
推古天皇と聖徳太子の前で行われた請願の内容が次に記されていく。
我大御病太平欲坐故
A. 「われ」— 我
ここでは、日本語の一人称「われ」あるいは「わが」という概念に対して、漢字「我」が充てられている。読みは訓読みで「われ」とする。
光背銘では、寺や仏像を建造する側の人間を指す主語として使われていると解釈できる。したがって、ここでの「我」は天皇ではなく、天皇の命令を受けた側の人間を示す。
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推古天皇と聖徳太子の前で行われた請願の内容が次に記されていく。
我大御病太平欲坐故
A. 「われ」— 我
ここでは、日本語の一人称「われ」あるいは「わが」という概念に対して、漢字「我」が充てられている。読みは訓読みで「われ」とする。
光背銘では、寺や仏像を建造する側の人間を指す主語として使われていると解釈できる。したがって、ここでの「我」は天皇ではなく、天皇の命令を受けた側の人間を示す。
続きを読む漢字仮名交じり文が日本文化の最も大きな特色の一つだとするならば、どうしても調べてみたくなることがある。
それは、文字をもたなかった時代に、中国大陸との交流を通して古代中国語による文語、すなわち漢文を知った私たちの先人が、外国語の書記記号である漢字を用いて、どのように日本語を書き記そうとしたのか、また、その過程でどのような工夫を凝らしたのか、という点である。
まず、古代中国語によって書かれた文、すなわち漢文と、日本語との根本的な違いを見ておこう。
民不畏死 : フン・フ・イ・シ (『老子』)
語順は、主語+動詞+目的語である。
文法的には、動詞は活用せず、日本語の助詞に相当する形態素は存在しない。また、文中の語の関係は、主として語順や文脈によって示される。
発音は単音節で、一つの漢字に一つの音が対応する。すなわち、民=ミン、不=フ、畏=イ、死=シ、である。
タミハ シヲ オソレ ナイ
語順は、主語+目的語+動詞(+否定辞)となる。
文法的には、動詞は活用し、文中の語の関係は助詞によって明示される。
発音は、シ(si)のような単音節もあれば、タミ(ta-mi)、オソレ(o-so-re)のような多音節語も存在する。
このように、日本語は漢文とは構造的にまったく異なる言語である。
その日本語を、漢字という別言語の書記体系を用いて表記し、最終的に「民は死を畏れない」という形で、漢字と仮名を交えて書き表せるようになるまでには、数百年に及ぶ歳月を要したであろうことは、想像に難くない。
ここでは、その過程を知るための代表的な例として、法隆寺金堂に収められた薬師如来像の背面に書かれた光背銘(623年)を読んでみよう。


(7)漢字仮名併用の意味と意義
『古今和歌集』の「仮名序」は、仮名が日本語の書記表現として確立したことの証拠となる。しかし、それ以降、漢字の使用が廃止され、仮名だけで文を書くことはなかった。実際、現在でも仮名と漢字は併用されている。
その理由はどこにあり、併用する効果は何なのだろうか?

ちなみに、脳と言語機能に関する最近の研究によると、表意文字と表音文字の音読に関して、脳皮質の中の部位が異なる可能性があり、さらに、漢字と仮名の音読に関わる神経線維が相互的に干渉することはなく、別個なものであることが明らかになったという。
日本語を使い、漢字と仮名を同時に使用することで、私たちは脳の二つの部位を同時に活用していることになる。
今から1000年以上前の日本で成立した言語記述システムが、現代の私たちの脳に影響を及ぼしている。としたら、漢字が日本に導入されてからの歴史をたどることは、私たち自身の今を知ることにもつながる。
A. 漢字だけの日本語文は超難しい
続きを読む(6)仮名の成立
平仮名と片仮名は9世紀から10世紀にかけて、漢字を変形して作られたとされている。そのはどちらも表音文字という点では共通しているが、使用目的には違いがあった。


片仮名は、学僧たちが漢文を和読する補助として、文字の音を示すために、漢字の一部の字画を省略して付記したことから始まる。
平仮名に関しては、文字を早く書くためというのが、一般的に認められる考えになっている。
正式な文書であれば漢文で書いた貴族や官吏たちが、私的な文書になると、より簡潔に早く書くために、複雑な漢字を崩した書体で書くようになる。その過程で、字画が簡略化された字体が平仮名として定着していったと考えられている。
「仮名」という名称は、漢字を指す「真名」が「正式な文字」だとすれば、「仮の文字」を意味する。
ここでは、平仮名が発生する段階と、日本で発明されたその書記表現が確立した状況を見ていこう。
(4) 『古事記』

日本最古の文字資料として現在まで残っているのは、712年に編纂された『古事記』。
720年に編纂された『日本書記』が正規の漢文で書かれているのとは異なり、『古事記』は日本語を漢字で表記したものであり、当時の日本語がどのような状態で書き記されていたのかを教えてくれる。
日本において漢字の存在が確認できる最初の証拠は、1世紀頃の「漢委奴国王」の金印。漢字が日本語の表記文字として使われ始めたことが確認できる隅田八幡神社の銅鏡が制作されたのは、5世紀から6世紀。その時期からでさえも200年以上経過した8世紀において、漢字を使い日本語を書き記す作業がいかに難しく、一貫した規則が定まっていなかったかを、『古事記』の文字表現は今に伝えている。
続きを読む日本語の最大の特色の一つは、漢字と仮名(ひらがな、カタカナ)という二つの文字表記を併用していること。私たちにとってあまりにも当たり前すぎて気付かないのだが、そうした例は他の言語にはなく、驚くべきことだといえる。
文字が存在していなかった古代日本において、文字として漢字が使われるようになり、日本が漢字文化圏の中に組み込まれる。その後、ひらがなやカタカナが発明され、独自の文化や精神性が生み出されてきた。
その結果、漢字と仮名を併用した文が私たちにとって最も自然に感じられ、過去に漢字文化圏に入った朝鮮半島やベトナムなどは漢字の使用を廃止したのとは反対に、日本では漢字の使用を続けている。
そうした歴史的な展望を視野に入れながら、無文字社会だった日本に漢字が導入された時代から、仮名が発明されるまでをたどってみよう。


漢字に関するサイトを見ていると、「書き順が変わった!」とか、「正しい書き順は存在しないという衝撃的事実!」とか、興味を掻き立てる情報に数多く出会う。そして、さっと読み、素直にうなずいてしまうことがある。
とりわけ、「小学校に通う子供が自分とは違う書き順を学校で習ってきて驚いた」といった体験談が語られると、書き順が変わったという情報を確信してしまう。そして、驚きを共有すればするほど、その情報の真偽を確かめようとはしない。
では、真偽を確認するためには、どのようにしたらいいのだろか?
最初に考えることは、「書き順の変更」とか「正しい書き順」という言葉の前提には、「書き順の基準」があるはずであり、その基準はどこにあるのかという疑問を持つこと。
情報をそのまま信じるのではなく、根拠を問うことが大切になる。

英語を勉強する時、日本人にとって一番大きな落とし穴になるのは関係代名詞だろう。
普通に考えれば、言葉は前から聞こえてきて、その語順で理解していく。読む時も同じ。
それなのに、英語の参考書には、、「関係代名詞を含んだ英文を正しい日本語にするには、後ろから戻り訳さなければならない」と書いてあったりする。
« I know the man who is standing under the tree. »を、「私はその木の下に立っている男を知っている。」と訳すことに誰も疑問を持たないし、こうした日本語に訳すことによって英文を理解しようとする。
教室では、英文を理解したことを確認する手段として使われる。
その結果、英語を読むときに、文章の後ろまで読み、前に戻る、などといった読み方をする癖が付いてしまう。
会話の時、言葉は前から順番に流れていくのであり、言葉が逆流することなどありえない。日本人にとって、聞き取りが苦手な理由の一つも、こうしたところに原因があるかもしれない。
そうした問題を頭に置きながら、関係代名詞について考えていこう。
続きを読む英語だけ勉強していると気付かないのだが、他の言語を勉強していると、進行形が英語特有の動詞の表現方法であるを知り、驚いてしまう。少なくとも、フランス語などヨーロッパ系の言語には進行形という形は存在しない。
だからこそ、英語の進行形とは何なのか知りたくなってくるのだが、少し調べただけで、解説があまりにも複雑で、何が何だかわからなくなりそうになる。現在進行形は何となくわかるとしても、現在完了進行形って何だろう? それが未来完了進行形とか過去完了進行形とかになり、その細かな用法やニュアンスが説明されると、ますます混乱してしまう。
そこで、原点に戻って考えてみることにした。
いわゆる進行形と呼ばれるのは、be+動詞のing形。
動詞のing形には、現在分詞と動名詞という二つの用法がある。
動名詞というのは、動詞を名詞的に使う用法。
例えば、« He is good at playing tennis. »
前置詞 at の後ろは名詞が来るため、動詞playにingを付けて名詞として扱う。
進行形の場合には、be+現在分詞。
現在分詞は過去分詞と対比され、現在分詞は動詞を能動的な意味、過去分詞は受動的な意味にする。
opening (開く): opened(開かれた)
そして、be+現在分詞(ing)は進行形になり、be+過去分詞(ed)は受動態になる。
英語の仮定法が日本人にはどうして難しく感じられるのか?
その理由ははっきりしている。英語と日本語が本質的に違うからだ。しかし、どのように違うのか、あまり意識化できていないように思われる。
日本語では「もし・・・」という場合、その仮定が実現するか実現しないか明確に意識していない。他方、英語ではその区別をはっきりとする。その違いは大きい。
さらに、仮定法はif で先導される条件を示す部分ではなく、その結果を示す部分のこと。しかし、仮定法という用語は、どうしても「もし・・・」という条件を提示する部分を連想させてしまう。そのために、if以下の文がが仮定法だと思う誤解を生んでいる。
ここでは、エリック・クラプトンの« Tears in Heaven »を聞きながら、仮定法をマスターしてしまいたい。