう。

O Fontaine Bellerie
Belle fontaine cherie
De nos Nymphes, quand ton eau
Les cache au creux de ta source
Fuyantes le Satyreau,
Qui les pourchasse à la course
Jusqu’au bord de ton ruisseau.

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